甘々なキス・4
思い出せば、いつも彼の言葉からはじまっていた。
最初は春の体力測定が終わった後、運動神経が良かったわたしに、彼が声をかけてきた。
「なあなあ、野球部のマネージャー、してくんない?」
「えっ?」
運動部に誘われることはあっても、マネージャーに誘われることは今までなかった。
ウチの学校の野球部は正直言って、そんなに強くない。
そのせいか部員もギリギリで、マネージャーなんて今まで存在すらしていなかったらしい。
男所帯のせいで、部員達の士気も下がっているし、部室も大変な状態になっているらしい。
家事や誰かの世話をするのには慣れていたので、わたしは引き受けることにした。
彼の熱意に負けたというのもあるけど…。
一生懸命に頼み込んでくる姿が、ちょっと可愛いと思ったのもあるかな?
とにかく、わたしは彼の所属する野球部のマネージャーになった。
…ところが、予想以上にヒドイことになっていた。
部室は今まで掃除も洗濯もロクにしていないことがありありと出ていて、部員達も遊び半分になっていた。
こんなんで勝てるワケがない!
わたしは気合を入れ直し、部を立て直すことを決めた。
まずは部室の掃除と、ユニフォームの洗濯からはじめた。
授業が終わった後にチマチマやっていてもしょうがないので、休日に朝から来て、晩まで掃除と洗濯をした。
古いながらも小型の洗濯機があって良かった。
顧問の先生から部費を貰って、洗剤や掃除に必要な物を買い揃えた。
「掃除や洗濯って、大変なんだなぁ」
のん気な声で荷物持ちをしてくれるのは彼だった。
休日に一気に掃除と洗濯をすると言うと、付き合ってくれると言った。
…つまりその間、野球部の練習はないという意味なので、ちょっといろんな意味で泣けた。
でも手伝いは嬉しかった。
重い荷物も、彼は平気な顔をして持ってくれる。
頼もしいなぁと思う反面、その力を野球に注いでほしいという気持ちもある。
「ちなみに掃除と洗濯の経験はあるの?」
「ないな」
…やっぱり。
爽やかな笑顔で言われても、心は浮き立たない。
「…じゃあとりあえず、草むしりお願いね」
わたしは草刈鎌と軍手を彼に渡した。
「えっ? 草むしり?」
「そう。ウチの部室の周り、スゴイことになっているから」
野球部の部室はグラウンドの側に立てられたプレハブ小屋。
そこの周囲が草原と化しているのはいただけない。
「草ばかりだと、虫もわくでしょう? 蚊に食われたらイヤじゃない」
「まあそうだな」
彼は軍手と鎌を受け取った。
そのうえにわたしは袋を載せた。
「刈った草はこの袋に入れてね。乾燥させてから捨てるから」
「おう! 任せとけ!」
彼は意気揚々と草を刈り始めた。
「あっ、手元には気を付けてね! くれぐれもケガしないようにね!」
「分かってるって」
そう言いながらも勢い良く刈っていく姿にちょっと不安があるけれど、掃除や洗濯をしなければいけない。
「よしっ! わたしも頑張ろう!」
気合を入れて、部室に足を入れた。
今日は天気が良いから、洗濯物を一気に干してしまおう。
マスクをして、ゴム手袋をして、エプロンをして、洗い物をはじめた。
物干し台は野ざらしにされていたので、拭いて綺麗にした後、使用。
そして掃除は部室の物を一気に外へ出して、部屋の中の掃除から始める。
そして終わったら戻す物を綺麗にしてから、部屋の中に入れた。
…主に使用不可能や目的が分からない物は、ゴミ袋に入れて。
熱中している時に、ケータイのアラーム音で我に返った。
「あっ、お昼だ」
予定の半分は終わっていたから、順調順調♪
洗濯物も触ってみると、大分乾いていた。
「この調子なら、今日中には終わっちゃうかな?」
でも念の為に明日も来て、やり残したことがないか調べないと…。
「あ~、腹減ったぁ」
振り返ると、彼が地面に座り込んで、お腹をさすっていた。
「お昼ご飯にしよっか?」
「そうだな。コンビニに行くか?」
「あっ、わたしお弁当作って来たよ」
「ホントか!? ヤッター!」
素直に喜んでくれるのは嬉しいんだけど…。
「あっあんまり期待しないでよね。大したものは作っていないんだから」
部室の中はまだゴチャゴチャなので、外で食べることにした。
お弁当はお握りや卵焼き、唐揚げなど普通のメニューだけど…。
「うん! 美味いな」
彼はニコニコとパクパク食べてくれた。
天気が良いし、体を動かした後だから、余計にお腹が減っていたんだろう。
「ねぇ、練習メニューのことなんだけどさ」
「うん?」
「変えない? 正直言って、一回戦負けの常連校なんて情けなすぎるし」
「うぐっ!?」
ノドに食べ物を詰まらせた彼の背中を、トントンと叩きながら続ける。
「練習の気合の入れ具合も、正直言って甘いし…。良かったら練習メニューとか、わたし決めようか?」
「でっでも野球に詳しいのか?」
「バカにしないでよ! わたしを野球部に誘ったのはあなたでしょう? ちゃんとルールも覚えました!」
マネージャーになると決めた時には、顧問にお願いして野球のルールブックを借りた。
そして一生懸命に覚えた。
今まで野球にはあまり興味を持っていなかったけど、ルールを覚えるとなかなか興味深かった。
「テレビも見るようになったし、部員のみんなのこともちゃんと見てるんだから! だから練習メニュー、わたしに任せてくれない?」
「オレはいいと思うけど…。でも部長が頷かなかったら、多分ムリだぞ?」
「それは大丈夫♪」
わたしはニッコリ微笑んで見せた。
「秘策があるの。部長はピッチャーよね?」
「うっうん」
「じゃあ、簡単に投げた球を打たれちゃイヤよね?」
「あっああ」
そこまで言って、彼は何となく悟ったらしい。
ハッとした顔で、みるみる複雑な表情を浮かべる。
「お前…まさか」
「ええ、わたしの練習メニューに反対するなら、するだけのことをしてもらいましょう!」
わたしは意気揚々と拳を空に向けた。
「とは言え、まずは掃除と洗濯ね。洗濯は何とか今日中に終わりそうだけど、掃除はやっぱり明日もやらなきゃ」
「オレの方は何とか今日中に終わらせるよ。そしたら明日の掃除は手伝ってやれるし」
「それは嬉しいけど…。でも掃除より、野球部のバットやボール、グローブを磨いてほしいなぁ」
「うっ…!」
「部費がそんなにないから、ボロいのはしょうがないけど。汚いのはどうにかしてもらいたいわね」
「わっ分かったよ。そっちの方が慣れてるし、明日はそっちをやる」
「うん。お願いね」
お互い、慣れてることをやった方が効率が良い。
「あっ、なあ、明日も弁当作ってきてくれよ」
「いいけど…。明日はそんなに時間かからないわよ?」
下手すれば午前中に全てが終わる。
「けどコンビニ弁当なんて味気ないし。それなら手作り弁当の方がいい。お前の作る料理、美味いし♪」
子供のように無邪気に笑う彼を見て、思わずわたしまで笑顔になる。
「ふふっ、ありがとう。おかずにリクエストある?」
「ハンバーグ!」
…味覚まで子供だったのね。
それから楽しそうにお弁当の中身を語る彼を見ながら、胸が高鳴るのを感じた。
でも今は野球のことが先!
マネージャーとして誘われたんだから、ちゃんと役目は果たさなきゃいけない。
お弁当を食べ終えた後は、すぐに部室に戻った。
掃除と洗濯は半端なく疲れた。
ぐったりしながら空を見上げると、すでに茜色に染まっている。
「終わったー!」
それとほぼ同時に、彼の草むしりや終わったらしい。
「おい、終わったぞ!」
彼は土だらけになりながら、草入りの袋を掲げて見せた。
「ご苦労様。こっちも区切りをつけたから、帰ろうか」
「だな」
わたしは埃まみれで、彼は土だらけ。
帰る前に顔ぐらいは拭いた方が良いだろう。
わたしは乾いた洗濯物の中からタオルを二枚持って、水で濡らして彼に差し出した。
「帰る前に、顔とか手拭いた方が良いよ」
「えっ? そんなにヒドイ?」
「うん、かなり。ドロ遊びをした子供みたいな格好になっているから。部室に鏡あるから、見ながら拭いたら?」
「分かった。タオル、サンキュ!」
彼はタオルを受け取ると、部室に走って行った。
走る彼の後姿はカッコ良いなぁ。
そんなことを思いながら、タオルを顔に当てた。
「つめたっ!」
ぼんやりした頭に、冷たいタオルは効いた。
顔や首、手や腕を拭くとある程度はすっきりした。
でも何か汗臭い気がする…。
「お待たせー。どうだ?」
彼が戻って来たけど、まだちょっと…。
「ん~。ちょっと動かないでね」
「あっああ」
首や顎の、彼には見えにくい部分にはまだ土が付いていた。
わたしは自分のタオルを使って、その部分を拭いていく。
「つめてっ!」
「我慢して。土だらけのまま、家に帰ったら何事かと思われるわよ」
彼の場合、遊んで土だらけになったんだろうと思われることは間違いない。
「う~。まだか?」
「んっ。ちょっと首下げて」
「ああ」
彼が首を下げると、うなじの部分が見える。
わたしは少し背伸びをして、彼の首に腕を回した。
ここが何だか汚れがヒドイなぁ。きっと汗が流れて、それを土が付いた軍手で拭いたりしたんだろう。
「ん~。けっこう汚れているわね」
ちゃんと見ようとするたび、背伸びしなきゃいけないのが少し苦しい。
「なっなあ、もういいから」
「何言ってんの。こんなに汚れているのに」
「でっでも、この体勢は…」
「体勢?」
そこでハッと気付いた。
背伸びをして、彼の首に腕を巻いている。
…抱きついている体勢だ。
しかも今のわたしは汗臭かった!
「ごっゴメン!」
わたしは慌てて後ろに飛びずさった。
みっ密着しすぎた!
「いっイヤ、その、ありがとな」
「うっうん…。じゃあわたし、荷物取ってくるから。先に帰ってて」
「ああ」
お互い、顔が真っ赤で気まずい。
荷物は部室に置いていたけれど、部室の鍵は職員室にいる顧問に返さなきゃならない。
荷物を持つと、そこで彼とは別れた。
職員室に行くと、マネージャーモードになる。
顧問に鍵を返す時に、練習メニューのことについて申し出てみた。
軽くOKされたので、ちょっとビックリしたけれど、やっぱり部員のことは心配された。
反対されるだろうことは分かっていたから、打開策があることを告げた。
わたしの自信ありげな姿を見て、とりあえずは頑張れと言ってくれた。
明日も来ることを告げて、わたしは職員室を出た。
すると校門の所で、彼が自転車に乗ってそこにいた。
「あれ? どうしたの? 部室に忘れ物?」
「いやその…。おっ送ってく」
「えっ? わたし?」
「お前の他に誰がいるんだよ? ホラ、荷物」
「うっうん、ありがとう」
自転車の前籠に荷物を入れて、わたしは後ろに座った。
「ちゃんと捕まってろよ」
「重かったら言ってね? そんなに家、遠くないし…。あっ、家の場所はねぇ」
「…知ってる」
「えっ? 通り道?」
わたしの家は学校から歩いて20分程度。
でも行く時も帰る時も、彼の姿を見たことはない気が…。
「~~~っ! いいから、行くぞ!」
「えっ、わぁ!」
自転車がいきなり動き出したので、わたしは思わず彼の腰にしがみついた。
何とか安定して自転車は進んでいるので、一安心。
…フラフラさせては、女の子のプライドに傷が付いていただろう。
流れる風が気持ちよかった。
二人とも会話はなかったけれど、心地良い雰囲気のまま、家に到着した。
「明日も同じ時間でいい?」
「ああ。その…迎えに来るから」
「えっ? 悪いからいいよぉ」
20分ぐらい、散歩代わりになる。
けれど何故か彼は顔を真っ赤にして、怒鳴った。
「いいから迎えに来るから、待ってろ!」
「うっうん…。分かった」
あまりの剣幕に、わたしは頷いた。
「…じゃな。弁当、美味かった」
「明日も楽しみにしててね」
にっこり笑いながら言うと、彼も少し笑って頷いた。
彼の後姿が見えなくなるぐらいになってから、わたしは家の中に入った。
「さて、と…」
まずはシャワーを浴びて、体を綺麗にしよう。
その後は野球部の練習メニューを考えて、明日のお弁当の中身も考えなくちゃ。
…あっ、買い物、行かなきゃ。
やることは多かった。
体はスッゴク疲れていたけれど、何故か心は浮きだっていた。
練習メニューを考えている間も、お弁当のメニューを考えている間にも、彼のことが頭に浮かんだ。
けれど彼がわたしに望んでいるのはマネージャーとしての役目。
それ以上は…いや、やめておこう。
今考えることじゃない。
わたしは自らマネージャーになることを決めたんだ。
その役目を果たさないまま、彼への気持ちを強くしても意味がない。
とにかく、野球部を立て直すことが先決!
翌日、彼の自転車に乗って、学校へ行った。
残りの掃除と片付けを終え、お弁当を食べ終えた後、考えた練習メニューについて話し合った。
「う~ん…。まあ悪くはないけど、結構キッツイかも?」
「大会が近いから、それはしょうがないわよ。大会が終われば練習は減るし、短期集中と思ってくれない?」
「まあそれならみんなも納得するかもしれないけど…。本当に大丈夫か?」
「大丈夫! 絶対納得させてみせるから!」
わたしは自分の胸を叩いて見せた。
不安げな顔をした彼は、翌日の放課後、みんなが集まった時にも同じ顔をしていた。
ある程度は予想していたものの、みんな難しい顔をしていた。
だからわたしは妥協案を出した。
部長は一応エースピッチャー、腕にある程度は自信があった。
その部長に、わたしは勝負を挑んだ。
バッターとして、部長を迎え撃つと言ったのだ。
そしてグラウンドでは、彼を含めた部員達が不安げな顔で勝負を見守っていた。
わたしはバットを持って、構える。
わたしが打てれば、部員は文句言いっこなしで練習メニューに従ってくれると約束してくれた。
だから本気を出す!
部長は悪い人ではないけれど、ちょっと気が弱くて、情けないところがある。
そんな甘い部分を、打ち砕かなければ野球部は立ち直れない!
部長は渾身の球を投げてきた。
だけどわたしはマネージャーになってからというもの、バッティングセンターに通うようになっていた。
それは練習メニューを考える為、バッターの気持ちを味わう為だった。
だから今の部長の球は、ゆっくり見える。
バッティングセンターの的に何度も当てて、景品をゲットしたわたしの目には、弱小野球部の球なんて軽いものだった。
なので思いっきり、
カッキーン!
と、ホームランを打った。
部長は白い顔で膝から崩れ落ちた。
部員達は口をあんぐり開いたけれど、わたしはピースして見せた。
次に副部長が勝負を申し出てきた。
副部長はバッターなので、わたしはキャッチャーをする。
きっとそれならわたしに勝てるだろうと思ったんだろうケド…わたし、実はソフトボールのキャッチャーの経験があった。
野球とはちょっと違うけどそれでも良いならと言ったら、副部長は満足そうに頷いた。
なのでわたしは、全身全霊で一球投げた。
ズバンッ!
…副部長は、バットを振ることすらできなかった。
「つーかお前、どんだけ運動神経抜群なんだよ?」
「体動かすのは好きだからね。そんじょそこらの運動部には負けない自信あるし」
ケロッと言いながら、洗濯物を干す。
今日は午前授業だけだったので、部活は休みにした。
最近、部員達がみるみるやつれていったので、顧問からストップがかかった。
なので今の時間を利用して、洗濯や掃除、片づけをしていた。
本当はわたし1人でやるつもりだったんだけど…彼は手伝ってくれる。
部活が終わった後の片付けとか、買出しとか、よく付き合ってくれる。
過酷な練習メニューにみんなグッタリしているのに、彼1人だけ無表情で耐えている。
…ちょっと練習量多かったかな?
わたしなら平気でこなせるけど、彼等は少し厳しいみたいだ。
減らすことを考えながら、洗濯を続ける。
もうすぐ大会が始まるし、疲れた体で挑ませてもムリがある。
それにテストもあるから、そこら辺を微調整しながら…。
「おいってば!」
「えっ! なっ何?」
急に大声を出されて、驚いて振り返ると、むつくれた表情の彼が仁王立ちしていた。
「洗濯、終わったぞ? 何ぼんやりしているんだよ?」
「ごっゴメンゴメン。練習メニューの調整を考えてて、ぼーっとしちゃった」
彼から洗濯籠を受け取り、物干し竿にかけていく。
「増やす気かよ?」
「まさか! テストもあるし、減らすことにしたの。無理は禁物だしな」
「オレはお前の方がムリしている気がするけどな」
「そう?」
「ああ。お前、ノックの練習とか付き合ってくれているし」
顧問がボールを上げてくれて、わたしはある程度の力でバットを振る。
四方八方に散ったボールを、部員達が1つ残さず拾うという練習。
毎日欠かさずやっていた。守備を強くする為に。
わたしの方がバッティングセンスに優れているということで、顧問と副部長に指名されてはじめたことだった。
「うん…。でもホラ、マネージャーの仕事、楽しいし。どうやらわたしに合っているみたい」
部員達のサポートや裏作業は疲れるものの、充実していた。
どんなに疲れてても、イヤになることはないのが証拠だ。
「…ならいいけど。たまには力抜けよな」
「大丈夫よ。あなたが仕事手伝ってくれるおかげもあって、大分楽だから。あなたこそ大丈夫? 練習に手伝いもあって、わたしより疲れているんじゃない?」
「オレも別に…」
そう言って顔を背ける。
…何だか前に比べて、ちょっと扱いが難しくなった?
前はよく笑っていたり、話しかけてくれたんだけど、最近はムスッとした顔ばかりされる。
まあわたしも顧問や部長、副部長達と話し合うことが多くなったから、彼ばかり構ってはいられないのが、ちょっと寂しかったりするんだけど…。
「まっまあお互い、ムリせず頑張りましょう! 目指せ、一回戦突破!」
「それが目標かよ! せめて優勝とか言えないのか?」
「ムリな夢は見ないことにしているの」
わたしはあっさり言い切った。
「だから一回戦突破できたら、御の字と思ってね? わたしをマネージャーに選んで良かったって、思わせてみせるから!」
「あっああ…」
ん? 何かイマイチな反応。
彼はわたしの運動神経を見込んで、マネージャーに誘ったのだから、一緒にはりきってくれて良いはずなのに…。
テストや大会を控えて、ちょっと神経質になっているのかな?
いつもの天真爛漫な彼からはちょっと想像できないけど…。
ちなみに彼はバッターで、副部長に次ぐ実力の持ち主。
彼の練習メニューもわたしが考えて、ぐんぐん力をつけている。
そのことを誰もが喜んでいるのに、何故か彼は満足した様子を見せない。
何か…悩みでもあるんだろうか?
そう思って、顧問や部長達に話をしてみた。
けれど彼等が聞いても、何も言ってくれなかったらしい。
ちょっと不安はあったけれど、調子を崩していないから、ほっとくことにした。
野球部は彼1人だけではない。他にもサポートする人がいるのだ。
テストや大会が近いと、部員達の心の中には少なからず不安が生まれる。
それを取り除くのも、マネージャーとしてのわたしの役目だ。
そして大会当日。
何と彼の打った球がホームランとなり、野球部はめでたく一回戦突破となった。
何年ぶりかの快挙に、野球部どころか学校自体も沸いた。
普通の学校ならば一回戦突破したことぐらいで喜ばないだろうけど、これが何年かぶりになると喜びも大きい。
顧問や部長達に、涙ながらにお礼を言われた。
だけど戦いはまだ続いている。
みんな、この一回の勝ちで本気になった。
全員一丸となって優勝しようと口に出して言ってきたのだ。
勝てたことは嬉しいけれど、みんなの心が成長したことが、何よりわたしは嬉しかった。
テストも第一試合も無事に終わり、少し部活は休みになった。
それでも次の試合の為に予定を考えていると、彼が家に来た。
「どっどうしたの?」
休日に、何の予定もないのに彼が来ることなんて今まで一度もなかった。
なので変に慌ててしまう。
「ちょっと付き合えよ」
「いいけど…どこに?」
「学校」
「忘れ物でもしたの?」
連想することをそのまま口に出して言ったら、彼はがっくり項垂れた。
「お前は学校と言うと、忘れ物しか思い浮かばないのかよ?」
「えっと…何となく?」
テヘッ☆と笑って誤魔化してみる。
別に彼が忘れ物が多いとかではない。
他に思い浮かべることがないのだ。
「…はあ。まっ、とりあえず後ろに乗れよ」
「うん…。あっ、お弁当いる? お握りぐらいなら作れるけど」
時間はもうお昼時だった。
「ああ、食べる」
「じゃあ待ってて。すぐに作ってくるから」
わたしは家の中に戻った。
ご飯は今朝炊いたばかり。具材もお握りに入れるぐらいなら何とかなる。
考えてみると、彼にお弁当を作るのはかなり久し振りになる。
部員の為なら何度もある。
けど彼個人に作ることはこれで三回目ぐらいだった。
「昨日のうちに言ってくれれば、ちゃんとしたの作ってあげられたのになぁ」
そう思いながらも、お握りを作り始めた。
彼とわたしの分を作り、冷蔵庫に入っていた緑茶の缶を二本、バッグに入れて家を出た。
「お待たせ!」
「ああ、行くか」
何かちょっとデートみたいで嬉しい。
大会で活躍したこともあって、彼は女子生徒から人気急上昇した。
告白してくる子も…何人かいたけれど、彼は断っていた。
そんなシーンを見るたび、胸が痛むのを必死に隠してきた。
だけどもし、彼が告白を受け入れるような女の子が現れたら…わたしはマネージャーを続けていられるかな?
…いや、続けなきゃダメだ。
彼がわたしに望んだことは、マネージャーになることなんだから…。
彼の腰に回した腕に、力を込める。
彼の好きになる女の子はどんなコだろう?
少なくとも、わたしみたいに男の子と張り合うぐらい運動神経はよくないだろうな。
そう思うと、自然と自虐的な笑みが浮かんだ。
わたしの体は陽に焼けて、健康そうに見える。
でも擦り傷、切り傷、痣など、男の子みたいに体には多くあった。
髪もボサボサ気味で…女の子らしさなんてあんまり感じられないだろうな。
ちょっと切なくなって、彼の背中に顔を押し付けた。
彼はわたしが何をしても何も言わない。
そのことがありがたかったけど、寂しくもあった。
彼との距離は、一定を保ったまま、前にも後ろにも進めていない。
その方がいいはずなのに、何で望んでしまうんだろう?
答えの出ない問いを頭の中で繰り返しているうちに、学校へ到着した。
彼の前では明るく振る舞わなくてはならない。
マネージャーは何時いかなる時でも、平常心を保っていなければならないから。
「今日も良い天気♪ 外で食べる?」
「だな。部室の前で食べよう」
「うん!」
彼と二人きりになるのは久し振りだった。
特に今みたいに、部活抜きなのはかなり。
会話はお互い部活のことだけど、それでも楽しかった。
部室の前で、いつかのように二人並んで座って、お握りを食べた。
「…何か久し振りだよな、こういうの」
「そうだね。かなり忙しかったし」
彼は部員として、わたしはマネージャーとして多忙を極めていた。
それでも毎日会話はしていたし、顔も見合わせていたはずなのに…。
満足できていないわたしは、おかしいんだ。
それから何となく会話は続かなくなって、二人で黙々とお握りを食べた。
「それで用事って何?」
「あ~うん。そうだな」
彼は膝を立て、その上に顎を載せた。視線はグラウンドに向かっている。
「…今、顧問いるかな?」
「確かいる…はず。いろいろ用事があって、休みの日も学校に来なくちゃいけないみたいだから」
「じゃあ、ちょっと行ってくる」
「えっ? あっ、うん」
彼は校舎に向かって歩いて行ってしまった。
「…何だろう?」
何かおかしい。けれどその原因が分かるほど、わたしは彼のことを知らない。
「無限ループだぁ」
彼との関係を考えるたびに、おちいってしまう。
深く息を吐き、わたしもグラウンドに視線を向けた。
誰もいないグラウンド、見慣れているはずなのに、何故か心がザワめいた。
しばらくして、彼が戻って来た。
「お待たせ」
「うん…。どうしたの?」
「あのさ、今から勝負してくんない?」
「…はい?」
勝負? 何か久し振りに聞いた言葉だ。
「お前が球を投げて、オレが打つっていう勝負」
「はぁ…。まあ、良いケド」
わたしが気の抜けた返事をすると、彼は頷き、部室に向かった。
どうやら顧問には部室の鍵を借りに行ったらしい。
バットとグローブを持って出てきた。
「何か賭ける? アイスとかジュースとか」
「賭けか…。じゃあ、勝者が決めるっていうのはどうだ?」
「うん、それで良いよ」
彼の表情に、笑みが浮かんだことに安堵した。
グラウンドに入り、わたしはグローブに何度か球を入れたり出したりした。
練習メニューで投手をすることも多々あった。
でもそれは個人メニューで、本人が望まなければなかった。
副部長の相手をしたこともあり、わたしのピッチャーとしての腕はかなり上がった。
だけど…思い返してみると、彼とのこの練習はしたことがない。
理由は単純、彼が望まなかったから。
わたしも強制しなかった。
だからこれがはじめての対決となる。
…普通好きな人相手なら、きっと手加減して投げるんだろうな。
でもわたしは普通じゃない。
マネージャーなんだ。
手加減は彼を傷付けることにしかならない。
わたしは深呼吸をして、気合を入れた。
「―じゃあ、行くよ」
「ああ、来いよ」
傍から見れば、おかしな図だろう。
私服姿の男女二人が、対決しようとしているんだから。
でもわたしと彼には、ちょうどいい。
わたしは球を握り締め、全身全霊の力を込めて投げた。
「やっ!」
球はストレート。しかしその速さは部長をも追い抜く。
しかし彼の眼は真っ直ぐ球を捉えていた。
彼が動く。
そして―
カッキーン!
…ホームランを、打たれてしまった。
「…ウソ?」
わたしは呆然と球の行方を見た。
ああ…コレが部長の味わった気持ち。
さっさすがにプライドが…。
「よっしゃ!」
あっ、でも彼は喜んでいる。
そりゃそうだよね。
部員達の間では『無敗の女王』とまで言われたわたしに、勝てたんだから。
…もしかして、自信をつける為に彼は勝負を挑んできたんだろうか?
誰も勝つことができなかったわたしに勝てば、かなりの自信がつく。
その為に、今まで練習に誘ってこなかったのかな?
その可能性は…かなり、ある。
「おっおめでとう」
プライドにヒビが入るのを感じながら、わたしは固まった笑みを浮かべた。
「ああ、勝てた!」
彼はバットを投げ捨て、わたしの元へ駆けつけた。
「なっなあ、1つ言うこと聞いてくれるんだよな?」
「えっええ、わたしにできることなら…」
練習メニューを変えることとかは、顧問や部長に相談しなきゃいけないけど…。
一日ぐらい休むことや、お弁当メニューを彼好みに帰ることぐらいなら、わたしでもできることだ。
「じゃあ、あのさ」
彼はわたしの肩を掴み、赤い顔で目を覗き込んできた。
「よかったら…オレと付き合ってくれないか?」
「えっ? どこへ?」
がくっと項垂れる姿を見るのは、今日で二回目だ。
「何でこんな時までボケるんだよ…」
「ボケるって…」
「だからさっ!」
顔を上げた彼は、思っているより間近にあった。
「あっ…」
「っと…」
あとちょっとの距離で、唇が触れそうになる。
肩を捕まれているから、余計に近い。
だから顔を背けると、肩を揺さぶられた。
「…逃げんなよ」
「逃げてなんかない!」
「逃げてる! 前よりオレに構わなくなった!」
「子供みたいなこと、言わないでよ。マネージャーの仕事、忙しいの。わたしにマネージャーを頼んだのは、あなたでしょう?」
「それはお前に側にいてほしいからだよ!」
至近距離で怒鳴られ、耳がビリビリする。
「なのにマネージャーの仕事を理由に、お前は離れていった。…何でだよ?」
「何でって…」
マネージャーの仕事に専念したかった。
彼と特別な関係になることを恐れていたから…。
そう…逃げていた。
離れていたのは彼じゃない。
わたしなんだ。
「オレはお前にずっと側にいてほしかった。だからマネージャーに誘った。何にも言わなくても、お前だってオレの気持ちは分かっていただろう?」
「…自惚れないでよ」
「自惚れてないさ。だって両想いだろう? オレ達」
…その言葉には、反論できなかった。
「オレ、お前には運動神経、敵わなかったからさ。だから認めてくんないのかと思った。だから練習した。お前にも隠れて、一生懸命」
そうじゃなきゃ、わたしの球を打てないだろう。
「でも今は違うだろう? だから…認めろよ」
「…何を?」
「オレがお前のことが好きで、お前もオレのことが好きだってことだ」
「………」
認めるのは、怖かった。
一歩を踏み出してしまったら、何かが終わって始まる予感がしていたから。
そしたらもう二度と、彼とは仲が良かった頃には戻れないんじゃないかって思ってたから…。
でも今、その一歩を彼の方から歩んで来てくれた。
なら、わたしは…。
顔を上げて、背伸びをした。そして首に手を回し、彼の唇にキスをした。
―こうして気持ちを現すしかない。
こういう方法しか、思い浮かばなかった。
彼の手が、肩から背中に回る。
密着した体から伝わる、お互いの鼓動。
どっちも同じぐらい、強く高鳴っている。
「ふっ…」
唇が離れた後も、強く抱き締め合ったままだった。
優しく頭を撫でられ、わたしは彼に全てを預ける。
「もっと…オレを頼れよ」
「えっ?」
「そりゃ顧問や部長達みたいにはいかないけど、それでもお前の力になりたいからさ」
「…うん」
「お前が弱っている時とか、側にいることぐらいはできるし」
「うん」
「あ~っ! でもやっぱりいつも側にいろよ!」
「うんっ!」
ぎゅっと抱き締めた後、わたしは顔を上げた。
「じゃあ、お決まりだけど。わたしを甲子園に連れてってね」
「ホントにお決まりだな」
彼は苦笑するけど、困ってはいない。
口には出さないけれど、やっぱり夢を持っている。
「でもって、最後はやっぱりホームランでしょう!」
「それは…ちょっと難しいかもな」
「大丈夫よ!」
わたしは彼の両手をぎゅっと握った。
「ちゃんとわたしが鍛えてあげるから♪」
「えっ!?」
「副部長よりも優秀なバッターにしてあげるから、頑張ってね!」
「あっああ…」
彼の笑みが固まった気がするけど、ムシムシ。
わたしの頭の中には、彼を鍛えるメニューが浮かび始めていた。
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