終 ガーディアンガールとその日のエピローグ

「なるほど、つまり人間には魔力があって、それを奪おうとしている輩がいる。そして、先生達はそういう輩と戦っていると」

「そのとおり~」

「理解が早いな! さすが一高!」

 譲葉と棗の囃し立てる声に、少年は「はああああ……意味がわからない……」と息を吐き出し、拒絶の意志を示すように頭を抱えた。

 一足先に棗によって彼女たちのたまり場に連れてこられていた槐は、スーツ姿でアパートの扉を潜ってやってきたアカザを「先生」と呼んだ。どうやらアカザは英語の家庭教師として槐の家に潜り込んでいたらしく、話を聞いたライチが「本当にやるなんて」と呆れ顔を見せていた。

「私たちだって内緒にしてたかったわよ。こんなの急に信じろって言われたってね」

 ライチが不服そうな顔をして、槐のそばで羽ばたいている。楓とライチが出会ったときと全く同じ流れがなぞられたのが、つい先程のこと。ライチは「私はライチ。妖精よ」と宣言し、棗が「夢じゃないんだなこれが」と言って譲葉の頬をつねりあげ、譲葉は「いたい」と声をあげたところまで一緒だ。ただし、楓があのとき自らの頬をつねったのとは異なり、槐はただただ呆気にとられるばかりで、顔に手をやる余裕もなかったようであるが。

 たまり場には随分とものが増えた。今アカザが手にしているティーセットもそのひとつだ。紅茶が注がれ、一人ひとりに差し出される。棗が喜んで紅茶を受け取ったのがわかった。アールグレイの優しい香りが部屋に漂う。

「伏見君。君は尋常ならざる魔力の持ち主で、何度も狙われていた。君の家庭教師になったのも、君を陰ながら守るためだった」

「……いくら梅野先生の仰ることでも、……すぐには」

「そうだろうな」

 初めてこの部屋を訪れた時に、楓たちが見つけたアカザの名刺を思い出す。梅野藜、というのは彼女の偽名だったな、と。遠回しに信じられないと言われたことを気にも留めず、アカザは紅茶をあっという間に飲み干した棗におかわりを注いでやった。

「残念な知らせになるが、君の学校の生徒が正体を隠して君に近づき、君の魔力を狙っていたようだ」

「……鬼崎さん」

 少しばかり苦しげに発した槐の呟きに、アカザはそうだ、と頷いた。ライチが腕を組む。

「何者なのかしら、あの鬼崎って女。少なくとも人間じゃないわね。ねえ、何か思い当たる節ないの? 楓」

 楓は唐突なライチの呼びかけにびくり、と肩を震わせた。

 ――本棚の影で。

 百合と激闘を演じた楓の精神的なショックは大きかったが、それでもたまり場に帰ってきたこと、アカザの淹れてくれた紅茶、無傷だった槐の姿、それらを認識していくうちに楓は消耗から少しずつ回復していった。あるいは、アカザの優しい声かけの効果もおそらくあっただろう。だが、ここで問題が発生した。回復していくと同時に、変身トランスした姿を槐に見られたくない、という思いがどんどん強まり、楓の頭は恥ずかしさでパンクした。結果、躊躇なくその突拍子もない格好を彼に晒した棗や譲葉とは違い、楓はずっと本棚の影に隠れていたのだった。早く百合との戦闘でこさえた傷が癒えて、さっさと変身トランスを解いてしまいたい。

「ちょっと楓。聞いてるの?」

 返事ができない。動けない。ただ本棚の影で、分厚い本の背表紙を指でなぞりながら口をぱくぱくさせることしかできない。俯いて本の背表紙に額をくっつけて楓は目を閉じて息を詰めた。

 本の背表紙をなぞる手を力なく下ろしたその瞬間だった。

「でんでん、ほーら!」

「わあッ!」

 下ろした手を棗にガッチリと掴まれて、あれよあれよと楓は本棚の影から引っ張り出されてしまった。いつか出会ったときのように、楓は槐の目の前にへたり込む。

「……赤見内……」

「あ、えと……こ、こんばんは……」

 楓はそう言ったきり、火照る顔を隠すように俯いて背筋を丸めた。またこの姿を見られてしまった。恥ずかしい、どうすればいい。

 だが、体のあちこちに傷を残した楓に彼は腰を浮かす。

「……その傷、大丈夫じゃないだろ」

「この子たちの怪我は心配しなくてももう少ししたら消えるわ。そういうものなの」

 明らかに感情を揺らした槐の声が振ってきて楓がはたと顔を上げたところで、ライチが横入りした。肩口にどでかい青あざを作った譲葉がえっへへ~、と笑った。ライチは楓の頭に腰掛けると尊大に槐を指差す。

「とにかくアンタは狙われてるんだから用心しなさいよ」

「いや用心のしようがないからあたしらで守ってんじゃん」

「う、うるさいわね!」

 だが、即座に棗から痛いところを突っ込まれ、楓の頭の上から浮き上がり棗に向かって火を吹く。攻防を始めた棗とライチをちらりと見てから、アカザは槐に向き直った。

「急な話で済まないが、どうか我々の仲間に加わってくれないか。君には自衛の手段がない。ゆえに、君を守らせてほしい。できる限り、君の生活の迷惑にはならないようにするつもりだ」

 アカザの「迷惑にはならない」という言葉に、楓は同調してゆるく頷く。彼には、迷惑をかけたくない。槐はしばしの間アカザの顔を見つめていたが、

「……わかりました。先生がそう言うなら」

 と返答した。飲み込みがいい~、と譲葉。さっすがアカザ姐、人徳あるわ、と棗。ティーカップをテーブルに置いて、明日目が醒めたら夢だったらいいんですが、そうため息をつく槐を見て、アカザは苦笑した。そして、失礼するよ、と言ってうっすらと跡が残る槐の手首にそっと人差し指で触れた。楓はすぐさま、彼の体調を、魔力の消耗を見ているのだと悟った。

「魔力が暴れているな。明日の朝は起きたら動けないかもしれない。学校は休んで、休息するべきだ」

 どうしてそんなこと、と訝しげに眉をひそめる槐に、アカザは経験則だよ、とだけ言って微笑んだ。

 楓は恥ずかしさに耐えて顔を上げて言った。

「……アカザさんの、言うとおりになると思う」

 槐の目線がアカザから楓へ動き、二人の目線が重なる。楓はどきりとした。目を逸らしたいのに、体が固まってしまって、逸らすことができない。

 体が、唇が震えているのがわかる。何かを恐れているのか。疲れきった楓には、わからなかった。

「さあ、夜も遅い」

 そうアカザが声を上げたので、楓はようやく自らに課せられた金縛りから開放された。はあ、と息をつく。

「今日あったことは後日、ゆっくり整理しよう。今日はもう帰ったほうがいい」

 楓たちは揃って、その言葉に頷いた。





 一番傷を多く抱え込んでいた楓の傷が最後まで癒えたのを確認して、一行は変身トランスを解いてたまり場を後にした。楓の腕時計は午後10時を指している。槐は携帯電話スマートフォンを見つめ、苦虫を噛み潰した顔で髪をくしゃりと握り込んだ。そういえば、塾に何の連絡もしていない。そのことを気にしているのだろうか。

 知ってか知らずか、いや知らずだろう、棗は譲葉を促して自己紹介を始めた。

「あたしはさっきも言ったけど、結乃浜の1年の黒羽根棗。趣味はゲーム! なんでもやるから好きなゲームあったら声かけて。んでこっちは桂崎1年の香月譲葉ね。趣味は?」

 言葉を促された譲葉は腕を組んでしばらく悩むそぶりを見せたと思うとこう答えた。

「趣味は~……うーん……かさぶたをはがすことかな~」

「どんな趣味だ」

「ツッコミが鋭い! こいつ……できる!」

 相変わらずの譲葉のテンポに楓は苦笑いを漏らし、それとほぼ同時に槐がため息混じりに指摘を入れ、棗がその素早さに舌を巻く。楓と以外は初対面で、しかも魔法という不思議の世界の摂理をまざまざと見せつけられたばかりなのに、槐はどこまでも落ち着いているように楓には思われた。自分とは違って、強い人だと感じる。

 譲葉と棗は明るくはしゃいでいる。それは多分、うぬぼれではなくて、死闘を乗り切った楓のためだ。だから、楓も明るく振る舞いたかったが、楓の体は言うことを聞いてくれなかった。

 胸が痛む。優しかった百合も、不思議な言葉を残した百合も、冷たい瞳で自分を見下ろした百合も、忘れられない。瞬きの一瞬に、あの虹色の弾幕が瞼の裏に焼き付く。鬼崎先輩は、何をしようとしていたんだろう――。

 いつの間にか足取りが重たくなっていたらしく、前方をゆく譲葉と棗、そして槐の姿が楓の目に入った。

 陰ながら守ると誓ったのに、結局巻き込んでしまった。ならば、かけるべき言葉がある。

「あの、伏見くん」

「なんだ」

「……その、色々迷惑かけて……ごめんなさい」

 振り向いた槐に向かって、楓は頭を下げた。二人の間をぬるい夜風が通り抜けていく。

「なんで謝るんだ」

「だって、こんなびっくりすること……本当は、知らなくても良かったことなのに」

 楓はそう言って表情を曇らせた。本当に、知らなくて良かったことだと思う。できれば何も知らないままで、いてほしかった。

 槐は棗を親指で指した。

「そいつに聞いた。お前は俺を助けてくれてたんだろ。この間、塾で会ったときも」

「え、と……」

 そうであるような、ちょっと違うような……。逡巡ののち、楓はわずかに頷いた。いつの間に会話を聞きつけていたのか、槐の背後で譲葉と棗が楓に促すように、大いに何度も何度も頷いているのにつられた形と言っていいだろう。

「ナイトメアとかいう化物のことも、鬼崎さんが何をしようとしてたのかも、俺にはわからない。けど、お前のしたことは謝ることじゃないってことはわかる。……ありがとな」

「う、う、ううん……私がしたくてしたことだから……」

 楓はやっとのことでかぶりを振った。槐からかけられた声の色は、どことなく優しい気がして、何も見えない闇の中でそっと差し伸べられた手に似ている。

 彼は凪いだ海のように静かで、大地に根を張る大樹のように確かだ。


 この人のように、私も強くなりたい。


 槐は少しばかり疲れを見せて、小さく息を吐いた。その後ろで、譲葉と棗が笑顔を見せている。

「まあなんだ……よくわからないが、世話になってるらしいから、これからもよろしく頼む」

「……う、うん、がんばります」

 楓はどうしようもなくなって頬を染めながら答えた。がんばろう、と思った。彼のために、この町のために、自分にできることを続けよう。ときに、それが今日のような死闘と恐怖と痛みを生むとしても、負けるまい、と楓は自分に言い聞かせた。

 黒くて重たい雲の隙間から、満月が姿を現していた。

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