第2話「一年ぶりの再会」1



 カツカツとチョークが黒板を削る音が部屋の中に響く。


「こうして大陸歴二五八年に魔術師協会が発足され、魔術師を名乗る者たちが管理される時代が訪れた。無論、この魔術師協会に反目する魔術師たちも決して少なくなく、彼らがのちの二五九年に『魔術戦争』を起こすことになるが、魔術師協会に登録された正規魔術師たちによって約三ヶ月で収束されることになる」


 白くなった手を叩き、亜麻色の髪の青年ニック・スタンレイは教科書を閉じた。


「ここまでで質問は? ……なければ、今日はここでおしまい。お疲れさまでした」


 生徒たちがニックの声をきっかけに動きだす。教科書をしまってすぐに帰ろうとする生徒から、携帯電話を片手に友人同士で話をはじめる生徒までいる。ニックはそんな光景を眩しそうに眺めてから一度頷くと黒板を消しはじめた。


 こうして生徒を相手にするようになって一年が経った。今まで縁のなかった塾の講師という職業に不安を覚える日々だったが、今ではこの生活も悪くないと思えるようになっていた。


 十八歳と若輩の身でありながら、自分と歳がそう変わらない生徒を相手に授業するというのは毎日が緊張の連続だ。一方で、やりがいを感じるようになり、先生と呼ばれることにもようやく慣れた。


「ニッくん。これから帰るの?」

「先生って呼んでくれないかな。一応、僕は塾の講師なんだから」

「自分で一応なんて言っているくらいじゃまだまだですなぁ」


 楽しそうに笑う少女は生徒のひとりだ。名をシャーリー・メンデス。ブロンドの髪を顎のあたりで切りそろえた快活な少女だ。講師をはじめたばかりの頃から気さくに話しかけてくれた彼女に、助けられたことは一度や二度ではない。今日もいつもと変わらない向日葵のような笑みを浮かべている。


 友人も多く、塾内ではムードメーカーでもある彼女のおかげで授業がスムーズに進むことも多い。

 ニックの受け持つ生徒たちは彼女を含めて十六歳であり、歳が近いこともあり舐められないようにしなければと気負っていたが、今ではすっかり友人感覚で接してもらっている。講師と生徒という関係ではないものの、不満はあまりない。欲を言うならば、せめて呼び方だけでも「先生」と呼んでほしいのが本音だった。


 彼女と友人同然に会話をするようになってからというものの、理由はわからないが授業がない日でも塾に立ち寄って声をかけてくれる。

 講師として見られていないことに不甲斐なさを覚えるが、友人関係であっても伝えることがしっかり伝えられるのならば、それでも構わないと考えられるくらいにニックは柔軟だ。


「いつも言っているけど、すぐにすぐ帰れないんだよ。僕は生徒じゃないんだから」

「ぶー。たまにはご飯くらい一緒に食べにいきたいのに」

「それは生徒と塾の講師がやったら駄目だからね。前に君とご飯食べたのがバレて怒られたんだら」


 呆れる声のニックに対して、楽しそうなシャーリーが声をあげて笑う。

 何度か街で遭遇した彼女に誘われるまま食事を一緒にしたことはあるが、先輩講師に見つかり注意を受けたのは最近の話だ。


 シャーリーとの関係を勘ぐった生徒から冷やかしの声があることもあったが、今ではすっかり日常的な風景になっているため、気にしているのはニックだけだ。講師たちでさえ、いつものことだと思うようになってしまったのだから、慣れとは恐ろしい。


「学生に早く家に帰れとか言いたくないけど、最近は物騒なんだからあまり家族に心配をかけないように」

「もうっ、その言い方だとなんか先生みたい!」

「一応、先生だよ。塾のだけど」


 からかうような少女に頬を緩めてしまう。こうした生徒との触れ合いも、最初は上手くいなかったが、今ではすっかり軽口を言い合えるようになった。彼女だけではなく、生徒たちも年齢が近いこともあってニックには他の講師に比べて気安い。


 講師として気安くされるのはどうかとも思うが、それもひとつの形だろうと思う。決して生徒たちの授業態度が悪いわけはないし、成績が極端に下がる生徒もいないのだからひとまずの安心を覚える。


 このまま塾の講師として過ごすのも悪くない。ほんの一年前まで、魔術師として殺伐とした世界にいたときには、こんなことを思うことはできなかっただろう。

 過去を思い出すと苦い痛みが胸を刺す。もういい加減にその過去とも、さよならしたい。いつまでも胸の痛みを引きずったままでいたくない。


「あれ、ローディー先生?」


 教室に入ってきたニックの同僚兼先輩講師のサマンサ・ローディーに気づき、シャーリーが声をあげた。


 パンツのスーツを身に纏い、一見すると「出来る女」という印象を持つ凛とした美女だ。肩口で揃えたセミロングの黒髪と、シルバーフレームの眼鏡がよく似合う彼女こそ、ニックを塾の講師として誘ってくれた恩人であり、頭の上がらない人でもあった。


「スタンレイ先生、授業は終わりましたか?」

「あ、はい。終わりました、ローディー先生」


 親しい仲にも礼儀あり。普段は名前で呼び合う仲だが、塾の講師として働いている間はしっかりと線引きをして接している。昼休みなどの例外はあるのだが、そのせいで生徒たちに付き合っていると噂されていることを同僚の講師から聞いてしまい、彼女に申し訳なく思っている。とてもじゃないが、若輩者のニックでは釣り合わない。


「ならよかったわ。スタンレイ先生にお客様ですよ」

「僕に、ですか?」

「ええ、別の教室で待ってもらっているけれど、その……いえ、なんでもないわ」


 なぜか歯切れの悪いサマンサの態度に首かしげてしまう。


「えっと、じゃあニッくん、私もう帰るね。今度時間あったら遊ぼ?」

「だからそういうのは駄目だ。ほら、じゃあ気をつけて帰るんだよ」

「はーい。じゃあねー!」


 少女もまた青年と同じように女性講師の様子が少しおかしいことに気づいたのかもしれない。この場の空気を察したようにバッグを背負いニックに手を振ると、サマンサに会釈をして教室から出ていった。


「相変わらず元気でいい子ですね」

「いつも彼女の元気なところには助けられています」

「ああいう子がいるだけで教室が明るくなるので、大事にしてあげてください。ですが、生徒と講師としての一線はちゃんと引くように。では、あまりお客様を待たせるわけにはいかないのでいきましょう」

「は、はい!」


 ヒールを鳴らし先行するサマンサを追いかけるように教室をあとにした。

無言のままエルベーターに乗り込むと、どことなく気まずい空気が流れている気がする。


 なにかしでかしてしまったのかとニックは行動を振り返るが、先ほどの授業が始まる前は彼女が笑顔だったことを思い出す。そうなると、授業をしていたニックが彼女になにかすることはできない。

 理由は客人らしい、とニックは推測した。


(誰が訪ねてきたのかな?)


 サマンサが機嫌を悪くする相手といえば、彼女の兄が一番に浮かぶが、なんとなく違う。兄が訪ねてくると迷惑そうにするも、どことなく嬉しそうにもしていることをニックは知っている。

 だが、彼女からは肉親が訪ねてきたときのような柔らかい感情を感じない。


「ねえ、ニック」

「はい?」


 急に名前で呼ばれて驚いた。

 まだ仕事中にも関わらず、彼女に名前を呼ばれたのは初めてだ。


「今の仕事、塾の講師として教壇に立つのは楽しい?」

「楽しいですよ。やりがいも感じています。生徒もいい子たちばかりですから」

「そう、よかったわ。なら、魔術師をしていたときよりも?」

「……それは、なんて言ったらいいのかな。あのときは楽しいとかよりも、わからないなにかを我武者羅に追いかけて必死だったから、比べられませんよ」

「そうよね。変なことを聞いてごめんなさい。でもね、ニック。私はあなたに魔術師には戻らずに、ここで塾の講師として普通の生活をしてほしいと思っているのよ。少なくても、魔術師と違って命の危険に晒されることがないわ」


 どうして急に彼女がこんなことを言うのか、理由が見つからない。

 困惑するニックに、サマンサは、ごめんなさい、と作ったような笑みを浮かべて謝罪した。

 同じく、エルベーターが一階へと到着する。

 ニックがなにか言葉を発する前に、先輩講師は先へと進んでしまう。


「ここに彼女がいるわ。今、私があなたに聞いたことを、胸の片隅でいいから留めておいてね」


 そう言い残してサマンサは背を向けた。彼女の背中をしばらく眺めていたが、振り返ることはなかった。

 彼女の意図がどういうものなかわからなくて呼び止めようとしたが、背中で声をかけるなと言われているような気がして躊躇われた。


 大きくため息をつく。できることなら彼女を追いかけたかったが、来客者を待たせておくわけにもいかなの。青年は、しぶしぶ教室の扉に手をかけた。


「久しぶり、ニック・リュカオン・スタンレイ。元気だった?」


 なるほど、とニックはサマンサの不機嫌な理由が納得できた。


「元気だったよ。君こそ元気だったかい、ヴェロニカ・マージ」


 そこには、かつての同僚であり、師匠でもあった女性、魔術師ヴェロニカ・マージがいた。


「会いたかったわ、ニック」


 実に、一年ぶりの再会だった。



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