5話 ガーディアンガールはお姉様と呼ばれたくない

1 ガーディアンガールは甚だ遺憾である

 澄んだ朝の気配に、軽やかな鳥の囀りが重なる。

 冴え冴えとした深い緑、生命力溢れる葉のしなり。雨露が葉脈をなぞってこぼれ落ちる。夜明け前に降った通り雨の名残を陽光が照らして、森が輝く。驚くほど涼やかな景色だ。既にうだる暑さの夏が始まっていることを忘れてしまうほど。

 苔むす石畳の上を、いくつもの黒いローファーが踏みしめる。学校のイメージカラーであるひわもえいろのワンピースを一様に身に纏った少女たちが、スカートを揺らしながらゆったりと行き交っていた。

 私立桂崎高等学校。

 風ヶ原町を南北に縦断する国道を北上し、隣町に差し掛かろうかという辺りにある深い森、その奥に構えられた女子高校である。創立はおよそ百数十年前、そびえ立つ学び舎が今の形になってから五十年強。今の校舎の形は時計台ビツグ・ベンをモデルにして当時の新進気鋭の建築家が編み出した先進芸術と謳われている。

 が、譲葉はさしてモデルとは似ていないし、前衛的プログレツシブ過ぎて何を表現したいのかわからないと思っていたりする。

 校舎の他に、敷地内には三棟の寮が建っている。学年ごとに分けられた寮から少女たちが黒髪をなびかせながら出てくるのが、桂崎高校の日常風景ルーティーンだ。譲葉は今にもこぼれそうな欠伸を必死に噛み殺しながら、寮から外に出た。

 そこには寮母と数名の職員が立っており、生徒たちが今日も健やかに登校している様を見守っている……否。監視している。

 寮母は背筋を真っ直ぐに、小さな体を天に伸ばして胸を張っている。確か、還暦に近かったはずだ。しかし彼女は「老い」という言葉とは無縁であるかのように、今日もぎらぎらと目を光らせている。桂崎高等学校の生徒に相応しくない行動をする不届き者がいないか、と。

「ごきげんよう、香月さん」

「ごきげんよう、寮長先生」

 フォックスフレームにはめ込まれた眼鏡のレンズからビームが出そうだ。

 緊張感漂う寮母との挨拶を終わらせると、その隣に控えていた職員が一人、譲葉の前に歩み出る。大きな白い袋の中から長財布を取り出した。譲葉の財布だ。

 この寮には摩訶不思議なしきたりがある。授業を終えて寮に戻ったとき、生徒たちは財布などの貴重品を寮の職員に預けなければならない。貴重品は寮で厳重に保管され、翌日寮から出て校舎に向かうときに手渡される。盗難防止と、生徒の無駄遣いを防ぐために行っていることだと言う。前者はともかく、後者の意味は譲葉には理解しかねる。生徒は学校指定の外出日や夏・冬休みを除いてこの寮から出ることを禁じられているのに、どこで無駄遣いをすると言うのだろう。ごま油をサラダ油で炒めてオリーブオイルをかけて食べるような話だと棗にこぼしたことがある。「ウケる」と一笑に付されてしまったが。

 このしきたりがあるおかげで、譲葉は毎晩のナイトメア退治には一文無しで向かわざるを得ず、ひとたび飲食を希望すれば棗にのが当たり前になってしまった。棗には文無しをいつもからかわれているが、好きで文無しなのではないのだ。

 兎にも角にも、譲葉は財布を受け取り、通学鞄にしまいこむ。そして薔薇のアーチをくぐる。春夏秋冬、薔薇の花がアーチで咲き続けているから「薔薇寮」。一年生が日々を過ごす寮は、そう名付けられている。今の季節はレディ・オブ・シャーロットが見頃だ。淡い橙に染まった花を横目で見ながら譲葉は校舎へ向かう。

 視線を正面に戻したとき、譲葉は一人の少女が自分に向かって足早に寄ってくるのに気がついた。牛革の鞄を小脇に抱えた、小柄な少女。顎の位置で切りそろえられた黒髪は陽光に艶を増し、一本一本が絹糸のように揺れている。毛量が多くて櫛が通りにくい髪質の譲葉には、彼女の髪の毛が羨ましい。

「譲葉お姉様、ごきげんよう」

 彼女は譲葉の正面まで来ると、そう言って恭しくカーテシーを行い、嬉しそうにはにかむ。譲葉が同じように挨拶を返すと、少女はぽっと頬を赤らめた。

 その拍子に数人の少女がはたと顔を上げて、次々と譲葉のそばに寄ってきた。決して駆け寄るという「はしたない」真似はしないが、自然と早足になる彼女たちの足取りには、浮ついた気持ちが見え隠れする。

 譲葉はあっという間に少女たちに取り囲まれた。様々な髪型をして、様々な高級ブランドの鞄を携えた少女たちが憧憬の瞳で譲葉を見上げてくる。譲葉お姉様、お姉様、ごきげんよう、と飛び交う、少女たちのささやき。

 譲葉は少女たちをゆったりと一瞥し、

「ごきげんよう」

 と全員にまとめて声をかけ、微笑みを浮かべてカーテシーを返した。

 少女たちは浮き立ち、笑顔を浮かべたかと思えば俯いて、恥じらいながらやがてゆるやかに散らばっていった。譲葉お姉様に挨拶しちゃった、と嬉しそうな声が譲葉の耳に届く。譲葉は立ち止まったまま、人の群れがはけるのを待った。

 ごきげんよう、ごきげんよう、と囀り合う少女たちの波が徐々にほどけて、譲葉は止まっていた足を動かし始める。

 そして、顔に微笑みを貼り付けたまま、心の中で


 ぬゎ~~~~~~~~~~~~~~~~にがお姉様じゃ~い。


 譲葉に下級生はいない。譲葉を「お姉様」と呼び、憧れの視線を投げかけてきたのは、みな「薔薇寮」から出てきた譲葉の同級生、同窓生たちである。譲葉の心中としては、どうしてこうなった、の一言だ。

 入学してすぐに行われた、礼儀作法の授業で注目を集めたのが事の発端だったような気がする。襖を開けただけで周囲からうっとりと溜息。立ち・座りでの会釈・礼・最敬礼を演じ分けては熱烈な拍手喝采。着付けに至っては危うく教師に混じって教える側に回りかけた。

 正座の仕方もテーブルマナーも、桂崎ここに入るからには完璧が当然で、譲葉じぶんは下手な方だと思っていたが、そうではなかったらしい。小さい頃から親兄弟や親戚に「お作法」を優しく丁寧に譲葉は、見る間に誰もが憧れる優等生へと登り詰めた。

 注目と賛辞に囲まれる日々が少しの間続いた。しかし、素養のある同級生おじようさまたちはみな礼儀作法を次々身につけ、次第に「何かあれば香月さんに頼ろう」という風潮は廃れていった。

 ほっとしたのも束の間だった。譲葉はいつの間にか、また同窓生たちに群がられるようになった。様々な「お作法」をにもかかわらず、それでも譲葉を憧れの色で見る生徒たちにはとある共通点があった。

 小柄であることだ。

 彼女たちはいつも譲葉を見上げてはうっとりと目を細めた。口々に「背が高くて素敵」「スタイルが良い」と言った。いよいよ170センチに届いた譲葉の背の高さを羨み、憧れ、そこに年長のかおりを見出したのだろうか。いつの間にか小柄な彼女たちは譲葉を「お姉様」と呼ぶようになった。それがあっという間に学年全体に伝染して、今に至る。

 ――こんなに伸びたくなど、なかったというのに。

 小さい頃から周囲より背が高かった。何をやっても目立つばかりで、良いことなんかなにもない。静かにのんびり過ごしたいのに、周りが勝手に憧れ、期待をかけて、眩しすぎる光の中に自分を無理やり引きずって連れて行く。

 背が高いことで憧れられるのは、譲葉の胸中に毒を生むばかりだった。しかし生徒に清廉潔白、優美高妙を求めるこの桂崎ばしよにいる限り、「はしたない」行動は大罪だ。毒混じりの感情を言葉にするどころか、表情に出すことすら許されない。譲葉は優雅に手を振り、作り笑顔で「ごきげんよう」を繰り返す。お姉様と呼ばれようが、本意ではない注目を集めようが。そういうわけで、譲葉は微笑みを貼り付けて心の中で毒を吐いたわけだ。

 けれど、譲葉の苦痛と憂鬱を和らげるものが確かにあった。

 授業を終えて寮に帰り携帯電話スマートフォンをチェックすると――騒音をたてないという条件付きで使い放題であることは僥倖だ――いつも届いている棗からの大量のメッセージ。授業がつまらん、自習になった、限定のスイーツゲットした、今度一緒にカレー食おう。これだけ大量のメッセージを日中に送る暇があるところからして、棗の通う学校の風紀を察するところだがそれはさておいて。

 棗からのメッセージは、譲葉が胸を弾ますトリガーだ。返信をすると、棗は槍に乗って寮まであっという間に飛んでくる。同室の生徒や寮母、職員を魔法で惑わせたら、窓から寮を抜け出して棗の槍に跨り町へ向かう。棗と一緒に、パトロールという名の逃避行だ。寮から逃げ出した後は、適当な場所で楓と合流する。

 楓と合流するまでの間は、譲葉が期待に胸を膨らませる時間だ。たまり場で落ち合うこともあれば、商店街で合流することもあるし、楓の学校まで迎えに行くこともある。空を飛ぶ自分たちを見て、周囲に人がいないかきょろきょろと見回してから、控えめな笑顔で手を振る楓を見るのが譲葉は好きだった。

 幼い頃から一緒に遊んできた楓と棗と三人でいられる時間が譲葉にとっての幸福だ。たとえそれが、ガーディアンガールとなり、町を汚染する悪と戦う時間であったとしても。

 太陽が早く沈まないかなあ、と譲葉は思った。夜が待ち遠しくて仕方がない。

 校門では狛犬を思わせる対の獅子のオブジェが、生徒たちを睨むように見張っている。校門に差し掛かった譲葉は校舎に向かって一礼。そして、うっすらと虹の残る空を見上げた。

(……でんでんとめーに、早く会いたいなあ)

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