3 ガーディアンガールは一人じゃない
「魔力の使いすぎだな。ライチの管理不足」
目を覚ました楓の耳に真っ先に飛び込んできたのはアカザの声だった。彼女の声を聞くと、不思議と心が安らぐ。
楓が身じろぐと、ここはアカザのアパート――楓たちのたまり場であることと、二人がけのソファに寝かされていることがわかった。ゆっくりと顔を傾けると、いつもは優しいアカザの口元が厳しく引き結ばれているのと、どことなく落ち込んだ様子のライチの姿が目に入った。
一体、何があったんだっけ……。
「あ、でんでん起きた!」
棗の声が聞こえる。
「でんでん、だいじょうぶ~……?」
譲葉が座っていたソファから立ち上がり、楓の傍に寄ってきた。とても、心配そうな顔をしている。
アカザは寝かされた楓の枕元に寄ってくると、屈んで楓の顔を見つめた。そして、優しく問いかける。
「楓、気分はどうだ? 吐き気はしないか?」
「……私は……」
「でんでん、ナイトメアやっつけたと思ったら急に倒れたんだよ。めっちゃびっくりしたんだから」
棗はソファに腰掛けたまま、足をぶらぶらさせている。
何があったかを思い起こそうとしていると、ライチが楓の鼻先まで飛んできた。その表情は今まで見たことがないくらい曇っていて、楓もつられて胸が痛くなった。
「……悪かったわ。アンタの能力、殲滅力がすごく高いから、最近すっかり頼り切りになってたみたい。アンタが倒れるほど消耗してるって、全然気づかなかった……」
ライチはそう言って、肩を落とす。
失礼するよ、と言って、アカザが着物の袖を押さえて、楓の額に手を当てた。
「……だいぶ魔力を消耗しているな。明日は熱が上がる可能性もある。学校は休んで寝ていた方がいい」
アカザの手のひらから額に、じんわりと伝わってくる温もり。
(――あったかい……)
そのあたたかさに、楓の目から涙があふれた。
「でんでん~……」
楓の顔を覗き込む譲葉が、苦しそうな声を出した。
「ちょっとアカザ
「ええ!? いや私は熱を測っただけなんだが、よくなかったか!?」
重たい空気を弾き飛ばすように喚いてアカザを糾弾する棗と、珍しくも慌てる様子を見せるアカザ。
そのほのぼのとした様子に、楓の目からまた涙がこぼれ落ちる。
自分はいったい、何をしようとした?
「ライチ、アカザさん、私……ガーディアンガールをしている資格、ない……」
楓は鼻をすすりながら、かすれた声で呟いた。
ライチが瞠目して、眉を八の字にする。嘆願するかのように、楓の頬にすがりついた。
「な、なんでそんなこと言うのよ。こんなに頑張ってたのに」
「頑張ってたんじゃない! ……イライラを、ぶつけてただけ……」
ずっとしまいこんでいた、本当の気持ち。それを吐き出してしまったら、胸がどんどん苦しくなって、楓はしゃくりあげて泣き出した。
棗は遠慮がちに、しかしはっきりと、楓に問う。
「……でんでん、何があった?」
悲しくて、苦しくて、悔しくて。楓は頭をぶるぶると横に振った。涙が止まらない。
「私は……自分が許せない……。私の、私の勝手な気持ちで……ナイトメアに襲われてる人を助けるのを……ためらった……」
アカザは楓の背に手を差し入れて、楓をゆっくりと起こす。譲葉がいつも身につけている、薄手のカーディガンが体にかけられているのに気がつく。アカザは楓にハンカチを差し出して、楓の手にそっと握らせた。
楓が上体を起こすと、アカザはその隣に腰掛けて、優しく尋ねた。
「……何があったか、聞かせてもらってもいいかい?」
*
「……そうか。ずいぶんと辛い思いをしていたんだな」
楓は何度も泣いては言葉につまりながら、全ての事情をみなに打ち明けた。アカザは心苦しそうに表情を歪めてから、そっと楓の頭を撫でた。
楓はアカザから受け取ったハンカチで目元を押さえる。ハンカチはもうぐしゃぐしゃになってしまっていた。
「そんな奴なら放っておけばよかった!」
怒り収まらない様子で棗が言い放つ。こんなに、心底怒っている棗を見るのは久しぶりだ。
「でも、助けるのが……私たちの役目だよ」
「でんでんは優しすぎ! もっと悪どくなってもいいんだよ。でんでんのことが気に入らないなら離れて過ごせばいいだけなのに、なんで寄ってたかってイジメなんかするわけ!? あたしは絶対に許せないね!!」
棗は腕を組んでふんぞり返る。ナイトメアから人を守るというガーディアンガールの最大使命を放り出してでも、棗は楓を傷つけた人間を許せなかった。棗が自分のために怒ってくれている。その事実に、楓の目がまた潤む。
「アンタはちょっと悪どすぎるでしょ……」
「ああ!?」
「何よ!? やるって言うの!?」
棗の頭の上に座っていたライチが呆れてみせて、二人の攻防がまた始まった。いつもは棗がライチに茶々を入れるのに、今日は逆だ。棗は構えてライチを捕獲しようと襲いかかり、ライチはその手から素早く身を躱す。
ライチもライチなりに、楓のことを元気づけようとしてくれているのだろう。そう思っていると、
「おれは……おれはーッ!!」
突如の叫び声。声の主を見た瞬間。声の主――譲葉が、自分で自分の頬をひっぱたく瞬間が目に入った。
「!?」
「はぁ!?」
この事態には、さすがに楓もライチも固まらざるを得ない。棗は譲葉の行為にドン引きして、こう呟いた。
「うわっ……こいつ本格的にドMに目覚めやがった……」
楓はこわごわと、譲葉が自分でひっぱたいた頬にそっと手を寄せる。そして、譲葉が泣きそうな顔をしているのに気付いた。
「わたしは悔しい! でんでんがこんなに悩んでるのに何も気づけなかった。こうなる前にもっと何かできたはずなのに!」
譲葉のその言葉に部屋が静まり返る。
譲葉がいつもの間延びした口調を失い、ここまで感情を昂ぶらせるのは、それこそ棗が怒りを見せるよりもずっとずっと珍しいことだった――あるいは、初めてではないだろうか。
楓は目を丸くした。瞬きをした瞬間、瞳に溜まった涙がぽろりと落ちる。
「……心が不安定になると、魔力も不安定になる。そうすると、無意識に魔力を使いすぎるようになる。そして、精神も高ぶる」
朗々と、謳うようにアカザが言って聞かせる。激しく波打っていた全員の心が、その声に穏やかになっていく。
「譲葉も楓も、そんなに自分を責めることじゃない。たまにはこんなこともあるさ。私も、そうだった」
「……アカザさんにも?」
「しんじられない~……」
楓と譲葉はそう言って、お互いの顔を見合わせた。
「長いこと魔法使いしているからな」
アカザは笑う。楓は胸の中が温もりで満たされていくのを感じた。どうして、こうなるまで気づけなかったんだろう。また涙が頬を伝う。
「馬鹿ですね、私……ゆずもめーちゃんも、ライチも、アカザさんも……傍にいてくれたのに……」
みんな、ずっと傍にいてくれたのに。
「こんなに近くに味方がいたのに……周囲はみんな敵だって……思ってた……」
アカザはまた、楓の頭を優しく撫でた。
「恥じることなんてない。得てして、学校という狭い世界に閉じ込められると、そうなるものさ」
譲葉が楓の手を握る。
「あんまり学校で携帯見られないけど~、苦しい事があったらすぐ言って~。わたしはでんでんの味方だぁ」
棗も近寄ってきて、楓の肩に両手を置いた。
「なんかやられたらあたしに連絡して。すぐ駆けつける」
楓は譲葉と棗の顔を見て、涙を拭いながら、ようやっと笑顔を見せた。
「ありがとう、ゆず、めーちゃん……」
アカザが楓の背中をさする。
「楓。君には我々がついているよ」
「……はい」
各々の感情を発露して、そして、楓の笑顔を見て。ようやっと怒りがほぐれた譲葉と棗が笑いあった。
そして、棗はいつもの「悪い」笑みを作って言う。
「今度からでんでんの敵みっけたらちょっと放置しよっと」
「ダメに決まってるでしょ!!」
即座にライチが噛み付いた。ライチは確かに口うるさいかもしれないけれど、こんなにも自分の仕事に対して真面目だ、と楓は思う。
「だってー!」
食い下がり、棗はぶーたれる。
楓は穏やかになってきた胸の中をもっと落ち着けるようにさすりながら、棗に語りかけた。
「……めーちゃん。やっぱり、守りたい人だけ守るのは、私の本意じゃないよ」
棗が唇を尖らせて、でも、と言った。だが、その表情は気楽で、楓の意志に異を唱えるものではない。
「私は私の守れるみんなを守る。町のみんなも、ゆずもめーちゃんも、アカザさんもライチも、家族も。私は守ってみせる」
楓はそう言って胸に当てた手のひらを握りしめる。それからその拳に目線を落とした。
大丈夫だ。私は、みんなのために戦える。
譲葉が握っていた楓の手にそっと力を込めた。
「戦うのがきつかったらいつでも代わるよ~」
「ありがとう、ゆず」
楓は譲葉に笑顔を返す。楓の笑顔を見て、譲葉は一瞬顔を泣きそうにしわっと歪めたが、すぐに表情を引き締めて、強く頷いた。
ずっと楓の隣に座っていたアカザが立ち上がる。いつも見る、夜の闇の中とは違う、明かりの下で見る彼女の着物の模様は本当に繊細で、美しい。
「無理はするなよ。嫌いなやつを守るのはしんどいからな」
「……はい。無理して倒れてみんなに心配かけちゃ、元も子もないですもんね」
アカザは安心したように、ふっと笑って肩をすくめた。彼女にも、苦しみながら、憎しみを抱きながら誰かを守った、そんな時があったのだろうか。
楓は自分の心の中を見つめるように目を閉じて、そして目を開けた。
譲葉、棗、ライチ、それからアカザ。こんなに大切な人がいる。それに、家で、紫苑も待っていてくれる。
「……でも、大丈夫です。みんながいてくれるから。守りたいみんながいて、守りたい人を守っているから」
棗が譲葉の脇を小突いて、譲葉はみょ~ん、と変な声を出した。アカザが目を細めて、にっこりと笑う。
泣きはらした目元はまだ痛むけれど、目の前の光景を見て、楓の頬には自然と笑顔が浮かんだ。
町の人も、学校の人たちもそうだけれど。なによりも、ここにいるみんなを、私は守りたい。
ずっと棗の傍にいたライチが、楓の鼻先に飛んできた。さっきまであんなにへこんでいたので心配したが、もう元気そうだ。楓は安心した。
ライチは腕を組んで、つまらなそうな顔で言う。
「守りたい人ねえ……あれのどこがそんなにいいわけ? 愛想ないし、背は低いし。……惚れてるんでしょ?」
「えっ!?」
脳裏によぎる、前の席に座る同級生の背中。――楓の体の中心から指先まで灼熱が走った。
「違うよライチ!! 何言ってるの!!」
「ぎゃ……」
楓は混乱して目の前のライチを両手で握りつぶした。――が、ライチの言葉はしっかりと親友たちの耳に届いていた。
「なに!? あの男嫌いだったでんでんについに春が!?」
「くわしく~」
「ちがうってば!!」
ようやく、魔法使いの少女たちの居場所に、灯りが戻ってきた。
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