ホワイトデーのキス

「くぬぬぬぬっ…!」


こっこの上り坂は辛いっ!


自転車を立ちこぎして、ようやっと山を越えられる。


1本向こうの道路では、バスが通る音が聞こえた。


…今日もいるんだろうな、彼は。


わたしは下り坂になると、足を広げた。


そのまま重力に任せて、坂を下る。


どうせこの細道は誰も通らない。


みんな、バスに乗るから。


わずかにあたたかくなった風を浴びながら、わたしは一ヶ月前のことを思い出す。


…今思い出しても、恥ずかしい!


何であんなことができたんだろう?


後でこうなることは、分かっていたのに!


わたしには好きな人がいた。


わたしがいつも乗るバスには、たくさんの学生達が乗る。


と言うのも、学校が駅から山の中に向かってあるからだ。


…普通は逆なのに。


それでも学校はそこにしかないから、みんなバスに乗って登校する。


わたしの好きな人も、同じバスに乗っていた。


わたしの家は駅近くにあるので、いつも座って乗れた。


一人用のイスに座り、20分で学校に着く。


彼は途中から乗って、わたしより先に降りる。


乗車時間、10分足らずだろうな。


…とある春の日、わたしのすぐ近くに彼が立った。


彼のカバンがわたしの膝に当たり、眠りから覚めてしまったわたしは思わず顔を上げた。


「すみません」


低くてキレイな声だった。


それ以上に、顔もキレイな人だった。


「いっいえ…」


赤くなる顔を隠すように、わたしはすぐに俯いた。


心臓の高鳴りが、彼に聞こえないか、気が気じゃなかった。


それからと言うもの、彼が乗ってくるバス停になると、心臓が高鳴り始めた。


彼とわたしは違う学校。


同じなのは、バスに乗っている10分間だけ。


そのことがとても嬉しくて、とても寂しかった。


でも彼はいつもわたしの近くに立っていた。


その間はとても幸せだった。


…それだけで良かったのに。


満足できていたはずなのに。


バレンタインデーが近付くにつれ、不安になっていった。


彼のことを何も知らない。


それでも同じ空間にいるだけで幸せだったはずなのに…いつの間にか、贅沢になったのだろうか?


わたしは彼に、自分のことを知ってほしいと考えるようになっていた。


だから友達と一緒に、バレンタイン用のチョコを買ってしまった。


今年のバレンタインデーは日曜日だから、みんな12日の金曜日に渡していた。


だからわたしも、金曜日にチョコを持って登校した。


だけど…人が多いバスの中では渡せず、その日1日は落ち込んで過ごした。


でも! 最後のチャンスがあった!


帰りのバスの中で、偶然、彼に会ったのだ。


幸い人も少なく、わたしはいつ渡そうか悩んでいた。


そして彼が降りる所になって、ようやくわたしは腰を上げた。


「ちょっちょっと待ってください!」


彼を追って、慌ててバスを降りた。


「えっ?」


「あの、コレ、受け取ってください!」


チョコを差し出すと、彼はキョトンとした。


…そりゃそうだ。


顔ぐらいは知っている女の子に、いきなりチョコを差し出されたら、誰だってそうなる。


「えっと…」


「ちょっチョコです! キライじゃなければ…」


「あっああ、うん。それじゃ、貰うね」


そう言って彼は受け取ってくれた。


わたしは一気に頭の中が真っ白になった。


チョコを渡すまでのことは考えていたけれど、その後のことは何も考えていなかったから。


「そっそれじゃあ失礼します!」


そう言って、思わず彼の前から逃げ出してしまった!


「えっ、ちょっと!」


「ゴメンなさーい!」


何に謝っているのか、自分でもよく分かっていなかった。


そしてわたしは走ったまま、駅まで来た。


…そして急に冷静になった。


チョコを渡したまでは良かったものの、来週の月曜日からどんな顔をしてバスに乗れば良いのか…と。


「あわっ!?」


せっせめて、名乗っておけばよかった…。


と考えるも、すでに時遅く。


次の月曜日から、自転車通学に変えたのは言うまでもない。


そしてバスが通る道を避けて、細道を通るのも。


友達はバスに乗らなくなったことを不思議に思っているようだけど、言えるワケがない。


なので毎日、必死で極寒の中、自転車をこぐ。


おかげで痩せてきた気がする。


このままバスに乗らなくても、自転車通いを続けても良いかもしれない。


もしかしたら…一ヶ月前のバレンタインで、彼には彼女ができたかもしれないし。


仲良く恋人でバスに乗られちゃ、それこそ窓から飛び降りそうだ。…わたしが。


にしても、今思い出しても顔から火が噴出しそう。


告白にもいろいろあるけれど、アレだけはないだろう!


「はあ~」


ため息が白くなるこの季節、頭がすぐ冷えるのは良い。


…おかげで次の動きもすぐに対処できる。


でもさすがに帰りは寒いなぁ。


途中、コンビニでも寄ろうかな?


コンビニのディスプレイはすでにホワイトデー一色。


バレンタインデーにはチョコと決まっているけど、ホワイトデーはキャンディーだったりマシュマロだったり、最近はいろいろ出てきている。


でもわたしが貰うんだったら、やっぱりキャンディーがいいな。


フルーツ味の、甘いヤツ♪


…貰うアテはないし、自分で買おうかな?


沈んだ気持ちのまま、上り坂にかかる。


行きと違って、帰りの上りは緩やかだ。


座ってこいでも大丈夫なぐらい。


そして、今度の下り坂はとんでもない。


だから今度は足を閉じて、身を縮ませ、スピードに身を委ねる。


下手に何とかしようとすると、コケる可能性があるから。


そうして慎重に下ったところで、一度自転車から降りて、深呼吸。


「ふぅ…」


さすがに空気の冷たい時に下ると、ノドも心臓も痛くなる。


深呼吸を何度かして落ち着いたところで、再び自転車に乗ろうとしたら…。


「あっあの」


「えっ?」


聞き覚えのある声に驚いて顔を上げると…彼が、いた。


「えっ、なっ何で?」


自転車から降りると、彼は駆け寄って来た。


「よかった、会えて…。バスの窓から見かけて、もしかしてと思って、待ってたんだ」


うっ! みっともないところをっ!


「あの、コレ。お返し」


そう言って彼はキレイにラッピングされた袋を差し出してきた。


「えっ? あっ、もしかしてチョコの?」


「うん」

律儀だなぁ。


確かにホワイトデーも日曜日だから、金曜日に渡す人は多いだろうけど。


「あっありがとう。ゴメンね? 何か気を使わせちゃったみたいで」


受け取ろうと手を差し出したら、いきなり引っ張られて、気付けば彼の腕の中にいた。


「…えっ?」


「あの、さ。あのチョコ、本命のだって、うぬぼれても良いんだよな?」


「あっ…」


わたし、何も言わずに渡しちゃったから…。


「…キミに彼女か好きな人がいなければ、そう思ってくれると嬉しいんだけど」


だから今、あの時言えなかった言葉を言う。


「好きな人は、今、オレの腕の中にいる」

彼の言葉に、思わず涙が浮かんだ。


「ゴメン。本当は男のオレの方から言い出せば良かったんだけど…。1年前の春、バスの中で見かけた時から気になっていたんだ。でも言い出せなくて…」


「ううん…。わたしもバレンタイン、何も言えなかったら…」


わたしはゆっくりと彼から離れた。


彼の優しくてあたたかな手が、わたしの頬に触れる。


そしてそのまま彼の顔が近付いてくるのを、わたしは感じながら目を閉じた。


わたしの冷たい唇に触れるのは、彼のあたたかな唇。


キスをした後、わたしは目にいっぱい涙を溜めながら、言った。


「キミが好きよ」


「うん。オレも好き。一目惚れだったんだ」


「うんっ…! わたしも一目惚れなの」


そしてお互いの顔を見て、笑った。


「そう言えば、チョコ、美味しかった」


「良かったぁ。友達と洋菓子の美味しいお店で買ったんだ。甘い物、苦手じゃないか不安だったの」


帰り道、彼はわたしの自転車を引っ張ってくれた。


「大丈夫。でもあの後、全然バスで見かけなくなったから、心配してた」


「ごっゴメン。あの後すぐ、自分の仕出かしたことに気付いて…。恥ずかしくって」


「そっか。でもちゃんと呼び止めなかったオレにも責任あるし、これからは何でも話し合おうな」


「うん! あっ、コレ、開けても良い?」


「どうぞ」


わたしは彼から貰ったホワイトデーのお返しを開けた。


「わあ! キレイ! 可愛い~♪」


宝石のようにキラキラしているキャンディーがいっぱい袋に入っていた。


わたしは一粒取り出し、口の中に入れた。


甘酸っぱいイチゴのキャンディーだ。


「えへへ。美味しいね」


「オレにもちょうだい」


「うん。どうぞ」


彼は両手が塞がっているので、わたしが食べさせてあげる。


こんなふうに甘い時間を、わたし達は一緒に過ごしていくんだ。


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