3 ガーディアンガールと異変のはじまり

「……それで楓ちゃん、結局ライバルのアシストしちゃったワケ!? だめじゃん!」


 事の顛末を聞いた繁縷の容赦ないダメ出しに、楓はライバルとかそういうのじゃないし、と消え入りそうな声で呟いた。あまり精神力には自信がないので、だめじゃん、などと言われてしまうと心にぐさりと刺さる。

 翌日の昼休み、百合は楓たちの教室にやってきた。そして楓が聞いたと全く同じ、グリーンカーテンの話をして槐に礼を言い、彼をクレープ屋に誘った。槐は大げさだと言い遠慮したが、同級生たち、特に女子が「まさか鬼崎さんの誘いを断るのか」と槐に迫った。百合に恥をかかせるなどとんでもない、と鬼気迫る女子たちの表情に傍目に見ていた楓もそれは慄いたものだ。結局槐は押し負けるような形で「塾の時間に間に合うなら……」と百合の誘いを受けることとなった。

「なんで伏見なんだよー! チビなのに!」

 満足げな笑みを浮かべて百合が教室を去り、しばらく経ったところで一人の男子が嘆きの声を上げた。チビなのに、とはいかにもストレートな失礼発言である。すぐさま槐が「おいそこ聞こえてるぞ!」とが、百合の去った後の教室は嵐が来たかのように騒がしく、その声が相手に届いたかどうかは定かではない。


 ――でも、もうわたしに優しくしちゃだめだよ。不幸になるから。


 周囲の声も、隣にいる繁縷の声も、遠くに聞こえる。

 昨日、百合からかけられた言葉がいつまでもこびりついて離れなかった。不幸になるとはどういうことなのか。空耳ではなかったか。なにか意図があって敢えてその発言をしたのではないか。その真意を確かめたかったが、百合は今日、楓の方を一度も見ず、ゆえに楓も百合に話しかけることを躊躇し、結局聞けずじまいに終わってしまった。教室から出ていく百合に声をかけられなかったことを、強く悔やむ。

 繁縷はそんな楓の惑いなど知る由もない。

「距離の詰め方が早すぎるじゃん……鬼崎センパイって結構肉食系なのカモ?」

 楓が何気なく顔を上げた瞬間を見計らって、繁縷は焦ったそぶりを見せた。わざとらしい演技だが、そのわざとらしさまでも含めて芝居なのだろう。自分が作りたいのは脚本だけれども、そのためには芝居の練習も欠かせない、と言っていたことを楓はぼんやりと思い出す。

 繁縷は楓の背中をつついた。

「どうする楓ちゃん、伏見くん連れてかれちゃうヨ!」

「いや、クレープ食べるだけだし……」

「デートじゃん!」

「いやそんな、私は別に、あれこれ言う立場じゃないし……」

「だめだヨ! そんなゆったりしてたら肉食系女子に……ガオー!!」

「ひゃわああ!!」

 最終的に繁縷はがばりと飛びかかってきて、楓は予想外のスキンシップに悲鳴をあげた。



 放課後、靴を履き替えようとしていた楓は連れ立って歩く槐と百合の姿を目にした。眩しい太陽に照らされて、楽しそうに笑う百合の横顔を眺めていると、色々な考えが押し寄せるように、楓の頭の中に去来する。

 札束を出した百合を慌てて止めたこと、百合と二人で坂道を歩いたこと。

 恥ずかしそうに控えめに笑うのに、とても華やかな笑顔。

(……あんなに綺麗な人に誘われたら私だって嬉しいもの、断るなんてできないよ)

 まっすぐに槐を誘える百合の強さは楓にはないもので、それを持つ百合が羨ましい。

 百合の水やりを手伝う槐の姿を想像したときに感じた不思議な息苦しさ。そう、槐は誰にでも親切なのだ。楓だってもう何度も救われている。楓が知らないだけで、きっと彼に助けられた人は多いのだろうと思う。立派なひとだと、尊敬の念を覚える一方で、楓の心の中は靄がかかって晴れることはない。

 胸の中が、ぐるぐるとかき混ぜられるような気持ちだ。

(こんな気持ちになるの、なんだか嫌だな……)

 靴を履き替えて日向に出ていくのがためらわれる。沸き起こる気持ちにつける名前を楓は知らなかったが、楓はそれを厭わしく思い、しょんぼりと肩を落とした。





 商店街のアーケードの上を人知れず流れていく影があった。アーケードの下の人々がその影に気づくことはない。

 それは槍に乗った棗と、相乗りする譲葉だ。二人は今日も今日とて変わらず魔法を悪用中。譲葉は魔法で寮長の目を惑わし、棗はそんな譲葉を拉致して昼下がりの町を飛び回る。二人は楓が授業を終えて、この商店街に来るのを待っていた。商店街の外れにあるカフェで待ち合わせ、軽くお茶をしてからたまり場に行こうという算段だ。

「攻撃のタイプってどういうことですか~?」

『ガーディアンガールは持っている武器の特性によって、5つのタイプに分けられるんだ』

「ほほう」

 ふわふわと空を飛びながら、譲葉と棗はテレパシーでアカザからの講義を受けている。

『まず楓は「斬撃」タイプだな。剣を持って「斬り」の攻撃をするタイプだ。それから、譲葉は「打撃」タイプ。鈍器を手にして相手を「打つ」攻撃をするタイプだ』

「あたしはあたしは?」

『棗は「刺突」タイプだな』

「し、しとつ?」

 馴染みのない単語に、棗は珍しく眉を曇らせる。譲葉も後ろでハテナ、と口に出した上で、首をひねっている。

『槍や銛を持って、敵を「突く」タイプということさ』

「ははあ。他にはどんなのがあんの?」

『他には「狙撃」タイプがある。銃を持ったガーディアンガールだ」

「なにそれ強そう! あたしそれがよかったなー!」

 棗が目をきらきらさせる。棗の顔には急激に興奮の熱がこもり、棗の操縦する槍はぐらりと暴れるが、操縦する棗はもちろん、譲葉もバランスを崩すことはない。これは二人の訓練の賜物というわけではなく、この槍に乗ってしまえば誰でも――魔法使いでなくともそうなってしまうものだ。要は、乗るも落ちるも棗の意志一つ、ということらしい。

「アカザさんは打撃ですか~? 扇? センス? でよくナイトメア殴ってるし~」

 譲葉の問う声に、アカザはころころと笑い声を上げて、違うよ、と言った。

『はは、確かによく殴っているかもしれないな。私は「術式」タイプだよ。「術式」タイプが世間で言う「魔法使い」のイメージに最も近いかな』

「アカザねえ、光の弾放って敵ったりするもんね」

「光の壁でわたしたちを守ってくれたりとかするね~。魔法使いっぽい~」

『このタイプの武器は武器らしくないものであることが多い。私の知る限りだと、ボールペン程度の大きさのステッキだったり、あるいはペンデュラムだったり……ああ、これは簡単に言うとダウジングうらないに使う振り子のことさ。後は……そうだな、化粧筆、なんてガーディアンガールもいたな』

「化粧筆ぇ!?」

「戦える気がしない~……」

『武器の性能そのものより、持てる魔術が多いのが術式タイプの特徴だな。話を戻そうか。そういうわけで、先日交戦した角の生えたナイトメアは「打撃」に強い抵抗力を持っていた。だから譲葉の攻撃は通じなかったんだ』

「ふ~ん……」

 頬の中に詰めた飴玉をころころと転がしながら棗は唸った。アカザの話は難しいが、噛み砕かれているので棗もなんとかついていくことができる。譲葉が後ろから手を伸ばすので、棗はその掌に雑に飴玉を放り投げてやった。

「こういうのはでんでんがいたらサッとわかってくれて、あたしが頭くるくるしなくてもいーんだけど……」

 頭使うのってつかれるじゃん、と棗がごちると、アカザが笑い声を漏らすのが棗と譲葉の耳の奥で聞こえた。

 ナイトメアにも色々な種類があり、一定の攻撃に抵抗を持つものもいる、だから注意するように。そう忠告するアカザの言葉に、はあい、と二人は返事をし、三者間のテレパシーは終わった。

「でんでんにも伝えなきゃね~」

「既読もつかないし。まだ学校終わんないのかな」

 他愛のない話をしながら二人は飛び回った。長らく空には雲ばかりかかっていたが、今日はいい天気だ。商店街のアーケードの上は飛んでいても一般人に見つからない絶好のお喋りスポットだが、日差しはじりじりと暑い。

「……あれ」

 棗が身を乗り出した。ど~したの、と背後の譲葉が問う。棗は手元の携帯電話スマートフォンをすばやく操作すると、一枚の画像を画面に表示させた。

「あの男子アレじゃない? でんでんが最近付いて守ってる……」

「ライチが言ってた『きんのたまご』~?」

 棗の携帯電話スマートフォンに表示された画像は、黒いリュックを背負って歩いていこうとしている槐の写真だ。写真の横顔と歩く人影を何度も何度も見比べて、棗は間違いない、と譲葉を顧みた。

 さて、ここでなぜ棗の携帯電話スマートフォンに彼の写真が保存されているのかと言えば――棗から楓への強引な要求によるものだ。ヤツはあたしたちガーディアンガールたちが守らないといけない存在、なら外見くらい覚えておかないと。棗は楓にそう迫った――もちろんそれはガーディアンガールとしての本音ではあるのだが、黒羽根棗としての本音は言うまでもなく「でんでんが気にしてる男子の顔が見たい」だったわけである。写真の納品期限まで設定された楓はほとほと困り果てたが、どうにかこうにかこの写真を撮ることに成功した。あまりにも紆余曲折を経て撮られた写真なので詳細な経緯は省くが、結果としてこの写真を撮ったのは繁縷である。

 二人は商店街を歩く槐の動きを注視していると、やがて彼のもとに一人の女子が駆け寄ってきて、できたてのクレープを手渡した。譲葉はその様子を見て目を見開き、それから眉を八の字にした。

「……かのじょがいたのかぁ」

 譲葉のなんだか残念そうな声に、棗が即座に反応する。

「えー、カップルか? そういう感じに見えないよ」

「そう~?」

「男の方が一歩ヒイてるっていうか遠慮してるっていうか。女の方、リボンの色でんでんと違うよ。スカートも短いし……上級生っぽい」

 棗は普段からただでさえ良い視力をよりにもよって魔力で強化して、二人の様子を詳らかに譲葉に語った。ここにライチがいたら間違いなく、変なことに魔法を使うなと雷が落とされるであろう。

「つまり~……?」

「……上級生に言い寄られて困ってる! 追っかけようぜ」

 二人は頷き合い、人気のない裏路地に降りて変身トランスを解く。そして、商店街に消えていった男女の後を追った。





「伏見くんって、お医者さん目指してるんだって?」

 誰もいない、商店街の裏通り。古ぼけたベンチに槐を強引に座らせて、そのすぐ隣に腰掛けた百合は、こう切り出した。

「なんでそれを」

「風の噂で聞いたの。わたしもね、看護師目指してるんだ」

「……そうですか」

 体を屈めて、百合は下から槐の表情を覗き込む。槐は俯いたままだ。

「伏見くんはきっと素敵なお医者さんになるよ。そうしたら、その病院で看護師として働きたいな」

 百合がはにかむ。槐はクレープを一口かじって、ゆっくりと顔を上げる。

 沈黙が流れていく。

 百合は、かわらずその顔に微笑みをたたえている。

「……クレープ、ご馳走様でした。俺、塾があるので――」

 そう言って立ち上がろうとした槐の腕を、百合はがしりと掴んだ。彼女の手に込められた強い力に槐は思わず百合の方を見る。その刹那、百合は急に槐に体をくっつけた。突然密着され、槐はぎくりと肩を震わせて顔を逸らす。

 お互いの息遣いが聞こえる距離。あの、とその口から漏れた声は、いつもの彼にはない揺れを含み、どこか重苦しい。

「こういうの、なんて言うんだったかな? ――ああ、そうだ。『ガードが固い』って言うんだ」

「……、ッ……」

 百合は艶っぽい息を混ぜて囁きながら、槐の腕を両手で抱き込む。なめらかな腕と豊かな胸が少年の腕を包む。槐は息を詰めて、さらに顔を背けた。

 百合はゆっくりと槐の肩口に顔をうずめ、妖艶にその指先を槐の腕に這わせたが、程なくしてふっ、と笑った。

「――全然効かないね。魅了チャーム

 百合の片手がゆっくりと槐の顔に伸びて、恐ろしいまでに美しい指先がその顎先を捉えた。槐の背けられた顔を、ゆっくり、ゆっくりと、百合の方に引き寄せていく。

「でも、幻惑これは効いてる」

 ようやく、槐と百合の目が合った。百合は嬉しそうに、うっとりと目を細める。

 その微笑みは、魔的だった。


「ねえ、下の名前で呼んでもいい? だめじゃないよね。――槐くん」


 そう囁いた百合の唇の間から、鋭い八重歯が姿をのぞかせた。







 商店街の裏通りにたどり着いた譲葉と棗が目にしたものは、誰もいないベンチと、食べかけのまま地面に落ちているクレープ。

 落下の衝撃で無残に潰れた苺が石畳に赤い染みを作っていた。

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