社会人のキス

今の季節、わたしの働く職場は毎日が戦場だ。


何せ洋菓子&パンを扱う喫茶店(お持ち帰りOK)だからだ。


バレンタインデーも近い今、毎日引っ切り無しにお客様は来店し、予約の電話も鳴りっぱなし。


バイトを三倍雇っても、仕事の量も三倍だ。


わたしはフロアのチーフで、接客やレジ専門。


バイトの管理もわたしの仕事のうちなんだけど…。


「いらっしゃいませ!」


「ありがとうございました!」


目も回るような忙しさ!


あっちへ行ったり、こっちへ行ったり。


それでも倒れることなく仕事をこなせるには、理由がある。


閉店1時間後、調理場ではまだパティシエ達が慌しく働いていた。


それでも顔を出すと、1人の男性が気付いてくれる。


「そっち、終わった?」


「うん、こっちのバイト達は全員帰したわ」


「じゃ、オレもあがる。後は頼むぞ」


彼はわたしの幼馴染兼恋人。


元々このお店は彼の家族が経営していて、わたしは高校生の時からここでバイトをしていた。


わたしの家はこのお店のすぐ裏。


お店の隣は彼の家。


彼は長男で跡継ぎだから、日々忙しい。


「相変わらず毎日スゴイ人よ。繁盛するのは嬉しいけれど、ちょっとしんどいわね」


「お前は他に、新人の教育もしているもんな」


「それはあなただって同じでしょ? 若いパティシエの卵達を指導しているんだから」


「まあな」


お互いに苦笑する。


こう言ってても、お互い20代も後半に突入すれば、ある程度は落ち着いてしまう。


「でも繁盛はお前のおかげでもあるよ。いろいろなアイディア出してくれて、宣伝も良くてくれたから。親父達も感謝してた」


「それはどうも。あなたが海外から帰ってくるまで、潰すワケにもいかなかったからね」


彼は高校を卒業して、すぐ海外の学校へ行った。


お菓子作りの腕をあげるために。2年間も。


本当はスゴク寂しかった。


けれど彼の夢を邪魔したくなくて、あえて笑顔で送り出した。


彼はちゃんと2年間真面目に修行して、世界的な賞を取って帰ってきてくれた。


浮気もせずに、ね♪


「そうだ。今年のバレンタイン、何が食べたい?」


一見は順調そうに見えるわたし達。


…だけどちょっとだけ、わたしには不満があった。


「そっそうね。ケーキが良いわ。チョコケーキ。中にチョコチップ入りの」


「分かった。大きなの、作るからな」


「それだったら、長持ちするようにお酒入れてね」


「OK」


笑顔の彼に、頭を撫でられる。


…そう、彼は凄腕のパティシエ。


わたしはせいぜい家庭的なお菓子しか作れない。


だからバレンタインは毎年、彼の方からチョコをプレゼントしてくれる。


ホワイトデーだって、彼の手作りのお菓子を貰える。


つまり…わたしの方からは一度だって彼にチョコを渡したことがない。


何かお店で買ったのを渡しても嫌味っぽくなるだろうし、かと言ってわたしの手作りなんて…プロに渡すようなものじゃないし…。


「ん? どうした?」


急に黙り込んだわたしの顔を、心配そうに覗き込む彼。


わたしはイタズラ心が起きて、近付いてきた彼にキスをした。


ちゅっ、とね♪


弾むようなキスをすると、彼の顔が真っ赤になった。


「なっ!?」


「キスしたくなっただけよ。それよりあんまり頑張り過ぎないでね? わたしへのバレンタイン、1日ぐらい遅れたって、すねたりしませんから」


「わっ分かっているよ! まったく…」


怒りながらもわたしの手をつないでくれる、優しい彼が好き。


彼を支える為に、このお店に就職したけれど…。


彼の優しさに、わたしは何かを返せているのだろうか?


いっつも与えられてばっかりな気がする。


彼の負担にはなりたくないのに…。


でもバレンタインは、なぁ。


誕生日やクリスマスに奮発しても、バレンタインはまた別のもの。


特別だから、何かしてあげたいのだけれど。

お菓子作りで彼に勝てるワケはなく、かと言って別のモノをプレゼントするというワケにもいかず…。


グダグダしているうちに、あっという間に当日。


そして戦場は修羅場と化し…。


あっという間に売り物は全て完売。


バイト達はこれからデートというコが多く、みんな楽しそうに急いで帰って行った。


お店には彼とわたししかいなくなった。


「おつっかれー。明日は休みだし、泊まっても良い?」


「ああ、でもその前に」


彼は冷蔵庫から、ケーキを取り出した。


ハート型のチョコレートケーキ。


「あっ、もしかして…」


「昨夜のうちに、作っておいたんだ。ご希望通りに作ったよ」


「マメねぇ。でも嬉しい! ありがと」


「どういたしまして。はい、フォーク」


「うん」


フォークを受け取り、ケーキを一口、あむっ♪


「うん♪ 美味しい! 隠し味は愛情かしら?」


「ははっ。まあ当たりかな?」


赤い顔で、コーヒーを淹れてくれた。


「…ねぇ」


「どうした?」


「何か…わたしもあげたほうがいい?」


「何かって…チョコとか?」


「よっ洋菓子じゃなくて、何かホラ。プレゼントみたいな感じで」


「う~ん…。別に何もないな」


「あう…」


彼はお菓子作り一筋の人で、他に趣味を持っていない。


だから物欲もほぼ無いと言っても良い人。


「オレは物より、お前が側にいてくれたほうが嬉しいよ」


「そう? でもわたし、あなたに何も返せていない気がする…」


「そんなことないよ。オレのことを好きで、ずっと側にいてくれるじゃないか。それに…」


「それに?」


彼はニッコリ満面の笑みを浮かべた。


「オレの作るお菓子を、誰よりも美味しそうに食べてくれる。オレはそれが何よりも嬉しいんだ」


「それはっ…美味しいからよ」


「そう感じるのも、愛情があるからだろ?」


「うっ…!」


たっ確かにそれはあるかも…。


「オレやこの店を支えてくれる。何をプレゼントされるよりも、今の生活をずっと続けていけると思うことの方が、嬉しいよ」


「…ずっと?」


「ああ、ずっと、だ」


まあ、それぐらいなら…。


「それがあなたの望みなら…」


「ああ、それがオレの1番の望みだよ」


あんまりに嬉しそうに彼が笑うから、わたしは思わず抱きついた。


「おっおいっ。どうした?」


「んっ…。わたしも嬉しいから、思わず、ね」


わたしが側にいて、美味しそうに彼の作ったお菓子を食べることが彼の望みなら。


「本当にずっといるわよ?」


「ああ、いてくれよ」


「もちろん!」


微笑む彼の顔が近付いてくる。


彼の口付けはとてもあたたかくて、優しい。


そしてとっても甘い♪



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