純愛のキス・2

教師職10年にもなると、いろいろなことに慣れてくる。


男子高校の先生なんて7年もやっていると、すでにベテランの域。


若くてイキイキしている男子生徒諸君は、できの悪い弟みたいで、接しやすかった。


そのおかげか、あたしの受け持つ生徒は特に問題も起こさず、卒業してくれるのだが…。


「う~ん…。コレは一体どうしたのかな?」


あたしは困りつつ、首を横に傾げた。


あたしの目の前には、高校三年になる男子生徒・1人。


二者面談は授業が全て終わってから行うことになっている。


だから夕日が差し込む教室の中、あたしと彼だけしかいない。


三年生ならばとっくに卒業後の希望を決めてもおかしくない時期なのに、彼は進路調査を白紙で提出してきた。


…いや、正確には名前だけを書いて、提出。


だから呼び出し兼二者面談になったワケだけど。


彼は高校三年になってから、受け持った生徒。


二年の頃までは明るくはしゃいでいたイメージがあったけれど、三年になってからは真面目になった。


成績もあたしが担当している数学を筆頭に上がったし、めんどくさい役員とかも引き受けてくれた。


だから先生達の間では、評判の良い生徒なんだけど…。


「まだ就職か進学か決まっていない?」


「…いえ、そういうワケでも」


…あたしの目を見ないようにしながら言われてもなぁ。


「えっと、とりあえず二年の時に出してもらった調査書に合った大学のパンフをいくつか持ってきたの。良かったら目を通すだけ、通して見て」


と、教頭先生から押し付けられた大量のパンフを入れた封筒を机に乗せて、ずずいっと押す。


「はっはい」


あまりの多さに、目を丸くするよね?


「でも二年の時は英語が得意だったのよね。三年になってからは数学の方が成績が良くなってくれて、嬉しいわ。何なら理数系の大学の…」


「嬉しい、ですか?」


突然あたしの言葉を遮り、彼が真剣な言葉を出した。


「えっええ、もちろん。あたしの担当する教科だし、数学を好きになってくれるのは素直に嬉しいわよ」


…キライな子の方が多いから。


「…なら、先生はオレに好かれたら、嬉しいですか?」


「えっ? そりゃあ…嫌われるよりは、好かれた方が嬉しいわよ」


「そうじゃなくてっ…!」


彼は前髪をぐしゃっとかき上げ、真っ直ぐにあたしを見てきた。


あっ、コレはヤバイ。


長年、教師をしている勘がささやいている。


話題を変えろ、と。


「オレ、先生のことが好きです。一人の女性として、愛している」


「っ!?」


あまりの直球な言葉に、呼吸どころか心臓まで一瞬止まったわよ…。


でもすぐに冷静に戻らなきゃ!


間を空けちゃダメ。


「そう、あなたの気持ちはとても嬉しいわ。だけどあたしはあなたより15も年上だしね?」


…言ってて、自分でダメージを受けるな。


「でもオレはもう結婚できる歳です」


結婚ときたか…。


「でもご両親の承認が必要よ? 許してくれないわよ」


「説得します! 何年かかっても!」


その間に、キミは卒業するんだけどな~。


…正直なことを言うと、彼のような生徒が今までいなかったワケじゃない。


でもみんな若かったし、高校を卒業したら、自然と離れていった。


男子校の中での若い女教師。


目立つ存在であるからこそ、今まで教師としてというより、姉のように接してきたのに…。


「でもホラ、教師と生徒って言うのは、ねぇ?」


「オレはあと、半年も経たないうちにこの学校を卒業するから、それも効かない」


ああ、確かに…って、説得されちゃダメだってば!


「でっでも、あなたはまだ、進路決めてないじゃない。ハンパな気持ちじゃ、やっぱり周囲は認めてくれないわよ?」


そう言うと、彼の表情がくもった。


…おや? 妙なところでスイッチを押しちゃったかな?


彼は俯いたかと思うと、しぼり出すように言葉を出した。


「…オレが学生でいるうちは、先生のことしか考えたくなかったから…」


「…はい?」


「だから他のことなんて、考えたくなかった。先のことを考えれば、それは先生のいない生活のことだったから…」


ああ…。


確かに進路を考えるということは、ここを卒業してからどうするということを考えること。


その時、あたしは彼の側にいない。


「…だから進路先を考えていなかったの? 子供の考えねぇ」


ため息まじりに言うと、ムッとしたように顔を上げた。


「ガキだよ、オレ。先生より15も年下だもん」


ぐさっ★


きっ気にしていることを、サラッと言いやがって。


このガキがっ…!


「あのねぇ、先生ぐらいの歳!になると、もうちょっとしっかりした人が好みになるの。自分の感情のままに行動する人なんて、真っ平だわ」


自分でも大人気ない行動だと思っている。


だけど…彼の為だ。


真っ直ぐに人の目を見ることができる、彼の為に。


恋に一途になるあまり、自分をも変えてしまう、あわれで可愛い生徒の為に。


「…じゃあ、ちゃんと進路を決めたら、オレのこと、考えてくれます?」


「進路を決めただけじゃダメ。ちゃんとその通りに生きなきゃ。口だけなんて、何とでも言えるから」


甘えを容赦なく、切り捨てる。


…あたしに好意を持ってくれた生徒は、大抵決めた進路の中で、本当のパートナーを見つける。


だから彼にも見つけてほしかった。


まだ小さな世界しか知らないから。


そこで出会ったのがあたしだとしても、外の広い世界にはきっと、彼に相応しい相手が待っているから。


「それじゃっ…ちゃんと進路通りに進んでっ、一人前になったら、先生は認めてくれるんですか?」


声のおかしさに気付いて彼を見ると、…泣いていた。


ボロボロと。


「あわわっ!? 何も泣くことないじゃない!」


少しきつく言い過ぎたかな?


慌ててポケットからハンカチを取り出し、彼の涙で濡れた頬をふく。


「すみまっせん…」


「いいのよ。ゴメンなさい。ちょっと言い過ぎたわ」


年下に、…いや、生徒にムキになった。


教師失格だ…。


でもここで、投げ出すワケにもいかない。


あたしは教師なんだから。


このコの担任として、振るまわらなきゃ。


あたしは一度目を閉じると、決心して開けた。


そして―彼にキスをした。


「…えっ…」


軽く触れるだけのキス。


それだけで、彼の涙は止まった。


「…ちゃんと進路を決めなさい。そしてその道に進んで、一人前になってから、もう一度あたしのことを考えて。それでもまだ今の気持ちが変わっていなかったら…」


あたしはゆっくりと彼から離れた。


「会いに来て。あたしはずっと、ここにいるから」


彼の手にハンカチを押し付けて、あたしは立ち上がった。


「先生っ!?」


「キミが本当の大人になるの、待ってる」


―その瞬間、あたしは教師としての役目を忘れた。


忘れて、一人の女性になってしまった。




その後、彼は理数系の大学に進むことを決めた。


大学をちゃんと合格して、高校を卒業した。


卒業式が終わった後、校庭で彼と目が合った。


彼は真面目な顔で礼をして、去って行った。


―あれから5年の月日が流れた。


あたしは今でも同じ高校で教師をしている。


彼が去った後は、至って平凡な日々を送っていた。


だけどふと思い出してしまった。


あたしは彼にだけ、女性としての顔を見せてしまったことを。


それは自覚していなかったけど、あたしは彼のことを…。


夕日の差し込む教室で1人、ため息をつく。


「先生」


あっ、幻聴まで聞こえてきた。よりにもよって彼の声。


「先生、約束、覚えていますか?」


「えっ…?」


ここまではっきり聞こえるのは…幻聴なんかじゃない。


驚いて顔を上げたあたしの目に映ったのは…立派な男性になった、彼だった。


「どっどうしたの? あっ、久し振りね」


突然のことに、あたしはパニックを起こしていた。


けれど彼は優しく微笑んで、近付いてきた。


「オレ、教師になったんですよ。先生と同じ、数学教師に」


「えっ…そうだったの?」


あれから音沙汰は一切無かった。


手紙も電話もなく、同窓会にも彼は出席しなかった。


だからてっきり、新しい彼女ができたとばかり思っていたのに…。


「それで、今年からこの学校に赴任してきたんです」


「えっ、そうなの?」


「はい、ずいぶんムリしましたけどね」


苦笑する彼は、スーツを着こなしている立派な社会人だ。


…あたしより、しっかりしてそう。


「そう…だったの。立派になったわね」


思わず胸が熱くなる。


目も熱くなって、涙が浮かんでくる。


生徒の成長は素直に嬉しい。


「はい。これなら、先生に一人前だって、認められると思って」


「えっ…?」


「忘れたんですか? オレがちゃんと一人前になったら、もう一度告白して良いって言ったじゃないですか?」


「にっ似たようなことは言ったけど…」


「オレはこの五年間、その言葉を支えに、生きてきたんですからね」


少し赤い顔をしている彼を見ると、五年前の姿と重なる。


「愛してますよ、先生。五年経っても、オレの気持ちは変わりませんでした。―今度こそオレの本気、受け取ってくれますか?」


「なっ! かっ変わらなかったの?」


「変わるわけないじゃないですか。オレは本気なんですよ? 学生の時から、ずっとあなたに夢中だったんですから」


そう言って優しく抱き締めて、頭を撫でてくれる。


「あの頃のオレ…本当にガキでしたね。自分の気持ちでいっぱいいっぱいで…。先生を困らせるだけの、バカな子供でした」


「…うん。そうね」


素直に頷くと、彼は苦笑した。


「先生と離れて、頭が冷えました。そこからはずっと、先生に相応しくなろうと頑張ってきました。今度はオレが先生を支えようと思って」


彼はあたしの頬を両手で包み、顔を近付けてきた。

あたしは目を閉じて、彼の唇を感じた。


あの時は涙の味がした。


でも今は、とても甘い…。


「…社会人としてはまだ一年目ですけど、先生を支えられるぐらいは成長したつもりです。先生、返事は?」


「あなたって、ホントにバカね」


彼の手に顔を埋め、あたしは言った。


「…好きよ。一人の男性として、あなたのことが好き」


「その言葉…五年も待ちましたよ」


嬉しそうに微笑んで、彼は額と額を合わせた。


「でももう待ちません。今すぐにでも、結婚してもらいますよ?」


「相変わらず強引なところは変わっていないのね。でもあたし、教師は辞めないからね」


あたしの言葉に、彼の表情がくもった。


「やっぱり…辞めてくれませんか」


「ええ、もちろん! 教師はあたしの天職だもの」


教師をしていたおかげで、あなたと知り合えたんだしね♪


「はぁ…。先生は自覚無いようなので困るんですけど、あなた結構もてるんですよ? 五年前だって、オレは何人ものライバルを潰して、告白したんですから」


つぶっ…!? このコ、実は結構腹黒い?


「そっそう。でも辞めない。辞めろなんて、言わないわよね?」


間近でにっこり微笑んで見せると、彼は深くため息をついた。


「まっ、良いでしょう。結婚を公表すればいいだけですしね」


「なら、まずはあたしの家に行きましょう!」


あたしは彼の腕を掴み、歩き出した。


「あたしの知らない五年間、話してもらいますからね!」


「はいはい。先生もオレが会えなかった五年間のこと、教えてくださいよ?」


「分かってるわよ、あたしの旦那様♪」


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