鬼畜なキス
あたしは最近、自分がカエルになったような気分を味わう。
カエルはヘビに睨まれると動けなくなると言われている上に、カエルはヘビに食べられてしまう生き物だからだ。
生徒会室の扉の前で、深く息を吐いた。
カエルにとって、ヘビは天敵。
あたしにとっての天敵は、この生徒会室の主。
扉を二度ノックして、声をかける。
「…失礼します」
そして扉を開けると、生徒会室の主が眼に映る。
生徒会長用のソファーイスに座り、大きく立派な机の上にティーセットを置いて、優雅に紅茶を飲んでいる。
ゆっくりと顔を上げ、見られると…竦んでしまう。
「入れ、と言った覚えはないが?」
ああ…返事が来る前に開けてしまったか。
失態を悔やむも、すでに扉は開けてしまっている。
「そりゃすみませんね。でも別に何にも無かったんですから、良いじゃないですか」
ふてぶてしく反論し、机の上にドサッと書類を置く。
「ご主人様のお言い付け通り、各委員会の予算希望の書類を回収してきました」
「ご苦労」
けれどご主人様は書類を手に取ろうともしない。
ただ真っ直ぐに、あたしを見つめるだけ。
…居心地悪いったら、ありゃしない。
ここに他の誰かがいれば良いんだけど、あいにく、全員出払っているみたいだ。
「…で? お次は何をすれば?」
沈黙に耐えかねて聞くと、ニヤッと笑う。
イヤ~な笑みを浮かべるなぁ。
「ちょうどヒマを持て余していたんだ」
「はあ…。ならゲームでもしますか?」
「別の方法でヒマを潰す。こっちへ来い」
「…はいはい」
渋々言われた通り、ご主人様の元へ行く。
「今日はどんなことをご所望で?」
腹をくくってご主人様を見下ろすと、いきなり腕を掴まれ、引っ張られる。
気付けばご主人様の上に座る姿になっていて、驚いて身を引くヒマもなく、そのままキスされた。
「んむっ…!」
反射的に逃げようとして、ご主人様の胸に手を当てて押すも、びくともしない。
…こういう時、男と女の体格差を恨めしく思ってしまう。
そんなことを考えている間にも、ご主人様のキスは続く。
何度も弾むようなキスをされて、思わず開いてしまった唇に、深く口付けされる。
「んっ、ふっ…」
こんなとろけそうなほど甘いキスをされると、拒絶したい心が一瞬、消えそうになってしまう。
けれど呑まれてはいけない。
コイツはあたしの人生をメチャクチャにしたヤツなんだから…!
―思い出す。
あたしがまだ、高校入学したての時に、コイツのことを知った。
コイツはこの高校の生徒会長で、入学式の時に壇上で挨拶をした。
その後、コイツが恐怖政治を行なっていることも知る。
何でもこの超がつくほどの名門校を経営する一族の者で、将来は世界を相手にビジネスをするであろう、器の持ち主だと、評判だった。
あたしがそんな名門校に入学したのは、ただ成績が優秀だったから、それだけの理由だった。
中学三年の時、この学校のスカウトの人がウチに来て、金銭面な部分は全て免除にするので、入学しないかと誘ってきたのだ。
ウチの実家は町工場で、正直言ってあまり経営は良くなかった。
なので定時制の高校に通いながら、働こうかと思っていた矢先だった。
両親はその申し出を受けるように言ってきて、あたしも名門校を卒業すれば、良い職に就けると思って入った。
…のが、間違いだった。
コイツは入学式での挨拶の途中、いきなりあたしを名指しで生徒会副会長に指名してきたのだ。
そこに拒否権など、無し。
問答無用で、生徒会入りをさせられた。
挙げ句、どこで調べたのか、ウチにまで来た。
しかも秘書付きで。
訪問の理由とは、あたしが生徒会入りをしたので、その代わりにコイツの会社から、ウチに仕事の依頼を持ちかけるというものだった。
でも厳密に言えば、コイツの会社の子会社になったようなもの。
けれどそれで経営が良くなるのならば、と受け入れるしかないのが貧乏人というものだ。
プライドだけでは、食べてはいけないし、生きてもいけない。
そして自動的に、あたしはコイツの私物化決定。
逆らうことなどできず、でも受け入れることもできないまま、月日が過ぎる。
周囲の女子生徒達は、思いっきり羨ましがる。
確かに将来は決まっているし、顔も体も良い。
何でも強引で傲慢なところも、好きな女性にはたまらないだろう。
……が、あくまでも『好きな女性ならば』だ。
いい加減、長過ぎるキスにしびれを切らし、あたしは顔を背けた。
「ちょっと…しつこいんじゃないですか?」
「言っただろう? ヒマ潰しだと。―こっちを向け」
そして顎を掴まれ、再びキスの嵐。
強く抱きしめられると、抵抗する力が徐々に抜けてしまう。
プライドなんて邪魔なもの。
捨てた方が楽になるとは分かってはいるけど…!
どーしたって、理不尽だあ!
悔しさを感じながらも抵抗できず、結局ご主人様の気が済むまでキスされ続けた。
唇だけじゃない。
額や頬、耳や首にまでキスをされ、身が竦んでしまう。
「はあ…」
思わず熱い吐息をもらしてしまうと、ご主人様はクスッと笑う。
「随分、キスに溺れていたな」
「っ!? ご主人様がしつこいせいなのでは?」
我に返ったあたしは、後ろに身を引いて離れた。
「お前が中々堕ちないから、つい」
コイツっ…!
ギャルゲーのように人をもてあそびやがって!
「…ずっと聞きたかったことがあるんですけどね」
「何だ?」
「何で、あたしなんです? ご主人様ならもっと良いおもちゃを見つけることができるでしょうに」
あるいは志願する者を、側に置けば良い。
庶民上がりの貧乏娘が珍しいのは分かるけれど、だからと言ってこんな執着を見せることはないと思う。
まるで…本当に必要にされているかのように、錯覚させられるのが怖い。
そんなことは絶対に有り得ないはずなのに、勘違いをしてしまう自分がイヤになる。
ご主人様はあたしの問いかけを聞いて、机に肩肘をついて、手のひらに顎を乗せる。
「俺の側にいるクセに、分からないのか?」
「ご主人様だって、あたしの気持ちは分からないでしょうに」
どんな願いだって、全力をもって叶えなければならない屈辱を、毎日のように味わっているのだ。
それは絶対に、コイツが知らない感情だ。
「そうだな。お前がいつまでも意地を張っている気持ちは分からないが、見ていて面白い」
サドめっ!
声には出さずとも、目線で伝える。
どーせ屈辱に打ちひしがれるあたしの姿を見て、笑っているんでしょーよ!
「お前は体の方が従順だな」
「…無理やりそういうふうにしつけたご主人様が、何をおっしゃりますか?」
思わず嫌味な敬語を使ってしまう。
さっきみたいに無理やりキスをするのは日常的なもの。
時にはご主人様の家に泊まるように言われることもあり、人が逆らえないことをいいことに、好き勝手をしてくれる。
「でも心までは俺の物にはなっていない」
そう言いながらも、表情は物凄く楽しそうだ。
今まで手に入れられない物など、なかった人生を送ってきたんだろうな。
けれどここで、気持ちばかりは逆らう姿を見せるあたしが現れた―と。
「…あたしとしては、もうそろそろ飽きてくれないかと思っているんですけど」
「俺がお前を見放して、今までのような生活を送れると思っているのか?」
「うっ!」
学校のことはともかく、実家の仕事の方は困る。
「……じゃあ形だけでも、心までお仕えしているようにした方が良いですか?」
するとご主人様の目線が、厳しいものへと変わる。
「下手な演技はしない方が、身の為だ」
ううっ…!
ヘビだ、ヘビがあたしの目の前にいる!
そしてあたしはカエルになった気分になるのだ…。
そもそも美形が怒ると、迫力があって怖い。
コレが余計に、逆らえなくさせる。
「じゃあ…このままで、ご主人様の気が済むまでいた方が良いってことですか?」
「まあそれも楽しそうだが」
不意にご主人様の手が伸び、あたしの後頭部に触れた…と思った瞬間!
「いたっ!」
髪を鷲掴みにされて、引き寄せられた!
おっ女の子の髪の毛を、普通掴んで引っ張る!?
「こういうふうに、いろんなお前を見られるのが一番楽しいからな」
間近で悪魔が微笑む。
痛みで涙が浮かび、顔をしかめる女の顔を見て、笑うなんて悪魔以外の何ものでもない!
ぎりっと歯を噛んだ後、あたしは作り笑みを無理やり浮かべた。
「じゃあ…覚悟しといてくださいよ?」
「何がだ?」
「あたしは絶対にご主人様を愛しません。例え力でねじ伏せられても、あたしの心だけはご主人様の物にはなりませんから」
真っ直ぐに目を見つめながら言うと、今まで見たことのないぐらい、甘い微笑みを浮かべる。
「それは楽しみだな」
そう言って手を離したので、ようやく開放された。
痛む頭を撫でながら、それでもあたしも引きつった笑顔を見せる。
―そう。絶対にこの鬼畜男のことは愛さない。
そんな言葉は絶対に、口に出しては言わない。
言ったら本当に、この関係は終わってしまうから。
まだこのゲームは決着がついていない。
あたしが本当にコイツの物になるのか。
それとも『愛』なんて言葉を、いつかコイツの前で言う日が来るのか。
今はまだ分からないけど、とりあえず、ご主人様の一番側にいよう。
決して屈服しない姿を見せれば、ご主人様は執着した姿を見せてくれるから。
さぁて、どっちが先に、堕ちる?
カエルだって、ヘビにダメージを与えるぐらいの毒を持っていることを、教えなければならない。
ご主人様の鬼畜さと、あたしのしぶとさ。
勝つのはどっち?
そしてゲームの終わりには、何が待っているんだろうな?
とりあえず、終わるまではこのプレイをご主人様と共に楽しむことにしよう。
そして後でお仕置きされるかもしれないことを考えつつ、あたしは自らご主人様の唇にキスをした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます