2 少女は学校がしんどい
1年A組の昼休みは割合静かだ。昼休憩に入ると多くの生徒が教室を空け、思い思いの場所に向かう。購買も人気があり、教室で昼食を取る生徒の方が少ない。
楓は食べ終わった弁当をランチバッグにしまい、机の横のフックにかけた。5時間目まであと15分。楓は教科書とノートを机の上に用意して、ぼんやりと窓の向こうを眺めた。楓の席は窓際から三列目、窓から見える景色は校庭の一部と小さい町並みとあとはひたすら青い空だ。わんわんと鳴いていた黒板消しクリーナーの音が静まる。後方の女子グループから、やれ誰がかっこいいだの、やれ誰と誰がくっついただの、どこそこの
楓には今、友人がいない。
高校に入学して2ヶ月が経ったが、いまいちクラスに馴染むことができず、いつの間にか独りぼっちでいるのが当たり前になってしまった。
どこで躓いたのかわからないが、気がつけばなんとなく同級生たちから遠巻きにされているような気がした。誰も楓に話しかけてこないし、楓も誰かに話しかけに行くことはできなかった。聞こえよがしに陰口を叩かれることもある。必死になって探せば話せる生徒がいるのかもしれないが、なんだかそういう勇気も持てず、授業が終われば一人で図書館にまっしぐら。入学してから二ヶ月、楓はそんな日々を送り続けてきた。
「赤見内さーん」
背後から女子の声。話しかけられるなんて久しぶりで、びくりと緊張に体が固くなった。
長い髪を明るい茶色に染めた女子生徒が立っていた。その手にはノートが握られている。近くで見ると化粧をしているのがわかる。遊び慣れた感じで、なんとなく近付きづらいタイプだ。
「次の数学、宿題忘れちゃってさあ……ノート見せてくれない?」
「……え」
久しぶりに同級生と会話することにどぎまぎしていた楓はその意図をしばらく考えてから、ああ宿題の部分を丸写しするつもりなのだ、と理解した。女子生徒は「お願い~」と両手をすり合わせて懇願してくる。甘ったるい猫撫で声が少しだけ居心地悪い。宿題の丸写し。こういった胸を張れないことに加担はしたくない……けれど。
「え、えと……どうぞ」
「ありがと~!」
楓は根負けした。女子生徒は自分のノートを開くと、猛烈な勢いで写しはじめる。楓は横目で女子生徒のノートを盗み見た。この年頃の女子らしい丸文字があちこちに散乱していて、誤字をぐちゃぐちゃに塗りつぶしたところがある。宿題を写している部分だけが楓のノートに倣って整然と文字が並んでいるのが、不自然極まりない。
(……これじゃすぐに人のを写したってバレるだろうに……)
楓はそんな事を思った。もし自分がノートを貸したとわかったら咎められるだろうか。同級生たちの前で叱られ、恥ずかしい思いをする自分の姿が自然と思い描かれ、楓は背中をちくちくと針で刺されているような心持ちになった。予鈴が鳴り、多くの生徒が教室に戻ってきて賑やかになる。女子生徒は宿題を写し終えると「じゃ!」と言って足早に去っていった。
本当に、ノート写しただけだったな……。
楓はノートをめくり、前回の授業内容をざっくりと復習する。正直なところ、何か話ができないかほんの少しだけ期待したところもあった。でも、期待をするだけ無駄なのだ。その証拠に、後方からひそひそと女子の声。
赤見内さん、すぐノート貸してくれたよ、ラッキー。え~意外にチョロいじゃん。使える~。アンタも忘れたら頼みなよ。借りるなら男子のノートがいい。欲望丸出しー。ていうかうちのクラスにイケてる男子なんていなくね?
ほら見たことか、私の存在は都合のいい道具なのだ。チョロいだとか使えるだとか、身勝手な言い草に怒りももう枯れ果てた。ただずっしりと心が重たくなり、ため息がこぼれた。
*
本鈴が鳴る。慌てて教室に駆け込んでくる生徒が数人。授業が始まる。
髪をさっぱりと刈り上げた若い数学教師は紙の束を手に取り、先日の小テストを返却すると言った。教室中から上がる「いやだ」「いらない」の声。ブーイングをうるさいと一喝し、教師は「満点が3人いたから発表するぞ」と続けた。
名前を呼ばれた生徒が立ち上がってテストを受け取る。男子がやいのやいのと囃し立て、女子からはあまり心のこもっていない「すごーい」が飛ぶ。拍手と歓声で賑わう教室。満点を取った生徒に楓も拍手を贈った。
「次。赤見内」
「えっ? あ、はい!」
楓は慌てて立ち上がった。数学教師は次もこの調子で頑張れ、と激励の言葉をかけ、楓にテスト用紙を返した。確かに頑張って勉強したが、まさか満点を取れるとは。渡されたテスト用紙に記された赤い100の字に、思わず頬が緩む。満点が取れたことは喜ばしかった。勉強したことがきちんと身になっているのだ。
しかし楓に称賛の声を送る生徒はいない。教室はあっという間に、針が落ちた音も聞こえるのではないかというくらいにしんと静まり返った。
(……なんで私のときだけ静かになるの)
喜びも、束の間だ。
楓は席に着こうとして――目標を見誤り、椅子に座りそこねて思い切り尻餅をついた。ガタンと大きな音が教室中に響き渡る。痛みが走ると同時に、どっと教室に笑い声が起こる。
体勢を立て直し、平静を装って席につく。……恥ずかしい。遠慮のない男子の笑い声と、後ろからの「だっさ……」「ウケる」という女子の明らかに悪意を含んだ囁き。教師はこらお前ら、と大きな声で教室全体をたしなめる。
「笑うんじゃない。次。伏見」
楓の前の席の男子がゆっくりと席を立つ。一瞬で教室が勝鬨のような歓声に包まれ、指笛まで飛んだ。沸き起こる拍手は頭が割れるような音量で、楓は唇を噛んだ。
別に大げさに褒め称えられたいわけじゃない。それでも、拍手の一つや二つくらいもらいたかった。どうして、自分のときだけ誰も反応してくれないのだろう。自分だけが世界から置いていかれたようだ。こんな気持ちになるのも、もう何度目かわからない。楓は重苦しい心を抱えて前の席の生徒に拍手を送った。テストは満点だったけど、転ぶし恥ずかしいし、みんな冷たいし。
(学校……しんどいな……)
転んだ時に打った所がじわりと痛む。
こんな気持ちで3年間暮らしていかないといけないんだろうか。誰からも相手にされず、都合の良いときだけ利用されて、小さい声で悪口を言われて、ずっと独りで――
(……いやいや、何を考えてるの私)
私は勉強しに学校に来てるんだ。しっかり勉強して、男手ひとつで育ててくれたお父さんに恩返しをするんだ。クラスから見たら私の方が変わってるのかもしれないけど、そんな生徒が一人くらいいたって良いじゃないか。
楓は心の中でそう唱えると、それからはがむしゃらにノートを取った。白いページに二次関数のグラフが書き込まれていく。教師の解説と、シャープペンシルの走る音。時々聞こえる私語。船をこぐ生徒を注意する教師。
6時間目が終わったら、図書館に行って勉強しよう。それで、今日のことは早く忘れよう。
白と赤の文字でいっぱいになった黒板を見上げて、楓はペンを持った手を握り込んだ。
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