第15話「【異界の住人】研究者バロン・トルネオ」1




「バロン・トルネオ。あなたの名前は聞いたことがあります、【異界の住人】研究の第一人者でしたね」

「貴方のような高名な魔術師に知ってもらえているとは、光栄の至りです。もっとも第一人者というよりは、【異界の住人】の研究はよほどの変わり者か、物好きでなければやりはしないので、自然とそう呼ばれるようになっただけですよ」


 ビルの上からニックたちを見下ろして、バロン・トルネオは柔和に微笑む。


「その研究者がどうしてここにいる、と聞いたら無粋になるでしょうか?」

「いいえ、無粋とは言いませんよ。ですが、答えはわかっているはずですが」

「あえて問います。【異界の住人】をあなたは操ることができますか?」


 青年の問いかけに老紳士は笑みを深めた。


「ええ、もちろん。操ることができます」

「操った【異界の住人】を使い、人を殺しましたか?」

「実験の過程で殺しました」

「同じころ発生した、連続失踪事件に関与していますか?」

「しています。実験に犠牲はつきものです。彼らには申し訳ないと思いますが、我々が【異界の住人】という生物を知るためには必要な犠牲でした」


 痛ましい声をあげる老研究者の印象は、今回の一件を引き起こした人物にはとても思えない。


「自白してくれたのなら都合がいい、バロン・トルネオと言ったな。抵抗するな、貴様を一連の事件の容疑者として逮捕する」


 ニックとバロンのやりとりを静観していたマーティンが、低く唸る声をビルの上の紳士に向ける。瞬間、老紳士の態度が豹変した。


「黙れッ! 魔術師でもない、たかが刑事が私と【超越者】の会話に割り込むなッ!」


 唾を飛ばして怒鳴り散らすその姿には、間違いなく狂気が宿っていた。

 しかし、マーティンも負けてはいない。バロンと【異界の住人】のせいで多くの被害者を、魔術師と警官を失っているのだ。怒鳴り散らしたいのはむしろ彼のほうだった。


「黙るのは貴様だ。犯罪者の自覚あるなら、観念しろ。姿も名もわかった以上、決して逃げられんぞ」


 マーティンだけではない。ここにいる誰もがバロンの今までの凶行を思い出し、怒りで我を忘れてしまいそうになるが、必死に堪えて冷静に努めようとしている。

 ここで冷静さを欠いてしまえば、今までの犠牲が無駄になってしまう可能性が大きい。


「僕からも忠告します。あと一体【異界の住人】を操っているらしいですが、僕が押さえている間にあなたを拘束すればおしまいだ。無駄な抵抗は損をすることになりますよ」

「ご心配痛み入ります。ですが、貴方は、いえ貴方たちはいささか勘違いをしているようだ」

「勘違い?」

「ええ、なにをもって、私が操っている【異界の住人】が二体だと判断しましたか? 当ててみせましょう、現場の食べ残しから判断した。そうでしょう?」

「その通りです」


 なるほど、とバロンは頬を歪めた。そして嘲笑うように、クツクツと声をあげて笑う。


「なにがおかしいんでしょうか?」

「いいえ、だとしたら滑稽だと思っただけです。現場証拠だけで、すべてをわかった気になっている。それがどうしても、愚かだと思っただけですよ」


 老紳士が指を鳴らす。そして、誰もが言葉を失い、その場に立ち尽くした。


「私がいつ、【異界の住人】を二体しか操っていないと言いましたか? 正解は三体です」


 老人の背後に現れたのは、姿形こそ異形だが、先ほどの巨体の化物とは違い、人間の姿に近い体格だった。

 誰もが息を飲む。


「そんな、まさか、あなたは上位種まで操っているというのですか?」

「ええ、苦労させられました。如何せん、知能が高いので時間はかかってしまいましたがね、結果だけ見れば上々です」


 バロンの右後ろには、黒く細い筋肉質な体躯を持ち、肉体と同じ黒く巨大な鉈を担ぐ人型の【異界の住人】が。左後ろには、上半身こそ人型だが、腕は鉤爪になっており、下半身が蜘蛛の姿をした個体がいた。

 二体の共通点は、耳もとまで裂けた口から覗くギチギチと音を立てる密集された牙。


 そして、ついさっき戦った巨体の【異界の住人】に意志があったったのに対して、自我を失っているのか虚空を眺め、口から唾液のようなものをこぼしている。

 まるで醜いマリオネットだ。


「実に美しいと思いませんか? 人間ではどんな魔術を使っても決して真似をすることのできない【異界の住人】の姿、力、そして備え持つ属性攻撃の脅威を!」

「哀れなほど典型的だ。研究をしていくうちに、化け物に取り憑かれたようですね」

「それは違いますよ、ニック・リュカオン・スタンレイ。取り憑かれたのではなく魅了されたのです」

「僕にはその違いがわからない、だけど、わかる気もない!」

「それは残念だ。さあ、可愛い私の人形よ、いきなさい」


 バロンの言葉とともに、ビルの屋上が崩れ落ちた。次の瞬間、ニックたちの周囲で鮮血が舞い散る。


「くそっ! 速すぎる!」


 ビルを破壊してしまうほど爆発的な勢いで屋上を蹴った【異界の住人】二体が、警官と魔術師の命を一瞬にして奪い去った。

なおも殺戮は続く。警官が抵抗しようと拳銃を抜く前に、人型の化物が腕をちぎり、喉へと食らいつく。間欠泉のように血が吹き出し、呆然としていた周囲の者を真っ赤に染めた。


 混乱が起こる。誰もが我先にと、この地獄の入り口から逃げようとするが、蜘蛛型の化物から吐き出された糸によって動きを封じられてしまう。そして動けなくなった魔術師は、恐怖に顔を歪めることをする暇も与えられずに、鋭い牙で顔の半分を噛みちぎられて絶命した。

 悲鳴があがり、恐怖と混乱が伝染していく。


「落ち着け、落ち着けと言っているだろうっ!」

「後退して隊列を組みなさい。冷静に、冷静になりなさい!」


 マーティンとサビーナがそれぞれ部下へ声を荒らげるが、指揮官たちの声は誰にも届いていない。

 誰もが夢なら覚めてくれと願いながら、この場から少しでも遠くへと逃げようとする。


「ニック、私たちも一度後退するわよ!」


 ここで逃げる選択をするヴェロニカへ、ニックは非難の視線を送った。


「このままじゃ!」

「気持ちはわかるけど、ここで死んでしまってはどうにもならないわ。相手は上位種が二体もいるのよっ!」


 そう。例え、バロンによって意識を奪われていようが、敵が【異界の住人】の上位種であることは変わりがない。青年が先ほど殺した下位種がかわいく思えるような、恐ろしい悪意と絶望の塊のような化物なのだ。


 この混乱の中では、いくら【超越者】たるニックであっても、奴らを相手に戦うことは不可能だとヴェロニカは判断した。

 苦渋の決断だった。唇を噛みしめて、ニックも決断しなければならない。地面を蹴ると、届かないとわかっていながら大声を張りあげているマーティンの体を抱きかかえる。


「ニック、てめぇ、なにしやがる!」

「一度退くしかありません。あなたが部下を想っているのは知っています。だが、あなたになにかあれば、サマンサさんが悲しんでしまう」

「……っ、だからと言って」

「もう手遅れでしょう!」


 マーティンの声を掻き消すように青年が叫ぶと、抵抗していた警部の体から力が抜ける。


「すみません」


 短く謝罪をして、ニックは走る。背後では阿鼻叫喚と化し、地獄の淵が覗いている。


 たった二体の【異界の住人】によって――いや、違う。たったひとりの魔術師によってオウタウの街に作られた地獄だった。


 ニックは地獄に飲み込まれてしまわないよう、ただひたすら走り続けた。



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