第17話「敗北」




 振り上げた拳がバロンに迫る前に、ニックは人型の【異界の住人】に吹き飛ばされてしまう。宙を舞いながらも投げたナイフが再び老紳士の喉元を狙うが、蜘蛛型の【異界の住人】の鉤爪によって弾かれた。


 老人は一歩も動いていない。それどころか、防御をする気配も見せなかった。代わりに、まるで彼の手足のように化け物が脅威から守った。命令を一切していないのにもかかわらずに、だ。


「それは少しずるいと思うんですけど?」

「ふ……長年の研究の成果ですよ」

「じゃあ、ずるじゃないのか。だけど、人を餌にするために攫うのは許せない」


 身体能力強化魔術を発動させる。疾風怒濤の勢いで、再びバロンへと向かうが、やはり【異界の住人】が邪魔をする。だが、それは狙いどおりだった。

 人型が守るために直線状に立つと、蜘蛛型が隠れる。二重にバロンを守っていることを考えれば、必要以上に強固な壁でしかないが、はじめから【異界の住人】を相手にするなら、短い時間ではあるが一対一として向かい合える。そして、その考えは成功した。


 音を立てて人型を蹴り、殴りつけるニックの連続攻撃に化物の体が一歩だけ後退した。

 先ほど殺した一体よりも硬く、痛みが走る手足から、攻撃したつもりが攻撃されたような錯覚さえしてしまう。目の前に立っているだけで、恐怖を与えてくる上位種は例え人間の制御下に置かれていてもそれは変わらない。


 しかし、青年はわずかな攻防の中で、どこか違和感を覚えた。その違和感を確かめる間もなく、人型の攻撃が襲いかかってくる。

 目にも止まらぬ速さでくり出された拳を紙一重で避ける。続けて、縦一閃に鉈が振り降ろされるが、それもまたかわすことができた。


 身体能力強化魔術をしていたからではない。もうすでに、その魔術の効果は切れている。今のニックは鍛えた体のみで戦っているのだ。だというのに、二度も攻撃をかわすことができたことは快挙である。だが、やはり違和感を覚えた。


 凪ぐように鉈が振るわれ、地面に伏せるようにしてその一撃をやり過ごすと、足払いをするために膝を狙う。

 人型は跳躍して避けると、鉈を青年へと一直線に投げつける。左へに飛んで避け、宙にいる人型へ魔術を放つために精霊たちに干渉する。


 大地の精霊たちが鋼鉄の槍を数多生み出し、人型の着地地点が巨大な剣山のように凶器となる。しかし、化物はひとつの抵抗もなく、剣山の上へと着地した。

 鋼鉄の槍をへし折り、曲げて、化け物は傷ひとつなく平然としている。


 思わず舌打ちをしてしまった。武器で傷つかないのはわかっている。亡きコハクほどの刀の使い手であれば、【異界の住人】に通用する技術と技量を持っていたが、ニックは技術を継承していても十全に使える技量がない。


 ゆえにニックが得意とする精霊魔術により、精霊たちにとっても敵である化物に攻撃を仕掛けるが、精霊の攻撃よりも【異界の住人】の体のほうが硬かった。

 接近戦はしたくない。すでに拳からは血が流れており、握れそうもない。蹴りを放った足もまた、痛みを感じている。折れてはいないが、ヒビは入っているのかもしれない。しかし、


「――弱点を見つけましたよ」


 ニックは不敵に笑って見せた。


 ここまでで二分。


「ほう。弱点、とは?」

「ええ、時間稼ぎを兼ねて教えてあげますよ。聞きますか?」

「いいでしょう、聞きましょう」


 一本指を立てる。


「指摘する部分は多々ありますが、大きな問題点はひとつだけ。それは、バロン・トルネオ、あなた自身だ」

「ほう。興味深いですね。私のなにが問題だと言うのですか?」

「あなたは確かに【異界の住人】を制御下に置いている。それは正直に凄いと思います。僕ではこんなことができるのか想像すらできない、もっとも人を攫って餌にするような男の手段など想像もしたくはないですけどね。あなたは制御下に置く過程で、完全に人類の敵から意志を奪っている。ならば意志を奪われ操り人形となった化物をどう動かすのか――それは、やはりあなた自身だ」


 老紳士は首肯する。興味深く青年の話を聞き、その上で自らが【異界の住人】を操っているのだと認めた。


「確かに、私は【異界の住人】を制御下に置く過程で意識を奪っています。そうしなければ、彼らの凶暴性は抑えられない。しかし、それでも彼らの食欲だけは抑えられませんでした、だからこそ私は餌を与える。その工程でも色々あるのですが、あなたは知りたくないでしょうし、私は教えたくないので省きます」

「話題を変えたつもりだとしたら、あまりにもおざなりだ。研究者ならもっと興味を抱くような話をしてもらいたいですね。続けましょう、あなたは【異界の住人】を操る魔術を使っている。だが、その操り方に問題があるようです。わかりますか?」


 ニックの問いにバロンは両手を上げて、降参ですと呟いた。


「認めましょう。私には戦闘技術がない。魔術師すべてが戦闘に特化しているわけではないのです。こればかりはしかたがない」

「もちろん、あなたもこのままではいけないと思ったはずだ。ゆえに、今回のような実験を起こした。そうでしょう?」

「正解です。私は確かに彼らを制御下にする方法と操る魔術を作り出した。そこまではよかった。だが、大きな欠点、それは今あなたが指摘した通りのこと。ゆえに私は欠点を克服するために、まずは操ることに慣れるべきだと思いました」

「事件を起こせば、警官や魔術師が動く。小さな事件なら、そこまでの実力者は動かない。始まりはきっと小さな事件だったはずだ。そして回数を重ね、一体を操ることから、二体へと増やしていった。人間では逆立ちしても超えられない強さを持つ【異界の住人】なら、十全に操ることができなくても、二体操ることができればそれだけで脅威となる。しかし、あなたはそれでは満足しなかった」

「まるで私の行動を見てきたようにものを言いますね」


 まさか、とニックは笑って否定する。男をストーキングする趣味などないのだ。


「だけど間違っていないはずだ。あなたは研究者だ。すべてを知ろうとする者だ。そんなあなたが中途半端なままで満足することができるはずがない、事実あなたは事件を起こし続けた。そして、【異界の住人】に餌を与えるために失踪事件も起こした。だが、あまりにもランダムだったために、被害者がはっきりと出るまでは二つの事件を結びつけることはできなかった。以来、あなたは十全に化物を操るために事件を起こし、警官と魔術師と戦うことで少しずつその技術を確かなものへと昇華しようとしていった」

「その通り! 今では私の意志のまま『異界の住人』は動く。歴史上、このような快挙を成し遂げた者はいただろうかッ?」


 老人の言葉通り、歴史をどれだけ紐解いても、『異界の住人』を制御し操ることに成功した魔術師はいない。そもそも脅威としてしか認識できない化物を操ろうなどと誰が思うだろうか。


 研究者の多くは、【異界の住人】を効率よく殺す方法をはじめ、この化物どもがどこからなにを目的でこちらの世界へとやってきているのかを調べているのだ。そういう意味でも【異界の住人】研究者の中で、群を抜いてバロンは変わり者だろう。いいや、狂っていると言い換えても間違いではない。


 実験の過程で人間を犠牲にしてまで果たそうとする執念は、もはや狂気しか感じない。

 変わり者であろうと、少し頭がおかしかろうと、研究者は研究を認められたいのだ。そのために、必死に研究をする。その研究過程で人道を外れてしまえばたちまち非難の対象となり、学会はもちろん魔術師としても追放され、最後には犯罪者となる可能性も大いにある。


 人間として守らなければいけない、当たり前の境界線が存在しているのにも関わらず、



 ――バロン・トルネオはその一線を超えてしまった。



 称賛も、名誉も必要ない。ただ、自己を満たすための欲望だけを持って。


「あなたは狂っている」

「自覚はしています。だが、そんな私とまるで共感したように、私がしてきたことを言い当てることができるあなたは、自分のことをまともと言えますか? いいや、まともではない。高位魔術師など、どこか壊れているものだ。あなたのように【超越者】ならなおのこと。【異界の住人】を操ろうと凡人な研究者が思わないように、【異界の住人】を殺そうなど凡人の魔術師は思わない」

「言われるまでもなく、僕は僕自身が普通ではないことを知っています。だから、この一年間普通であろうとした。普通になりたかった。あなたが事件を起こさなければ、普通になっていたかもしれない」

「いいえ、どれだけ努力をしてもあなたは普通になどなれませんよ。普通でありたいのなら、例え仲間が死のうがどうなろうが、恐怖に怯えて逃げればいい。あなたは今、この瞬間、まったく逆のことをしている。決してまともではない。これからもまともにはなれはしない」

「そうかもしれませんね。最後に、確かにあなたは二体を十全に操っている。魔術師としては見事だと言う他ないでしょう。しかし、その有能さが仇となったことに気づいていますか?」


 すべてを理解していたように余裕のあったバロンの表情がはじめて曇る。ニックがなにを指摘したのか、わからなかったのだ。


「……いったい、なにを?」

「あなたは【異界の住人】が強すぎるせいで、戦う相手を弱者に選んだことで錯覚してしまった」

「私がなにを錯覚したというんだ、ニック・リュカオン・スタンレイ!」

「それは、あなたが戦いに関してまったくの素人だということですよ。僕は、短い時間だがあなたの操る【異界の住人】と戦った。恐ろしいと思った。死んでしまうかと思った。逃げ出したい衝動に何度も駆られました。だが、それだけでした」

「……どういうことだ?」

「質問に質問を返してしまうことになりますが、あなたは【異界の住人】と戦ったことがありますか?」

「なにを馬鹿な、そのように気が狂ったことを私がするはずがないだろう!」

「そうでしょうね。だから不思議なんです。あなたはなぜ、【異界の住人】の真の恐ろしさを知らずに、奴らを十全に操れていると思うのですか? なにをもって成功だと言うつもりだったんですか?」

「……それは」

「間違いなく、あなたの操る【異界の住人】は脅威であり恐怖でしかない。だけど、それだけです。意思を持った奴らは、向かい合っただけで心臓が止まりそうな、言葉にはできない恐ろしいなにかがある」


 バロンの失敗は、操った【異界の住人】の基礎身体能力があまりにも高すぎたこと。

戦いの素人が操ったとしても、人間には十二分の脅威となってしまう。ゆえに、制御して操ることを可能としても、化物を細かく最善にどう動かすかということに考えが至らなかった。結果、彼は化け物を人のように動かしたのだ。


「現在もまだ実験の過程だと言っていたので、もしかすると追々気づいたかもしれませんが、現時点であなたは気づけなかった。気づいていれば、僕はもう死んでいた。化物を化物のように動かさないでどうする? 化物を人間のように動かして、なにがしたかったのか? もう一度言いましょう――弱点はあなた自身だ」


 四分が経過した。残り一分。


 会話だけでこれだけの時間を稼ぐことができたのはニックにとって、幸運だった。

 指摘通り、確かにバロンには弱点がある。しかし、それを無視して補えるほど、【異界の住人】は脅威なのだ。仮に、老人が自分の言葉に耳を貸さずに戦いを続けていたら、青年は今ごろ死んでいただろう。


 彼が研究者ではなく、戦闘者であれば、こちらが口を開く前に殺していたはずだ。

 バロンは、研究者ゆえに弱点を生み出し、研究者ゆえに耳を傾けてしまったのだ。


「僕はあと一分、時間を稼げばそれでいい。その結果、死のうと、生きようと、僕の勝ちだ」

「……認めましょう。確かに、私は研究者であって戦いは素人です。ゆえに、あなたの指摘通りのミスをしてしまった。ならば、ニック・リュカオン・スタンレイ、あなたが私のミスを誰かに口にする前に、ここで殺します。そのあとにゆっくりと私の最終目標である到達点――【異界の住人】の意志を残したまま制御する方法の研究を始めようと思います」

「一応、奴らの意志を残すことは考えていたんですね」

「もちろんです。彼らの凶暴性を思えば、意志や思考は不必要と判断していました。しかし、私が称賛を受け、後世に名を残すにはもっと実験を繰り返さなければいけないようです」

「そんなことをさせると思っているのか?」


 正直、呆れた。老人は、この後に及んで誰かに賞賛されるつもりだったらしい。


「僕が保証します。あなたの名前は後世に残るでしょう。【異界の住人】を操り大量殺人をした連続殺人鬼として」


 青年の言葉を受けたバロンが、血走った目を見開き吼えた。


「ふざけるなッ! そんなことが許されるわけがない、あってはいけない! 私は確かに命を奪った。だが、弄んだことなど一度もない。必要な犠牲だった。その犠牲の上に、【異界の住人】の制御を可能として操ることまで可能としたのだ! 犠牲は出たが、未来の犠牲はこの技術が更なる発展をすれば抑えることができると、あなたにならわかるだろうッ!」

「わかりたくもない。それはあなたの都合のいい解釈と言い訳だ。どんなに理由があったとしても、あなたに誰かの命を奪う権利はない。あなたは研究者でもなく、ただの人殺しだ」


 老紳士の仮面を脱ぎ捨てて、狂気に満ちた研究者と戻った老人の叫びをニックは一蹴した。


「貴様ぁああああああああッ!」


 激昂したバロンが、自らの汚点を知る唯一の人間を殺すべく化け物をしかけようと操るよりも早く、


「――狂音きょうおん


 表現できない不快な音が老人の鼓膜に襲いかかる。脳を焼き鏝でかき回されたような激痛と不快感が襲いかかり、思考を働かすことができずに膝をついた。

 その隙を逃さない。畳み掛けるように、


「――断切炎だんせっか


 炎の刃を生み出したニックが、頭を抱えて動けないバロンに肉薄する。そして一閃。老紳士の左腕が、血飛沫を巻きながら宙を舞った。


 対魔術師刀衝術狂音は、魔力と魔力をぶつけて異音を鳴らし、相手の思考、動きを鈍らせる技術だ。

 断切炎もまた、対魔術師刀衝術のひとつであり、高密度に圧縮された炎の刃は鋼鉄すら容易く切断する。


「う、腕がぁああああああああああッ!」


 バロンは苦痛から絶叫をあげた。


「くそ……失敗、しましたね」 


 怒りを込めた視線で射抜かれたニックは、舌打ちをしようとするが、代わりに吐血した。何度も咳き込み、血を吐く。

 全身の痛みに悲鳴をあげたい衝動を堪えて、無理やり思考を動かす。


 命を奪うための一撃は、動きを封じたバロンを殺す予定だった。だが、例え戦闘に関しては素人であるバロンだが、【異界の住人】を操り続けた経験だけはニックの予想を上回っていた。


 老人は炎の刃が体に届く前に、ほとんど使い物にならない思考を無理やり働かせて蜘蛛型の化け物を操りニックに攻撃をしかけたのだ。

 結果は言うまでもない。ニックは地面に倒れ、自身の吐いた血溜まりに顔をうずめている。


 すでにバロンを足止めするはずだった五分間は優に過ぎた。だが、青年は逃げることができない。

 立ち上がろうと、体を必死に動かすが、左腕が全く言うことを聞いてくれず、体を起こすことすらできなかった。


 勝負には勝ったが、死ぬ。ニックは覚悟した。

 死ぬことは嫌だが、するべきことをすることができた。それだけが唯一の救いだった。


 行方不明となったイリーナ・バンを見つけ出すことができなかったが、きっとヴェロニカが見つけてくれるはずだ。最後まで迷惑をかけてしまうことを胸の内で謝罪する。


「なぜだ、なぜ、私が思考で【異界の住人】を操っているとわかった?」

「……別に、僕なら、そう、すると、思ったから、です」

「それだけだと、たったそれだけのことで、私をここまで追い詰めたというのか?」


 驚きに顔を歪める老人だが、その表情は視界が霞みつつある青年には見えない。

 実際は表に出している表情以上に、驚愕しているのだ。

 長年、試行錯誤を繰り返した結果、リスクを承知で【異界の住人】と自分の間にリンクを繋ぎ、思考で操ることを成功させた。この方法がもっと簡易化されれば、軍事利用もできるかもしれないはずだった。


 しかし、わずかに戦ったニックによって、弱点を暴かれ、操作方法まで見破られてしまった。

 屈辱ではあるが、それ以上に彼に対する称賛を覚えずにはいられない。

バロンのツメが甘かったのではない、ニック・リュカオン・スタンレイという男が規格外過ぎた。ただ、それだけだ。


「貴方ほどの魔術師にはもう二度と会うことはできないでしょう。だが、あなたは危険だ、ニック・リュカオン・スタンレイ! 称号を貰い受けるためにも、私の失策を隠すためにも、ここで殺すしかない」

「……だったら、はやく、やってください」

「言われなくとも。今日から私が、バロン・リュカオン・トルネオだッ!」


 思考が回復しつつある、老人によって操られた人型の【異界の住人】がニックへと近づき、足を振り上げる。


「では、さようなら」



 ぐしゃり。



 柘榴が潰されるような音とともに、赤い飛沫が【異界の住人】を染め上げたのだった。



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