第3話「一年ぶりの再開」2



 今でこそ年若い塾の講師としての日々を送っているが、ニック・スタンレイは一年前まで魔術師として殺伐とした世界に身を置いていた。

 魔術を使い魔族や魔物と戦い、ときには人間と戦うこともあり、命も奪った。


 ニックたちが住まうオウタウの街で、五指に入るほど有名な魔術師事務所であった『エークヴァル魔術師事務所』の所員として、力を求められては惜しげなく振るっていた過去がある。


 魔術師として働いていたころの同僚であり師匠でもあったのが、目の前で微笑を浮かべるヴェロニカ・マージだった。タイトスカートとパンプスを身につけた、とても魔術師らしくないスタイルの彼女は、腰まで伸ばしたシルバーブロンドの髪を揺らしてニックを観察するように視線を上下させる。


「意外と似合っているじゃない、あなたのスーツ姿。安っぽいのが少し残念だけど」

「僕には相応なものだよ。それで、スーツ姿を褒めにきてくれたわけじゃないんだろ?」


 女性にしては背が高く、スカートから覗く長い足を誇る彼女に服装を褒められても、あまり褒められたような気がしない。なにより自分のスーツが様になっていないことくらい自覚はある。


「随分と冷たいわね。幾度もなく死線をともにして、姉弟のように信頼し合っていたのに。たった一年で、もう昔のことだと言い放つのかしら?」

「そんなことは言ってないだろっ。……ごめん。怒鳴るつもりはなかったんだ」


 バツの悪い表情を浮かべたニックに、彼女もまた「ごめんなさい」と小さな声を出す。


「要件を聞くよ。もう授業は終わったけど、仕事が終わったわけじゃないんだ」

「わかっているわ。なら、簡潔に言うわ――シャスティンの出所が決まったわ」

「――っ、そう。そうか、もう一年になるんだね。あの人が出てくるのは当たり前か」


 ヴェロニカの口から出たシャスティンとは、かつてニックが席を置いていた『エークヴァル魔術事務所』の所長シャスティン・エークヴァルのことだ。

 ララシア国オウタウという大都市で、『最高の魔術師』と高名な男の名だ。

魔術師で彼の名を知らない者はここララシア国にいない。いたとすれば無知を恥じることになる、それほどの人物である。


「まるで他人事のように言うのね」

「そんなつもりじゃないけど、そう思わせたなら謝るよ」

「謝罪なんかしなくてもいいのよ。他人事じゃないなら、事務所に戻ってきてくれる?」


 サマンサの言い残した言葉がニックの脳裏で繰り返される。彼女がなぜ自分に今の仕事が楽しいのか聞いた理由がわかった気がした。

 ヴェロニカが会いにきた理由もおそらく知っていたのだろう。

 ここでヴェロニカに頷くことはできない。ニックは言葉もなく、首を横に振った。


「そうよね。突然、戻ってきてと言って受け入れてくれるなんて、そんな都合のいいことは考えていなかったわ。でも、こう即答されてしまうのは辛いわね。理由を教えてくれる?」

「今の仕事を簡単に投げるわけにはいかない。講師になるために手を貸してくれたサマンサさんや、他の講師の人たち、生徒にだって迷惑がかかる」

「私には、どうしてあなたが塾の講師をしているのかわからないけど、魔術師に未練はないの?」

「未練があるかどうか自分でもわからない。でも、このまま魔術師をやめて講師に専念してもいいと思っている」


 ヴェロニカは信じられないと驚愕の表情を浮かべた。

 彼女の表情は、まさかニックが魔術師としての道を閉ざそうとしているなど思ってもいなかったと物語っていた。


「……本気なの? まさか、魔術師証明書を魔術師協会に返却したりはしていないでしょうね」

「そこまでの決断はまだできていないけど、それもひとつの選択肢じゃないかと思うんだ」

「その才能を殺すの? あなたはオウタウ最強の魔術師なのよ!」

「僕は一度でもそう呼ばれることを望んだことはない!」


 声を荒らげてしまったニックは、慌てて口を噤む。ついカッとしてしまうのは悪い癖だ。


「そう、よね。でも、ニックが望まなくても、オウタウ最強の魔術師であることは変わりないのよ。最強の名を奪おうと企む魔術師だって少なくないわ。なのに魔術師をやめる? 魔術師証明書を持たないで魔術を使ったら、罰せられることはわかっているはずよ。自己防衛さえできなくなるのよ」


 魔術師は、魔術師協会から証明書をもらうことではじめて魔術師と名乗ることができる。中には魔術師協会に属することなく活動する『はぐれ魔術師』もいるが、その大概は犯罪者だ。


 なによりも証明書を持たずに魔術を使うことはできず、規則を破れは犯罪となる。運転免許証と原理は同じだ。


「同時に、一般人に魔術を使えば、その魔術師もまた罰せられる。そしてなによりも、その罪は重い」

「協会を敵に回してでも、あなたの持つ最強を欲しがる魔術師は、掃いて捨てるほどいるのを忘れたわけではないでしょう?」


 ヴェロニカの指摘にニックは忌々しいとばかりに顔を歪めた。

 責めるような、同時に心配するような声音で彼女は言葉を続ける。


「言いたくはないけれど、この一年の間、あなたが魔術に関わらずにいたことが不思議たったわ。だけど、もし、あなたの生徒が巻き込まれる結果になったらどうす――」

「そこまでにしなさい」


 静かに、それでいてよく通る声がヴェロニカの言葉を遮った。


「サマンサ・ローディー。部外者のあなたが、私たちの話の邪魔をするの?」


 介入者を睨み、ヴェロニカが険のある声を出した。


「ヴェロニカ・マージ。もう話し合いになってないじゃない。今のあなたは、魔術以外の道を模索しているニックを責めているだけよ。心配になって戻ってみたけど、正解だったようね」


 ヴェロニカは相手の視線を辿り、ニックを見て驚く。生徒を巻き込んでしまうという可能性を指摘された青年は、表情を蒼白に染めていた。

 彼を見て、ようやくヴェロニカは言いすぎたことを自覚する。


「大丈夫よ、ニック。あなたが魔術師であったことを、私をはじめ、講師たちもみんなわかっているわ。それに、魔術史を魔術師が教えることはそう珍しくないの、だから危険にまで気を使わなくてもいいのよ。そのことに関しては、このビルの警備会社に任せておけばいいのだから」

「サマンサさん、だけど――」

「一年間なにもなかったのだから、これからもなにもないわ」


 彼の頬に手を置き、ゆっくりと優しい声音で言い聞かせるように微笑む。そして、彼女はバツの悪い表情をしていた女魔術師に苦言した。


「今日はここまでにしましょう。ヴェロニカ、あなたも少し頭を冷やしなさい。ニックが事務所に戻るとしても、今のあなたには任せられないわ」

「……どういう意味かしら?」


 不満を隠さずヴェロニカがサマンサを睨む。

 だが、多くの犯罪者を屠ってきた魔術師の眼光に。サマンサは臆することなくはっきりと告げた。


「同僚なら、いいえ、一度は師としてニックに教える立場にいたあなたが冷静になれない状況で、どうして事務所をやっていけるというの? 例えシャスティンが戻ってきたとしても、きっと同じことを言うでしょうね」


 ヴェロニカは反論しなかった。代わりに奥歯を噛みしめ、悔しそうな表情を浮かべる。

 そんな彼女を見て、大きくため息をつくと、サマンサが問いかけた。


「ねえ、あなたはシャスティンに面会しているのよね。ニックのことを彼はなにか言っていた?」


 ニックが体を揺らして反応する。


「……自由にさせておけ、そう言っていたわ」

「ならシャスティンの言うとおりにしなさい。子ども扱いはしたくないけれど、成人したばかりのニックにあまり重荷を背負わせたらだめよ。もう必要以上に背負っているんだから」

「あなたなんかに言われなくてもっ、わかっているわよ、そのくらいのことっ」

「ニックだけじゃないわ、あなたもよ、ヴェロニカ。あまり必要以上に重荷を背負うことはないのよ」


 サマンサの言葉に、ニックは思い出した。

 ヴェロニカが、誰もいない『エークヴァル魔術事務所』で所長代理として、たった一人で事務所を守っていることを。彼女の背負う重荷がどれほどのものなのか想像することもできない。


「ありがとう。でも私は大丈夫だから」


 そう言ったヴェロニカはどことなく力なく見えた。


「確かに冷静じゃない自覚はあるから、今日はもう帰るわね。ごめんなさい、ニック。あんなこと言うつもりはなかったの、ただ、ニックの力が事務所に必要だったから」


 と、そこまで言い、このままではまた繰り返しになることを恐れて、ヴェロニカは慌てて口を手で覆う。


「その、迷惑じゃなければ、また会いにきていいかしら?」


 迷って口にした言葉は、再会の約束を求めるものだった。ニックは迷うことなく彼女に頷いた。ニックだって、彼女に会いたくないわけじゃない。


「待ってるよ。僕も、これからのことを今以上に考えてみるから」


 青年にヴェロニカは小さな笑みを浮かべて見せた。

 すると、明るい表情を取り戻した彼女は少しだけ悪戯めいた顔をして、


「さっきから思っていたけど、どうして自分のこと僕って言っているの? 昔は俺だったのに、似合わないわよ」

「い、いいじゃないか別に」

「ふふっ、じゃあね」


 そう笑って教室から出ようとするヴェロニカの背中に、ニックは声をかける。


「俺は知ってるよ。ヴェロニカが事務所を守るために必死だってことを、だから――無理をしないで」


 彼女からの返事はなかった。ただ、軽く手を上げて、ひらひらと振っただけ。

 それでも、手を振ってくれただけ心が軽くなった。

 ニックは思う。自分が塾の講師として新しい生活をしていたこの一年、ヴェロニカはどんなことを思って過ごしていたのだろうか。そう考えると、彼女に対する罪悪感が胸の中に残った。



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