3 ガーディアンガールの楽しいお食事

「あ――――っはっはっはプギャーッめっちゃウケるヒ――――ッ」


 棗の大爆笑が響き渡る。

 譲葉は淀んだ瞳で虚空を見つめている。


「め、めーちゃん、周りに迷惑だよ」


 楓は抱腹絶倒する棗に向かっておどおどと囁いた。しかし土曜日の昼時、周囲は食事を求める客で賑わい、人々は思い思いに話を弾ませる。棗の大音声だいおんじょうを気にする存在は皆無だ。

 三人は今、マリンタワーの展望階にあるカフェレストランを訪れている。


「一年なのにお姉様て、っていうかそもそもゆずがお姉様て! ガラじゃなさすぎっていうか、漫画か! あーおっかしあっはっはっはっは」


 譲葉は目を濁らせたまま、ど~せ笑われると思ったよ~、と呟いた。

 入店し席についてしばらくした頃、譲葉は不意に身を乗り出して「わたしの愚痴を聞いてくれ」と切り出した。その求めに応じると、譲葉は自分が学校でいかにを受けているか話しだした。その訴えが棗の笑いのツボを大いに刺激した、というのが一連の出来事だ。


「手ごねハンバーグランチのお客様ー」

「はいッ!」


 棗のもとにランチプレートが運ばれる。瑞々しいレタスに添えられたポテト、デミグラスソースのハンバーグ。肉汁のはじける音に棗は手を叩く。

 楓の注文は舞茸と鶏もも肉の和風ペペロンチーノ。譲葉にはローストビーフとゆで卵のサンドイッチランチ。食欲をそそる香りと彩りに、譲葉に生気が戻ってきたのを楓は見て取り、ほっと息をつく。


 箸を手にしてから、楓ははたと気がつく。箸を下ろし、鞄から携帯電話スマートフォンを取り出し、カメラを起動する。

 人々が当たり前に行う、食事やデザートを写真に収める動作。それは楓にとってはまだ慣れない作業だ。うっかり口をつけてから、また撮り忘れたと肩を落とす、を繰り返してきた。

 ピコ、と小さく電子音がして、撮影が完了したのを楓が確認した、その直後。


「うりゃ!」

「わっ、めーちゃん!?」


 棗に携帯電話スマートフォンを掠め取られた。呆気にとられる楓と譲葉を尻目に、棗は慣れた手付きでインカメラを起動する。


 棗の視線。撮られそうになっていると気付いた楓は思わず顔を隠す。撮られるのは苦手だ。メッセージアプリのプロフィール画像にしている写真。あれを撮るときも、楓は最後まで抵抗していた。


「でんでんー、顔隠すのやめなー」

「で、でも」

「こういう思い出残しとかないと、大人になってから後悔するぞ!

 ……って、うちのとーさんの受け売り。ほらほら、黙って撮られたまえ」


 楓はしばらく抵抗していたが、やがて観念した。

 程なくして三人の記念写真が出来上がった。余談だが、棗の「1+1は」の掛け声に譲葉が「3」とすっとぼけ、棗に前髪を引っ張られたりした。







 楓と譲葉は食事を始めたが、棗は撮った画像を編集すると言って、楓の携帯電話スマートフォンをいじり続けている。

 サンドイッチをひとかじりして、譲葉がこぼす。


「は~……毎日が外出日だったらいいのに~」


 外出日。

 ひと月に一度、桂崎高校の生徒が寮からの外出を認められる日だ。この土日がそうだった。

 そんな貴重な日に譲葉が望んだことは、楓と棗との食事だ。


 そもそも譲葉は棗に食事を奢ると約束をしていた。譲葉は無一文で寮を抜け出すため、棗にあれこれ奢らせていたらしい。この食事はその恩返しなのだという。


「ゆずは毎日が外出日じゃん。魔法使って寮抜け出してんだから」

「ええ~、普段と外出日とじゃ月とすっぽんだよ~」


 そう言うと、譲葉は指を折りながら日常の苦労を切々と語り始めた。曰く、寮に私服が置けないから制服で抜け出すしかないこと。学校に通報されたくないから、いつも暑いのを我慢して制服の上にベストを着て、ロングカーディガンを羽織っていること。私服でいられる今は、誰の視線も気にしなくていいこと。


「おめーが桂崎そこ選んだんだからしゃーない」


 楓の携帯電話スマートフォンに目線を合わせたまま、棗は譲葉の訴えを一刀両断した。譲葉は「ぐう」の音を漏らすと、テーブルに頬をべったりとつけて脱力した。溶けかけたアイスクリームのようだ。

 どろどろ溶けていく譲葉に流石に同情したのか、棗は一転声色を明るく変えた。


「てか、ごきげんようなんて挨拶する学校、マジであるんだね」

「うむ……。学校だと立派なお嬢しなきゃいけなくて疲れる~……」


 楓は小さな声で唸った。厳しい礼儀作法、お茶にお花、その他諸々。そんな環境に身を置くという譲葉の歩みは、楓にとっては気が遠くなる程の茨の道だ。自然と、労りの言葉が口をついて出た。


「ゆずも色々、大変だね……」

「しんどいよお~。学校だとしんどいなんて言えないし~」

「だろうなあ」

「……私たちになら、なんでも言っていいからね」

「う~、ありがと~。こんなこと二人にしか言えぬ~」


 楓は眉を八の字にして、苦笑した。

 譲葉の境遇は想像するに余りあるが、譲葉が飾らない自分をさらけ出してくれるのは嬉しかった。こんな自分でも、少しでも譲葉の支えになれるのなら。

 ――こうして三人、飾らない言葉で話し合える時間が、ずっと続けばいいな。




「そういやでんでん、できるようになった? お父さんの


 棗の声が、楓を思考の海から引き上げた。


「あ、うん、一応……」


 楓はライチの指導により、とある魔法を習得した。周囲の人間に状況を誤認させる魔法――譲葉が毎日寮を抜け出すために使っているものだ。楓は紫苑に気付かれずに外出できるようになった。


「お父さんを騙してるみたいで、罪悪感があるけど……」

「町守ってんだからプラスだって! ライチもそう言ってたんじゃない?」

「う、うん」


 そう言いつつも、楓は後ろめたい。父の目を盗んでこっそり家を出るのも心臓に悪いが、これはこれでもやもやする。


 その時、譲葉が楓の手をとった。力をやわく込めて楓の手を握る、譲葉の手はひんやりと心地よい。


「でんでんもできる~。おそろいだ~」


 お揃い。

 その言葉は、惑っていた楓に温かい感情をもたらした。

 口元が緩む。こんなとき、なんて言えばいい。楓は考えて考えて、ようやく口を開いた。


「うん、ゆずと、お揃いなら……悪くない、かな」


 言って譲葉の表情を覗き込むと、譲葉はめいっぱい口角を上げて、笑った。




 譲葉と顔を見合わせて笑い合っていると、棗が楓に携帯電話スマートフォンを返した。そういえば棗は写真をどんな風に編集したのだろう。

 楓は画面を覗き込んで、




 みるみる真っ青になり、




 それから真っ赤になって、




「……めーちゃん!!」




 と叫んだ。




 楓の豹変に驚いた譲葉が画面を覗き込んでくる。棗は楽しげで、企みが成功したと言わんばかりの顔をしている。




『やっほー! なつめだよ』

『今三人でゴハンしてる』

『でんでんのケータイ借りてまーす』




 画面に表示されているのは、写真ではなくメッセージアプリ。

 メッセージの行き先は――伏見槐。

 しかも、今しがた撮った写真まで添えられて。




 頭の中が真っ白になったのは言うまでもない。




 心臓がはちきれそうだ。胸を押さえて棗が槐に送った文面を追う。

 棗、譲葉の両名を改めてよろしくという、槐に対する挨拶。

 譲葉や棗とも連絡先を交換したいとの要請。


 携帯電話ケータイ初心者、かつ四角四面気味な楓にはできない、スタンプと絵文字の乱舞。楓は倒れてしまいたくなった。全て消してしまいたい、けれど楓はその方法を覚えていないし、聞いたところで棗は教えてくれないだろう。


「今までは全部でんでんに任せてたけど、これから伏見はあたしたちみんなで守ってくんだから。連絡先知っとかないと、いざって時困るし」

「せ、せめて一言言ってから……」


 不敵に笑う棗。楓は両手を頬に当てて俯いた。耳まで真っ赤になっているに違いない、こんな姿を二人に晒すのも恥ずかしい。

 すると、譲葉がむくれた。


「めー、勝手に私服の写真を男子に送るのはない~」

「いやいや、今日の二人ともカワイイからヘーキだって」

「そういう問題ではない~」


 譲葉が頬をパンパンに膨らませると、棗はやがて手を合わせて、ごめんごめん、と謝罪した。

 けれど。


「でも、めーちゃんの言う通りだよ。ゆずやめーちゃんも、いつでも伏見くんと連絡取れるようにしておいたほうが、きっといい」


 楓はそう言って、拳を握りしめる。

 棗のやり方は強引だが、その考えは決して間違いではない。

 一人より三人のほうが、彼だって心強いはず。三人で彼を守っていくべきだ。

 ――いつ、またのような脅威が、彼を狙うかわからないのだから――。




「でんでん~!」

「わひゃあ!?」


 楓はひっくり返った声をカフェ中に響き渡らせた。

 突然抱きついてきた譲葉が、楓の首元をぎゅうぎゅうと締めて何度も楓を呼ぶ。


「ゆ、ゆず、どうしたの?」

「ん~」

「いいぞ! もっとイチャつけ二人とも!」


 譲葉はこんな風にスキンシップをする方ではなかった。困惑する楓だったが、譲葉はしばらく離れなかった。棗が携帯電話カメラのシャッターを切る音が、どこか遠くでいつまでも響いていた。

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