2 ガーディアンガールの秘密基地

 金曜日の放課後。町の商店街には、土曜日を控えて浮足立った中高生の姿がちらほらと見える。

 大通りから何度も何度も道を曲がって、地図アプリを頼りに辿り着いた人気のない公園。そこで待っていたアカザは、いつもの黒い着物ではなく、落ち着いた色のスーツとカットソー姿だった。アカザは下駄ではなくパンプスの足音を鳴らし、楓たちを細い道が続く閑静な住宅街に招き入れる。やがて白い壁の、若干年季が入ったアパートが見えてきた。

 鍵を開け、先に部屋に入り、楓たちにもアパートに入るよう促すアカザ。好奇心の強い棗が最初にドアをくぐった。


「邪魔しまーっす……うおっ」


 棗のぎょっとした声に楓と譲葉も室内を覗き込み、そして揃って絶句する。玄関に入った瞬間、三人の目に入ったのは巨大な本棚だった。その向こうにはキッチンが見える。玄関とキッチンを隔てるように立ちふさがる本棚には分厚い本が敷き詰められている。三人は靴を脱ぐと、本棚と壁の間をすり抜けて、洞窟を探検する冒険者のように先に進んだ。

 本棚のおかげで狭苦しいダイニングキッチンを抜けた先には洋室。正面にはバルコニーがあり、全体的に暗い部屋の中に光が差し込んでくる。しかし、洋室に立った楓たちの左右には天井まで届くかという本棚が設置されており、洋室の壁紙を完全に隠してしまっている。

 本の山とはまさにこのことだ。

 洋室には二人がけのソファが一脚、そしてテーブルを挟んで一人がけのソファが二脚置かれており、部屋の一番奥にはデスクが鎮座している。その中で、一人がけのソファの片方に、床に、テーブルに、そしてデスクに、本が山のように積み上げられている。

 アカザはデスクに向かい、椅子に手をかけた。

「汚くてすまないな。これでも一応掃除はしたんだが……」

 楓はアカザのその言葉にいいえ、と返しつつ、それとなく部屋を見回した。テレビはない。冷蔵庫も見当たらない。キッチンは存在しているだけで、本来であればシンク周りに置かれているはずの洗剤だとかスポンジだとか、そういった道具の姿も見えず、使われている形跡がない。


 生活感が、まるでない。


「ここ……何?」

 常日頃から細かいことを気にしない棗もさすがに困惑を隠せない。落ち着かない様子でアカザに問いを投げかけた。

「私の仕事部屋さ。研究室ってやつかな」

 なるほど、仕事や研究をするための部屋というのならばこの状態でも納得はいく。おそらく生活は別のところでしているのだろう、と楓は推測する。

 譲葉が部屋をぐるりと見回しながら、「本がいっぱいある~……」と呟いた。譲葉の背丈でも――ついに大台の170センチに乗ったと本人は嘆いていた――本棚の一番上の段を見るには首を思い切り上に反らさないといけない。

 よく見ると、本は外国語の辞書や、そもそも表紙から著者名まで外国語で書かれた本ばかりだ。アルファベットで書かれていればまだいいが、楓たちが日常生活で見ないような文字の本もある。一冊の本を拾い上げて、棗が「これ何語?」と眉間に皺を寄せた。そこにはキリル文字が記されているのだが、楓たちにはその文字はわからない。

 独和、露和、仏和――並ぶ辞書の背表紙を頼りに、楓は頭に思い浮かんだ言語を口に出した。

「ドイツ語、ロシア語、フランス語……」

「アカザさんって普段なにしてるんですか~?」

 譲葉が首をこてんと傾けた。アカザは特大の英和辞典をデスクの下から取り出して、ドスンとデスクの上に置き、答える。

「外国語の家庭教師だよ」

「へえ~」

「すげー」

 譲葉と棗がほとんど同時に声をあげた。二人はこれまでアカザの日常に興味を持っていなかったのだろうか、初めて知った、という顔をしている。テーブルの上に散らばっている名刺を棗が拾い上げる。洒落た、けれども派手ではないデザインの名刺。

 梅野ウメノアカザ。主張しすぎないフォントで印字された名前。そしてその横に添えられた、梅の花の絵。

「アカザねえ、これ本名?」

 棗が尋ねた。譲葉も名刺を覗き込んでいる。譲葉も棗も、アカザの本名を知らないのだ。楓は改めて彼女の不思議さに思いを馳せた。本名も、職業もわからないのに、アカザの言葉には説得力と安心感がある。楓が初対面の時に感じた強い信頼感を、譲葉と棗も感じているようだ。助言が的確なだけでは、こうはならないはずだ。

 アカザは棗の尋ねににっこりと笑って答えた。

「もちろん偽名だ」

 譲葉と棗は目をかっ開いた。





 デスクに両手をつくアカザ、その姿は教壇に立つ教師のようだ。楓たちはソファに腰掛けている。二人がけのソファと、一人がけのソファの片方は本の山にはなっていなかった。掃除をしたと言っていたから、きっと楓たちのために空けてくれたのだろう。

「譲葉、棗がガーディアンガールになって2ヶ月。楓は2週間か。魔法のことやら諸々について、密談の一つや二つでもしたくなる頃だろう?」

「はいはーい! したいしたい!」

 即座に挙手する棗に、アカザは腕を組んで、うんうん、いい返事だ、と頷いた。

「人に聞かれたくない話がある時は、ここを貸そう」

「えっ、いいんですか?」

 楓は思わず身を乗り出す。ここは彼女の仕事部屋だ。簡単に借りてしまっていいのだろうか。

「埃っぽくて申し訳ないが……」

「そんなこと!」

 苦笑するアカザの言葉を楓は慌てて否定した。これだけの本がある部屋を掃除するのはさぞ大変だっただろうに。

「ぜんぜんですよ~」

「へーきへーき」

 譲葉と棗も楓に同意した。アカザはそれは良かった、と言い、デスクの引き出しを空けて何かを取り出す。チャラ、と音がした。

「私がいない時のために、合鍵も作っておいた」

 アカザは立ち位置が一番近い棗に三つの鍵をまとめて渡す。わーい、と言いながら笑顔で手を伸ばして受け取る棗。棗は鍵を一つ鞄にしまい、残りの二つを譲葉と楓に手渡した。アカザは積んであった本を数冊手に取り、壁際の本棚の空き場所にすいすいと収めていく。外国語の本ばかりなので本の並べ方はよくわからないが、何らかの規則性をもって彼女は本を並べているのだろう、なんとなく楓はそう思った。

「ここはいつでも結界が張ってある。多少煩くしてもよそには聴こえないから、君たちさえ良ければたまり場にするといい」

「アカザ姐太っ腹~!」

 棗が立ち上がって喜んだ。確かに、三人は最近どこで魔法の話やナイトメア退治のことを話せばいいか悩んでいた。譲葉は寮に入っているから家には戻れないし、楓の家にはおおむね紫苑がいる。棗の家は遠い。棗は気にしすぎもよくないと言い、カフェやレストランで堂々と魔法の話をしていたが、楓は人に聞かれることを考えると気恥ずかしくいつも遠慮がちだった。ノートを出して筆談でやりとりするのも限界が近かったのだ。

 そんなわけで、アカザの申し出は三人にとっては願ったり叶ったりだった。だが、楓は申し訳ないと思い、遠慮の言葉を口にしようとする――が、それは遮られた。


「あ や し い」


「うわっお前いつからいたの」

 部屋の中を羽虫のような動きで駆け回る光。ライチは棗の問いには答えず、アカザをビシリと指差して、

「前から思ってたけどアンタ本当に何者なの? 若い頃にガーディアンガールになったとは聞いたけど。人間の魔力は普通、20歳を迎えるとだんだん減退していくものよ。それが今でも魔法が使えるどころか、変身状態を維持して、おまけに聴覚を遮断する結界も使えるですって!? おかしいわよ! 規格外が過ぎるわ!!」

 とまくしたてた。勢いのまま、ライチは人形のような小さな顔をアカザの頬に押し付ける。詰め寄られ、のけぞりながらもアカザは笑みを崩さない。ライチをやんわりと手で引き剥がし、ぱちん、と指を鳴らした。

 すると、アカザは楓たちが見慣れた着物姿に一瞬で姿を変えた。

「30を超えたが、この通りさ」

 おおー。譲葉と棗が声を揃えた。

 アカザは手をぱっと開いて振ると、また元のスーツ姿に戻った。

「私も元々は一介のガーディアンガールだった。魔力が衰えていない原因はよく知らないな。たまたまだろう」

 そう言うと、アカザはデスクに追いてある鞄を手にとった。意匠を凝らした装飾が施された上品な鞄。だが、ずいぶんと使い込まれてもいる。

「たまたまって……」

 ライチは納得いかないと言わんばかりに食い下がる。

「私の見たところライチは妖精としてそれほど長く生きているわけじゃあなさそうだ。知らないことも多いんじゃないか?」

「ムキ~ッ!」

 しかし、最終的にやりこめられ反論する言葉も失ったようで、顔を真っ赤にして蒸気を噴き出した。

 アカザは無造作に、何冊かの本を鞄に詰めていく。そして鞄を肩で背負った。

「とにかく、ここは君たちの自由だ。そのうち菓子でも用意しておこう。ただし、本や資料はできれば汚さないでくれよ。それと、戸締まりに気をつけて」

 三人は声を揃えてはあい、と返事をする。

 アカザはふっと笑うと、洋室から出て行く。そして振り向きざまに言い残した。

「じゃあ私は仕事に行くから、後はよろしく」

 振り向くアカザに棗が手を振る。

「行ってら~」

「お、お気をつけて!」

 楓は立ち上がって頭を下げた。譲葉はだらしなくソファに体を投げ出しながらも敬礼のポーズを取っている。

 ぱたんとドアが閉まり、鍵をかける音がしてから、室内は静かになった。



「は~~~~」

 棗は思い切り息を吐いてソファに勢いよく体を沈ませる。二人がけのソファの隣に座っていた譲葉に向かって体を投げ出すので、譲葉は圧迫されてむぎゅうとくぐもった声を出す。

「もう魔法少女はじめて2ヶ月かー。なんか最近マンネリなんだよね」

「マンネリ?」

 楓は聞き返した。棗は全身を脱力させてソファでだらだらしている。

「最初の頃はヒーローみたいでカッコイーって思ってやってたけどさ。遊びにも行けないし。ちょっとサボっちゃだめ?」

「いいわけないでしょ!」

 ついさっきアカザにやりこめられたばかりのライチはまだ蒸気を噴き出している様子で、その勢いのままいつもよりきつく――いつもきついが――棗を叱りつけた。それから頭を冷やすようにゆるゆると振り、腕を組む。

「ナイトメアの放置は絶対だめよ。アンタたちがいつも戦ってるナイトメアは生まれたての一番弱いやつ。放っておくとどんどん進化して、倒しにくくなっていくんだから」

 楓は得心した。ナイトメアが出現したらすぐに駆けつける必要があるのは、町の人々のためだけではない。ナイトメアを退治するガーディアンガール自身のためでもあるのだ。

 その横で譲葉がふと浮かんだであろう疑問を口にする。

「いちばん強くなったらどうなるの~……?」

 ライチは途端に顔色を悪くした。答えに詰まっている。

「そ、それは……わからないけど……」

 溜めに溜めて、結局そう答えたライチに対して、棗は心底つまらないという風に、顔をしかめて言い放った。

「なんで知らないのー? 使えないなー」

「うっせえ! バーカ! バーカ!」

 ライチは語彙力をなくして飛び回った。ライチと棗はいつも丁々発止のやりとりをしているが、だいたいライチが言い返す言葉を失い、捨て台詞を吐いてはちゃめちゃに飛び回るのがお決まりのパターンだ。楓は曖昧に笑ってライチをフォローする。

「ま、まあ、誰にでもわからないことはあるよ」

 それから、スクールバッグからタブレット端末を取り出した。ライチは人間の使う「機械」にはあまり詳しくないようで、さも怪しいものを見るかのように何それ、と言った。ソファの上でとろけていた棗が形を取り戻し、身を乗り出す。

「そうだ! あたしが貸してたタブレット、何に使ったの?」

 楓はタブレットの地図アプリを開き、棗に手渡した。棗は受け取ったタブレットをテーブルの上に積み上げられている本の上に遠慮なく置く。

「これまでナイトメアが出た場所を地図にまとめてみたの。もしナイトメアが出る場所に規則性があるのなら、待ち伏せするなり、見回るルートを変えるなりで、少しでも効率的に動けるかなって」

 タブレットの画面上に表示された地図には、赤いマーカーがぽつぽつと浮かんでいる。タブレットを覗き込んだ譲葉がおお~、と声を出した。譲葉は本の上のタブレットを手に取ろうとするが、棗がそれを横合いから奪った。譲葉はぷう、と唇を尖らせる。

「さっすがでんでん~! 頭いい人はやることが違う!」

「あ、いや、時間が短縮できれば勉強する時間も増えるし……私の個人的な事情のため……なんだけど……」

 突然棗に褒められ、面映さにあたふた、もじもじとする楓。譲葉と棗は「これでめーが迷子にならなくてにすむ~」「迷子になるのはお前だろ」「いたい」とふざけ合っている。

「えっと、それでね」

 楓は立ち上がった。ここからが本題だ。楓は譲葉と棗のそばに移動する。棗の手元にあるタブレットに指で触れ、マップを北に動かした。


「……これなんだけど」


「うっわ……」

「真っ赤~」

 棗が不快そうに顔を歪め、譲葉は目をまん丸くした。

 楓たちの目に入ったのは、マーカーだらけで真っ赤に染まった地図。すべて、楓が打ったマーカー、すなわち、譲葉と棗がガーディアンガールになってから、ナイトメアがこれまで出現した場所だ。地図を町全体に広げると、ナイトメアがある一定の場所に集中して出現していることがわかる。

 棗からタブレットを受け取った譲葉が地図を指で拡大したり縮小したりして、赤く染まった場所を確かめる。

「このへんって……一高いちこ~の近く~?」

「そう、うちの高校がここ……」

 楓は頷き、自らが通う高校の位置を指差した。赤く散らばるマーカーの中心に、楓の通う高校があった。さらに、学校から最寄りのバス停や、最寄り駅に続く道にもマーカーが多く打たれている。

 通学鞄から炭酸飲料のペットボトルを取り出して一口飲み、棗が口を開く。

「あー、そういや一高の近くはしょっちゅう行ってるな。結構遅くまで頑張ってる部活あるし、生徒巻き込んだり、見つかんないようにするの大変だったわ」

「うちの学校の周りにこんなにマーカーが集中してるってことは、うちの学校の誰かがずっと狙われてる可能性って、ないかな?」

 楓は地図を指差しながら、ライチを見やった。ライチはまだ機嫌悪そうにふん、と鼻を鳴らす。

「そもそも、その地図確かなの? 譲葉と棗の記憶なんていつもガバガバじゃない」

 なにを、とライチに食ってかかろうとする棗と、てへ~、と頭に手を当ててとぼけたポーズを取る譲葉。楓は口を噤んだ。二人の記憶力についてはともかくとして、確かに記憶というものは完全ではない。ライチは俯く楓を見てから身を翻し、独特なデザインのデスクライトに腰掛ける。

「……よっぽど高い魔力の持ち主なら、ずっと狙われ続ける可能性はそりゃあるけど……そんな強い魔力の持ち主、いたらこの私がとっくの昔に見つけてガーディアンガールにしてるわよ」

 楓はマーカーを、地図をなぞる手をそっと下ろす。確かに、魔力が高く、素養があれば自分の身を守るためにガーディアンガールになる道を選ぶのはあるべき流れと言える。楓と同じように。

 ただの偶然なのだろうか。そう考え込んだ楓の思考を割るように、棗が提案した。

「とりあえずでんでんのマップ使って張り込みしてみない? いけるメンツでさ」

 譲葉がぽんと手を打ち、いいね~、と言った。

「確かにこの地図が使えるのかは試したいけど……めーちゃん、お父さんお母さんは大丈夫?」

 楓は念の為確認した。いつも戦いのために夜に出歩いているとはいえ、今日は金曜日。どこかに出かける家庭があってもおかしくはない。棗は手をぱたぱたと振って笑った。

「へーきへーきウチもともと親ユルユルだから! 遠いから毎日帰り10時過ぎるし」

 その気になれば変身トランスして一瞬で帰れるし、と続ける棗。楓の顔を覗き込んで、譲葉が言った。

「でんでんはへいき~? お父さん、お家にいるよねぇ」

「今日なら大丈夫……父は出かけてるから。でもゆずは寮だよね? 門限とかあるんじゃ……」

 楓は譲葉のことも案じた。譲葉が通うのは全寮制の高校だ。普段彼女がどうやって生活しているのか、そういえばきちんと聞いたことがない。だが、楓の伺いに対して譲葉からは驚きの言葉が飛び出した。

「門限はないよ~。そもそも外出日以外は寮から出ちゃだめなことになってる~」

「!?」

「でも魔法を使えば寮長だまして抜け出し放題だからへいきだよ~」

「………………、…………」

 開いた口が塞がらない楓の横で、棗が「ヨッシャ。決まりだね」とニヤリと笑った。

 譲葉は楓の肩をぽんと叩いて、固まったままの楓に追い打ちをかける一言を放つ。

「でんでんもそのうちできるようになるよぉ」

「えっ………………」

 何も言えず口をぱくぱくとさせる楓をよそに、譲葉と棗はどこに張り込むかを相談し始める。

 デスクライトの上で、呆れ顔のライチが呟いた。

「……アンタ優等生っぽい顔して意外にワルよね……」

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