第25話「最強不在の戦い」4
「私が彼らを制御しきれていることが不思議かね? 戦いの経験は積めばいい、もちろんこれに関しては一朝一夕ではないことは承知している。しかし、制御だけなら薬ひとつでなんとでもなってしまう」
そう言って一本の注射器を懐から取り出した。
「危険なものではない。ただ、集中力を増すだけの作用しかないものだ。しかし、それだけで私の問題点が大幅に改善された。今ならニック・スタンレイと再戦しても遅れを取ることはない。まあ、死人と戦うことは不可能だがね」
まるでニックを死んでいるかのような発言をするバロンに、ヴェロニカは【異界の住人】の猛攻から逃げながら疑問に思った。そしてすぐ答えにたどりつく。
――バロン・トルネオはニック・スタンレイを殺したと思い込んでいる。
実際には間違っていない。確かに、あのとき、ヴェロニカたちが駆けつけたときには、もうニックは死んでいた。だが、その死は一時的なものだった。
まさか蘇生したとは思ってもいないだろう。ずっと感じていた違和感。バロンがニックの名を呼ぶときに、最高の称号であるリュカオンを外していたときから気づくべきだった。
滑稽だ。まさか自分が最強の魔術師になれたと思っていると――ヴェロニカは余裕さえあれば大笑いしてやりたかった。
今にも崩れ落ちそうなビルの上から偉そうに見おろしている老人を、雷帝は馬鹿にするように笑った。
せいぜいお山の大将でいればいい。所詮はその程度だ。
「――轟け轟音――
短い詠唱とともに、人型の命を刈り取る一撃をかわし、懐に入って掌底を腹部に叩きつける。同時に雷が弾け、青白い閃光が炸裂した。遅れて轟音が鳴り響く。
巨体が吹き飛ぶ。警察車両を巻き込んで、近くにある別のビルの壁へと突っ込んだ。しかし、腐っても【異界の住人】だ、すぐに瓦礫の中から何事もなかったように立ち上がる。
思わず舌打ちをしてしまうヴェロニカだったが、人型の化物は無傷ではなかった。さすがは上位種だけあり、下位種のようにその体が炭化することはない。しかし、体の表面を焼き、内側にも雷のダメージを通すことができたことが掌を伝わって彼女に届いている。
「無駄だ。防御が硬いからと、単純な魔術を魔力で強化させて確実にダメージを与えたのは見事としか言いようがない。しかし、彼らは私が操る、ただの人形だ。圧倒的な戦力がない限り、その戦い方は不正解だ」
今さらながらに、ヴェロニカたちは自分たちの対処方法が間違っていたと知らされる。
確かに【異界の住人】と戦っているならそれでもいい。事実、ヴェロニカだけではなく、サビーナとマーティン率いる魔術師と警官の混合チームも蜘蛛型の【異界の住人】にダメージを与えていた。
しかし、バロンの言う通り、どれだけダメージを与えようが、どれほどの絶叫を上げさせようが意味がないのだ。老人の思うままに動く【異界の住人】の意志は関係ないのだ。
短時間とはいえ、死が隣り合わせの戦いを繰り広げていた全員は神経がすり減り満身創痍になっている。ここで今までの戦いが無駄だと知らされればどうなる。
答えは――絶望だ。
ある者は膝を着き、ある者は張りつめていたものが切れて意識を失った。
「なら操っているてめえを殺すまでだっ!」
だが、諦めない者もいる。マーティンは対異界の住人用試作ライフルを構え、バロンに標準を定める。
老人を守るべき【異界の住人】は二体とも離れている。先ほど倒した下位種を含め、三体。これ以上の数はいないと判断した。もしもいたとすれば、自分を守らせるために傍にはべらしているはずだ。
今が絶好のチャンスだった。しかし、引き金を引こうとした瞬間、
「無駄だ!」
バロンが嫌らしい笑みを浮かべた。同時に、マーティンの腹部に痛みが走る。
「……あ?」
最初こそわずかな痛みだった。視線を嗤う老人から自分の腹部へと向けると、白いシャツに赤い染みが広がっている。そして、その赤い染みの中心には、蜘蛛の足が突き立てられていた。
「っがあぁあああああああっっ!」
痛みが激痛へと変わる。気づいてしまった以上、無視できない痛みが襲いかかってきた。
「マーティンっ!」
サビーナが悲鳴のごとく彼の名を呼んだ。
誰もが絶望していたわずかな間に蜘蛛型から目を離してしまったのがいけなかった。彼の傍には蜘蛛型の【異界の住人】がいる。八本ある内の一本を彼の腹部に突き立て、人の姿をしている上半身から生える鍵爪を今にも振り降ろそうとしている。
膝を着いていない警官たちがいっせいに発砲し、魔術師たちが魔術を撃つが、蜘蛛型はビクともしない。
ダメージは受けているのに、バロンによって化け物は止まることを許されないのだ。
「今、助けに――」
ヴェロニカが助けに向かおうとするも、瓦礫を吹き飛ばして突進してきた人型に跳ね飛ばされてしまい彼女の体が抵抗する間もなく宙に舞う。
「ヴェロニカっ!」
マーティンに続いて、ヴェロニカまで大打撃を受けたことで、女帝が悲鳴をあげた。
わかっていたはずだ。化物と戦うには、勝利して生き残るか、敗北して死んでしまうかのどちらかだ。
まだ二人は死んでいない。しかし、熟練の経験を持ち、戦いの中で的確に指揮する司令塔と、最大戦力を押さえられてしまった。
このままではまずい、とサビーナの視界が真っ白になりかける。
「やはり、この場の鍵はマーティン・ローディー警部と雷帝ヴェロニカ・マージだったようだ。ブラフマー魔術師派遣会社社長サビーナ・ブラフマー、あなたは経営者としては優秀かもしれないが、戦場へ立つべきではない」
屈辱以外のなにものでもない言葉を投げられたサビーナだが、バロンの言葉が間違ってはいないために反論することができず、悔しさから血が流れるほど唇を噛みしめた。
女帝はそれでも動きを止めない。自分の屈辱よりも二人を助けるべく感情を殺して走る。
しかし、老人が彼女の行動を黙認するはずがなかった。
「言葉を撤回しましょう。実力不足ではあるが、指揮官としても優秀のようだ。ならば動きを止めてもらおう」
蜘蛛型の口からが糸が吐き出される。サビーナが抵抗しようとするが、その暇を与えないように、右から左から、上から下からと糸が襲いかかり、彼女を絡めとる。
あっという間に身動きができなくなり、地面へと倒れ込んだ。
「社長っ!」
「私は構わない! それよりもマーティンとヴェロニカを助けなさいッ!」
「し、しかし……」
「いいから言う通りにしてッ!」
駆け寄ってきた社員に命じて二人の救出を急がせるが、蜘蛛型の【異界の住人】によって近づくことができない。
それだけでは飽き足らず、マーティンを救おうと近づく者、ヴェロニカへと向かう者が次々に蜘蛛型から吐き出された糸で拘束されていく。
「……なぜ、殺さないの?」
「不思議ですか?」
サビーナの呟きに、バロンが応じる。
指揮者がタクトを振るうように、大げさな身振りで手を広げると、
「素晴らしいとは思いませんか? 私の制御下にあるために本来の力は発揮されていないとはいえ、オウタウ五指に入るブラフマー魔術師派遣会社の精鋭たちが手も足も出ない。それが私の研究結果です」
「……ふざけないで」
「いいえ、本気です。事実、あなたたちはなにもできずに、次々に芋虫のように無様に地面に這いつくばっている。ところで、先ほど言いましたよね、なぜ殺さないのか、と。教えてあげましょう。あなたたちは――餌です」
サビーナを含め、拘束された者たちが凍りついた。
「今まで与えていた餌は無造作に攫った人間でした。次は餌の質を上げようと思います。魔術師を、それもできるなら優秀な魔術師が好ましい。ごらんなさい、ここは餌の宝庫です」
ひとり、またひとりと糸に絡め取られ拘束されていく。離れたところに待機していたスナイパーにまで糸が届く。老人を殺す可能性をことごとく潰されてしまった。
ヴェロニカも意識こそあるがダメージが大きいのか、わずかに身じろぎをしている程度でしかない。
「あなたたちの敗因は、真っ先に私を狙わなかったことです」
バロン・トルネオを軽視したわけではない。【異界の住人】を操っている彼を軽んじることなどできない。だが、それ以上に【異界の住人】という化物が脅威だった。だからこそ、まずは彼から武器を取り上げようと、巨大な障害から排除しようとした結果が敗北だった。
最初からバロンを狙っていても、二体の化物によって阻まれていただろう。しかし、数だけはこちらが勝っていたのだ。死を覚悟して、仲間を犠牲にすれば、老人を仕留めることができたかもしれない。
今となってはあとの祭りだった。
人型の【異界の住人】が倒れているヴェロニカの手を掴み宙づりにする。
「上質な餌も手に入りました。【異界の住人】を二体も失うことになったのは大きな痛手ですが、幸い下位種。手元には上位種が二体残っています。結果だけ見れば、まずまずでしたね」
攫ってきた餌数名も、コンテナの中に入っているので怪我ひとつしていない。仮に死んでしまったとしても、大量の餌が新たに手に入ったので問題はなかった。
「では、餌にならない警部殿をそろそろ楽にしてあげましょう」
「ふ……ざけ、るなッ!」
腹部の激痛と血を流したことで意識をもうろうとしていたマーティンが、バロンに向けてライフルを撃つ。しかし、かすることもせずに、的外れな場所を弾丸が撃ち抜いただけ。
「……ちくしょう」
最後の力を振り絞ったのか、彼の手からライフルが落ちた。
「警察もなかなかの武器を所持しているようですね。威力は【異界の住人】には通用しないでしょうが、傷つけることくらいは可能ですか。私に当たったら体が粉々でしたね。――では、殺せ」
この場でもっとも厄介なのは魔術師ではないマーティン・ローディーと判断したバロン。躊躇うことなく蜘蛛型を操り、鍵爪を振りおろさせる。
「マーティンっ! やめなさいっ!」
サビーナが絶叫し、意識のある誰もが目を瞑った。
そして、蜘蛛型の上位種の鍵爪がマーティンを引き裂こうとした瞬間――二本の鍵爪が宙を舞った。
「……なにが起きた?」
思い描いていたものとは違う結果に、バロンが目を見開く。
「すみません。遅れてしまいました」
警察車両の屋根に、ひとりの青年が静かに降り立った。
左手には鞘を、右手には抜身の刀を持った青年の姿は、やぶれた服と体中に包帯が巻かれて痛々しい。すでに満身創痍だと誰もがわかった。
鞘を持つ左手には、抱えるようにしてマーティンの姿がある。死んではいない。しかし、出血が止まっていない。青年は自分にまかれている包帯を外すと、マーティンの腹部にきつく巻きつけていく。
バロンはその光景を、呆然と口を開けて眺めていた。思考が追いつかない。理解ができない。否、理解をしたくなかった。
「……まさか、そんな馬鹿な。何故貴様が生きている、ニック・スタンレイッ!」
なぜなら、殺したと思っていたニック・リュカオン・スタンレイ――オウタウ最強の魔術師がそこに居たのだから。
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