ガーディアン・ガール!

のんた

プロローグ

真紅の少女

「それでスマホ見つかっちゃってさぁ。秒で没収されちゃってー」

「そこで没収すんの!? 厳しすぎ!」


 制服姿の娘が二人、だらだらと歩いている。

 陽も落ちて、宵闇が空を支配してからもう三時間近く。にもかかわらず、彼女たちはまだ家路につくつもりはないらしい。


「ねー、マジありえんわー。あー、次どこ行こっか?」


 初夏を迎えた夜の街角を吹き抜ける風は、生ぬるく湿っている。そんな風が居心地の悪さをもたらすのだろうか、娘二人は愚痴ばかりを繰り返しながらここまで歩いてきた。

 しばしの静寂。どこに行こうかと声をかけたのに、共に歩く友人から返事がない。わずかな空白にすら焦れて、前を歩く娘は後方の友人に向かって振り返った。スクールバッグの持ち手からぶら下げたストラップがじゃらじゃらと揺れる。


 娘は友人の様子に目を丸くした。――友人が、何かに怯えた顔をしていたからだ。


「どしたの?」

「あ……あんた、あれ……」


 友人は震える口元に手を添えて、前方を恐る恐る指差した。


 薄い看板の上に、鳥のような影が止まっていた。

 だが、それは鳥ではなかった。

 何とも呼ぶことのできない、黒い塊。


「なにあれキモ……カラス? にしてはでっかくない?」

「……ちょっと、ヤバイよあれ……」

「なにビビってんのウケる。平気だよ、あたしが追っ払って――」




 彼女の言葉はそれ以上続かなかった。




「――……!?」


 刹那、理解を超える恐怖が彼女たちに牙を剥いた。黒い塊を彼女たちが認識して、わずか十数秒が経過した頃合いだった。

 黒い塊はそこに存在するだけで、娘たちに言い知れぬ圧迫感と大いなる恐慌を与えた。そこに理屈はない。恐怖が脳を引っ掻き回して全身を支配する。


「ぁ……ひ……」


 二人の娘はあっという間に腰を抜かし、その場に座り込んだ。黒い塊は横にぐんぐんと伸びていく。そして漆黒の翼を闇夜に向かって拡げた。その大きさは見る間に二メートルを超える。翼の先から――いや、黒い塊の全身から、黒とも紫とも青ともつかないもやが立ちのぼっている。

 黒い塊は翼を羽ばたかせ、浮き上がる。

 そして、二人の娘を喰らわんと一直線に飛びつく――はずだった。




 風を切り裂くようなうねりが迸る。一瞬ののち、黒い塊が拡げていた片翼はあらぬ方向に折れていた。翼を傷つけられた黒い塊は失速し墜落、悶え苦しむかのように地面をごろごろと転がる。


 三つの人影が降り立った。恐怖ゆえか失神してしまった娘たちを、黒い塊から庇うように、立ちふさがる。

 人影は、宵闇の中でなぜか鮮やかな光を放っていた。緑、青、そして赤。光の三原色が混じり合い、漆黒の町並みを白い光がほのかに照らす。

 それは、現実離れした衣装に身を包んだ少女たちであった。




「大丈夫~。ひっくり返っちゃったみたいだけど~、ケガはしてないよ~」


 緊張感のない、間延びした声が上がる。

 腰まで届く長いポニーテールを揺らした少女がしゃがみ込み、倒れ伏した二人の娘を覗き込んでいた。その髪は明るい緑に煌めき、彼女の全身からはうっすらと薄緑の光が放たれている。


 彼女は意識のない娘たちを優しく助け起こした――かと思うと、その両肩に二人の娘をひょいと担いでやすやすと立ち上がった。

 その場に目撃者がいれば、その細腕のどこにそんな怪力を秘めているのかと驚愕するところだろうが、生憎この場に『目撃者』は存在しない。

 二人の娘を俵担ぎにしたその右手には、長い棒のようなものが握られている。それは杖だった。緑色に輝く大きな宝石が嵌め込まれた、魔法の杖マジックワンド


「ギリ間に合ったか! ふっ飛ばしてきて正解だったな!」


 活発さと姦しさが同居した、大きい声が響き渡る。

 声の主、ショートボブの少女が会心の笑みを浮かべた。高揚感に拳を振り上げた拍子に揺れる髪は深い青に輝く。星が散るように群青の光が彼女の体から広がる。


 彼女は、

 その姿は、平易に言えば箒に跨る魔女そのものだ。ゆらゆらと宙に浮かんでいる。ただし。彼女が跨っているものは箒ではなく、槍だ。壮大な英雄譚を思い起こさせる、三叉槍トライデント。その穂先は獲物を求めるように、銀色に瞬いている。


 二人の少女は黒い塊に向き直った。未だアスファルトに転がりもがいている黒い塊。その折れた翼からは、黒い煙が途切れることなく立ち上っている。

 ポニーテールの少女は娘たちを抱えたまま、緑色の猫目キャット・アイを獲物を狙うように細める。

 ショートボブの少女は軽やかに地上に降り立ち、槍を握り直す。穂先を前に向け、黒い塊に狙いを定め、深く腰を落とした。


 しかし、二人はどちらともなく顔を見合わせてから、その頬に笑みを浮かべて、構えを解いた。そして後方を振り返ると、双子のような、鏡合わせのような、一糸乱れぬ揃った動きですっと左右に分かれた。まるで、聖人モーセの前で海が割れるかのように。

 二人は後ろにいるのために、道を開けたのだ。

 いたずらっぽく、少女たちは後ろに笑いかける。


「トドメはまかせたよ~」

「思いっきりぶった斬っちまえ!」


 二人が振り返る先には、赤い光が灯る。




 その少女は、薔薇のような真紅を身にまとっていた。


 切り揃えられたミディアムヘアは、鮮やかな赤に色づいている。

 同じく赤い瞳は、穏やかなまるみを帯びていて、真紅の少女を温厚篤実な人柄に見せるだろう。しかし、今はその目と眉はきりりと鋭く、黒い塊を睨み据えている。横一文字に結ばれた唇が、ふっと開き、空気を吸ってわずかに震える。


 繊細なフリルが裾を飾る華やかな袖。風もないのにふわふわと広がる純白のスカートと、薔薇色のコルセットのコントラストが美しい。紺色のリボンがあしらわれた、上品な黒のドレスハット。

 まるで御伽噺の中の令嬢、あるいは姫君。

 そんな衣装に反して、真紅の少女の右手には、うっすらとくれないに光るつるぎ。その刀身は1メートル程で、女性の片腕で持ち上がるようには見えない。しかし、彼女はその柄を右手だけで握りしめていた。

 そして彼女は、令嬢でも、姫君でもなく、戦士の顔をしていた。年端も行かぬ少女の眼光は、不思議と剃刀のように鋭い。彼女の体をとりまく真紅の光が、彼女を歴戦の武人のように見せていた。


 黒い塊が折れた翼を無理に拡げて羽ばたき、蛇行しながら浮かび上がった。同時に、真紅の少女は地を蹴った。逃げるように舞う黒煙を追う。白いブーツが荘厳な足音を刻む。逃げ惑う黒い塊に追いつくまで、さほどの時間は必要としなかった。ゼロ距離が近づく。


 真紅の少女は走りながらつるぎを両手で握り直し、体を大きくひねり――振りかぶった。




 *




 謎の黒い塊に喰らわれそうになり、そのまま気を失った娘たち。やがて目を覚まし、あたりを見回して首をかしげた。

 今、自分たちの身に何が起こっていたのか、娘たちの記憶にはなかった。不思議そうな表情で、しばらく互いに見つめ合った後、娘たちはやがて去っていった。


 民家の屋根の上で、輝きを放つ三人の少女は、その一部始終を見つめている。娘たちが完全に見えなくなってしばらくしてから、ショートボブの少女が軽く飛び跳ねた。


「ヨッシャ、今日の任務完了! あー疲れた、なんか食べにいこーよ!」

が奢ってくれるなら行く~」


 ポニーテールの少女がのほほんとした調子で、なかなかに図太い答えを返した。


「ぬぬ……いーけど、全部ツケだからな? 

「はいは~い。そのうちちゃんと返すよ~」

「ホントかよ……」


 互いを渾名ニックネームで呼び合い、和気藹々と言葉を交わす二人。

 そのすぐ傍で、真紅の少女は誰もいなくなった街角を、何も言わず見つめている。視線に先程までの鋭さはなく、どこかぼんやりとしている。

 真紅の少女のその背中を、ショートボブの少女が思い切り叩いた。


「どーした! 初日で疲れたか?」

「わっ!」


 真紅の少女は驚きに肩を震わせる。足がもつれ、体がよろける。危うく屋根から落ちそうになったところを、ポニーテールの少女が支えて事なきを得た。


、だいじょうぶ~? 危なかったね~」


 真紅の少女は、目をしばたたかせて二人を代わる代わる見ると、目を閉じてゆっくりと息を吐いた。


「ご、ごめん。大丈夫だよ。……


 真紅の少女は自分を囲む二人を渾名ニックネームで呼び、そっと微笑む。控えめで、優しげな笑みだった。




 ――自分の選んだ道に、後悔は、たぶん、きっと。していないけれど。


 真紅の少女は満天の星空を見上げた。すると、見計らったかのように流星がひとすじ、宵闇の中に消えていった。


(……私、これからどうなるんだろう)




 6月1日、23時。

 真紅の少女――赤見内あかみないかえでは、今日、使としての道を歩み始めたばかりだ。

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