第26話「最強参戦」1





 幽霊でも見たように驚愕しているバロンを無視して、ニックは亡きコハクの愛刀を構えて疾走する。


「仲間を返してもらいます」


 一閃。白刃が弧を描いた。


 確かな手ごたえを感じたと同時に、ヴェロニカを宙づりにしていた人型の【異界の住人】の腕が斬り落とされる。


「操られても叫ぶほど痛んだね。哀れだ」


 つんざくような絶叫をあげる人型から同僚を奪い去ると、大きく後方へ跳躍した。

 マーティンが横たわる警察車両の上に、彼女もそっと置く。


「……ニック。やっぱりきちゃったのね」


 意識を取り戻したヴェロニカが、青年の頬へと手を伸ばす。彼女の手を取り、安心させるように微笑んだ。


「ごめん。だけど、君に言われた通りにコハクの刀を持ってきたよ」

「勝てるの?」

「わからない。でも、勝たなければいけないと思う」

「なら、勝ちなさい」


 彼女の言葉に、ニックは小さく頷いた。


「わかった、勝つよ。だから君はこのまま大人しくしていてくれ」


 刀を構え、体を低くする。八本の足を鳴らして威嚇してくる蜘蛛型の【異界の住人】を見据えた。


「なぜ、なぜだ! どうして生きている、答えろ、ニック・スタンレイッ!」


 背後から怒鳴るように問いかけてくるバロンに、青年は静かに答えた。


「なぜだろう。理由は僕にもわからない。ただひとつ、あなたが僕を殺し損ねた。ただそれだけじゃないかな」

「……ふ、ふざけたことを」

「そして、僕を殺し損ねたという自らの失態で、あなたは敗北するんだ」

「私は失態など犯していない。生きているというのならば、もう一度殺してやるッ!」


 つばを飛ばすバロンの感情のまま、蜘蛛型がニックへと肉薄する。

 腕はすでに斬り落とされてしまったが、八本の足が、ニックを貫かんと槍のごとく放たれる。

 一本を避け、もう一本を斬り落とし、返す刀で避けた最初の一本を斬り落とした。


 誰もがこの光景を信じられないと、言葉を失い呆然と眺めつづける。バロンも例外ではない。

 青年の脳裏に浮かぶのは、生前のコハク。剣の師であり、兄のようだった人。彼が繰りだす斬撃の速さと比べると、蜘蛛型の動きあまりにも遅い。


 さらにもう一本を斬り落として、一歩前へ踏み出す。

 恐怖はある。叫んでしまいそうなほど、恐ろしい。いくら【異界の住人】の上位種が人間に近い体をしているからといっても、人間ではないのだ。根本が違うのだ。恐怖するなというほうが無理な話だ。


 だが、恐怖を捨てる必要はない。恐怖こそが戦いの中で生き残る術だから。しかし、それ以上に勇気を持てと、ニックはコハクから教わった。恐怖に飲み込まれようが、支配されようが、


「――一歩前に踏み込む勇気を胸に抱き続けろ」


 コハクが口癖にしていた、戦闘時の心構えを言葉にして反復する。

 襲いかかってくる蜘蛛型。残った足で、青年を包みこむように貫こうとする。それよりも早く、一歩を踏み込み、さらに懐の奥へ潜り込む。


 そして、一閃。


 袈裟懸けに【異界の住人】の体を大きく斬り裂いた。絶叫と同時に、酸のような熱い血飛沫が吹き出す。ニックの頬や額に酸の血がかかり激痛が走るが、奥歯を噛みしめて苦痛を堪えた。左手にある鞘で蜘蛛の体を殴りつけて、間合いを取ると、取り囲んでいる蜘蛛の足を斬り裂いた。


 ニックは致命傷こそないが、肩や腕に裂傷を負っている。だが、【異界の住人】を相手にこの程度の傷は軽傷でしかない。

 蜘蛛の足は残り一本、後脚だけ。腕もなく、もはや達磨状態だ。それでもバロンに操られて、蜘蛛型の上位種は口から高速で糸を吐くが、青年は余裕をもってかわしていく。


 仮に、老人が【異界の住人】を意思のない人形として操るのではなく、【異界の住人】の意志によって戦わせていたら、ニックはとうに死んでいたかもしれない。

 接近戦を苦手とする魔術師である青年にとって、蜘蛛型と今立っている距離にはあまりにも死が多過ぎた。その死をすべてかいくぐり、生きているのだ。


 彼がいくら【超越者】だと呼ばれようが、【異界の住人】の前ではそんな称号はないに等しく、一瞬でも判断を謝れは死に直結してしまう。

 多くの死を数多の判断と直感で回避することができてこそ、化け物と戦えるのだ。

 才能という言葉ではあまりにも表現が足りない。だからといって、適切な言葉は見つからない。


 極論を言ってしまうなら、単身で化物と戦うには自らも化物でならなければいけないのだ。


 しかし、バロンはそれが理解できない。ただ怪物を操っているだけの研究者にはニック・スタンレイという魔術師が理解できなかった。

 どうして【異界の住人】という化物と戦えるのかわからない。

 なにをどう考えれば、死を回避するために一歩死に近づく必要があるのかわからない。


 正気の沙汰ではない。

 バロンにはニック・スタンレイが恐ろしく見えた。自らが操る異形よりも、よほど怖い別のなにかに思えてしかたがなかった。

 この場は戦闘者たちの領域だった。ゆえに、研究者である老研究者のように戦闘者でない者にはわからない世界なのだ。


 老人は【異界の住人】へ命令ができない。どれだけ薬物を使って集中力を増していようとも、理解できないものは理解できない。理解できない未知の塊であるニックに対し、どう攻撃をすれば彼を葬ることができるのかわからない。

 なにひとつ理解できないものに対策ができるはずがないのだ。


「――貴様は、狂っている」


 どう考えても、ニックの行動はまともではない。研究のために狂気を選んだ狂人から見ても、青年のほうがよほど狂っていると思えてならない。自らの命を代償に戦うなど――あまりにもナンセンスだ。


 もう蜘蛛型の【異界の住人】は、なす術なく動きを止めている。いくら上位種という最強の化物であろうと、腕をなくし、八本あった足も一本だけしか残っていない。せいぜい糸を吐くだけ。戦いになるはずがない。


 バロンもそれはわかっている。わかっているからこそ、こうなってしまったことが受け入れられない。

 そして、ニックには確信があった。この戦い自分が勝つということを。


 体は先の戦いでボロボロであり、刀を握っていられるのも身体能力向上魔術を重ねがけしたおかげだ。アドレナリンを分泌させて、痛覚も鈍くしている。そうしなければ立っていることさえ辛い。


 残された時間がどのくらいあるのかはわからない。もう少ししたら戦えなくなるかもいしれない。だからこそ、少しでも早く勝利しなければいけない。

 未だ老人は気づいていないようだが、若き魔術師はとうに気づいている。


 ――【異界の住人】の強さはこんなものではない。


 奴らが化物と言われ恐れられる由縁は、圧倒的な暴力、不死身とも思える再生能力、そして特化した魔術を自らの能力として使えることだ。

 バロンが扱えていることは、せいぜい圧倒的な暴力のみ。傷は再生せず、魔術らしき攻撃もない。


 現時点でも十二分に脅威であるし、ニックは一度死んでしまったので偉そうなことは言えない。しかし、だからこそわかったこともある。


「バロン・トルネオ。あなたはよく【異界の住人】という化物を制御して操ったと思います。手段は決して褒められたものではなく、嫌悪さえ覚えるが、それでも結果だけ見れば実験は成功なのかもしれない」

「なぜ、いきなり褒め言葉を……どういうつもりだ?」

「しかし、それ以上にあなたは多くの失敗をした。ひとつ、実験に多くの犠牲者を出したこと。二つ、下位種では飽き足らず上位種まで制御しようとしたこと。下位種のみに限定しておくべきだった。三つ、あなた自身に戦闘経験がないにもかかわらず、実験と称して実戦を行ったこと。そして最後に、あなたが【異界の住人】の本当の恐ろしさを知らなかったことです」


 ニックの指摘にバロン鼻を鳴らす。的外れなことを言われ、心外だと言わんばかりに表情を歪めた。


「多くの失敗? そんなことはしていない、君の意見に否定をしよう。ひとつ、犠牲者は確かに出たが尊い犠牲だ。いずれ、それ以上の人間が救われる結果になる。二つ、下位種ではなく上位種を制御できるからこそ私の実験は成功したのだ。三つ、戦闘経験がないことは認めるが、私は敗北していないのでその指摘に意味はない。これで最後だ、この大陸で、いや、この世界で、私以上に【異界の住人】を理解している者は存在しない!」

「なら、どうしてあなたは制御下にある【異界の住人】を再生させない? どうして【異界の住人】が持つ固有スキルである特化型魔術を使用して攻撃しない?」

「そ、それは……」

「あなたの答えを聞くまでもない。ただ、あなたが使い方を知らないだけだ。再生方法も、本来の力の使い方も。追加しましょう、あなたは研究を間違えた。【異界の住人】を制御したかったのなら、思考を奪うのではなく、従順な化物にするべきだった。そうすれば、きっとこの戦いでの勝者はあなただったでしょう」

「なにを、まるでもう戦いが終わったようなことを――」


 刀を水平に構えたニックを見て、思わず言葉が止まる。

 老人は今さらながら、なぜ彼との会話に付き合ったのかわからなかった。

 例え足一本しか残っていない蜘蛛型とはいえ、目と鼻の先にニックは立っているのだ。殺そうと思えば、なんらかの方法があるはずだ。いや、違う。腕を斬り落とされたとはいえ、もう一体の人型の上位種に襲わせればいい。


 ここではじめて、バロンは【異界の住人】を制御ができていないことを自覚した。

 最初は余裕があった。ビルから見下ろし、二体の【異界の住人】を視界にとらえ、自在に操ってみせた。しかし、ニックが現れたことで、心に余裕がなくなった。気づけば蜘蛛型しか操っていない。人型は棒立ちになってしまっている。思考を奪った弊害がここで出てしまっていたのだ。


 指摘されたことが正しいと理解してしまった。ゆえに、認めることができない。

 このままニックが勝利することが我慢ならない。

研究はやり直せばいい。ここまでできたのだから、修正はいくらでもきく。


 なによりも恐ろしいのは、ここで敗北して捕まることだ。捕まれば死刑になるだろう。いや、捕まる前に殺されるかもしれない。殺されなかったとしても、捕まってしまえば判決が出る間、研究もできない。


 嫌だ。嫌だ、嫌だ。


「やめろ、ニック・スタンレイッ!」

「刀衝術奥義一ノ型――雷鳴突刺らいめいとつし


 ゼロ距離から放たれたのは、刀に凝縮された魔力を雷に変換した、雷速の突き。

 雷光と雷鳴が蜘蛛型の【異界の住人】を蹂躙していく。

雷と魔力によって雷速で放たれた突きの一撃は、蜘蛛の下半身と人の上半身の繋ぎ目を貫くだけでは飽き足らず、上半身と下半身を二分とした。


 あまりにも容易く、千切れ飛んだ化物の残骸は雷の余波で焼かれ炭となる。

 轟音を立てて、蜘蛛型の背後に建っていたビルを余波で砕き破壊させると、化物は絶叫を上げる暇もなく、絶命した。



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