甘々なキス・8

コンコン


「失礼します、先生」


「おう、入れ」


了解を得たので、私は職員室の引き戸を開ける。


引き戸の近くに、私のクラスの担任の席があった。


「はい、日直の日誌です」


「はい、ご苦労さん」


用が済んだらとっとと退散するのが、この職員室での決まり。


なので私もさっさと職員室を出て、いつもの所へ向かう。


私は科学部で、高校三年になった今は部長を務めている。


担任の先生は科学部の顧問で、いっつもお世話になっていた。


私は科学準備室で白衣を着た後、本棚の片付けをはじめた。


ウチの科学部はかなり有名で、一言で科学部と行ってもそこから部門がまた分かれていたりする。


生物を扱った部門や、機械を扱った部門などがあり、その活動は有名で、科学部に入る為にウチの高校に入ってくる学生もいるぐらいだった。


かく言う私も科学に興味があって、この高校へ入学してきた。


勉強は厳しくて難しいけれど、やりがいは感じる。


この高校の学生達は、高校在学中に将来の夢を決めることが多い。


そしてそのほとんどを叶えているのだから、根性がある学生が育っている証拠だろう。


「私はどうしよっかな?」


「何がだ?」


声と共に現れたのは、先程会った担任兼顧問の先生。


三十代後半で、メガネをかけている。


素っ気無い喋り方と、上手な授業のおかげで、男女共々人気が高い先生だった。


「将来のことです。ちょっとまだ、不安な部分がありまして」


「お前は何になりたいんだ?」


「とりあえず研究をしたいので、大学で科学者をしたいですね」


いろいろと難しいことも多いだろうけど、研究が好きなので、大学もそっち方面を選んでいる。


「ただ…もう一つ、叶えようかどうしようか迷っていることがありますから」


私はわざとらしく肩を竦めて見せる。


すると先生は引き戸の鍵を閉め、近付いてくる。


そして本棚に向かっている私を、背後から抱き締めてきた。


「何だ、プロポーズは受けてくれないのか?」


低く耳元で囁かれると、背筋がゾクッとする。


「教え子に手を出すなんて、いけない先生ですね」


「何を今更」


まっ、それを言われると本当に今更だと思う。


先生との出会いは、高校に入学してすぐのこと。


部活を見て回っている時、科学室で科学部の説明会に参加した。


そこではじめて先生を見て、淡い恋心を抱いた。


けれどそんな女の子は私だけじゃないってことは分かりきっていたから、憧れだけにとどめておこうと思っていたのに。


説明会が終わった後、先生に呼び止められて、科学部に入らないかと誘われた。


「…何で私にだけ、言うんですか?」


「お前さん、中学ん時も科学部で活躍してただろう? ウチの高校に入学したのを知ってから、眼つけてたんだ」


確かに中学校でも科学部にいて、活動はしていたけど…。


「でも先生、その言い方っていやらしく聞こえるんで、他の子には言わない方が良いですよ」


「いっいやらしい? …そう言われてみれば、そうかもな」


どうやら無自覚だったらしく、先生はショックを受ける。


そんな先生の姿を見て、私は緊張がほぐれた。


「まあ私レベルの部員はたくさんいるでしょうが、せっかく顧問の先生から誘われたことですし、入部しますよ」


「おっ、そう言ってくれるとありがたい。でも言っておくが、あんなこと言ったの、お前さんがはじめてだからな」


僅かに顔を赤く染めながら弁解する先生を見て、私はついふき出してしまう。


「ふふっ、分かっていますよ」


「ちなみに俺から部員を勧誘したのも、お前さんがはじめてだ」


「それは嬉しいです」


「ホントだぞ?」


そんな軽口をたたきながら、私と先生は仲良くなっていった。


部活は楽しくて、先生に会えるのも嬉しくて、毎日があっと言う間に過ぎていった。


だけど二年の秋、次期部長に任命された時は流石に戸惑った。


でも先生が支えてくれると言ってくれたので、引き受けることにした。


けれど部長を引き継いでからというもの、やることなすことは思った以上に多くて、部室で居眠りしてしまうことが多くなっていった。


あれは二年の秋に県で行われた、科学部の発表会の後、緊張の糸が途切れた私は、今いる科学準備室でイスに座った途端、眠ってしまった。


そんな私の隙をついて、先生が…。


「…でも寝込みを襲って、私が拒絶したらどうしようとか思わなかったんですか?」


背中に先生の重みを感じながらも、私は手に持った本を、棚に入れていく。


「ん~まあでも、お前さんに好かれていることは気付いていたからな」


自惚れ屋だとは言えない。


何せ本当に、私は先生が好きだし。


あれから何だかんだと一年以上が過ぎた。


進路の問題が出た時、二者面談を行なった。


その時、先生から言われた。


「高校を卒業したら、結婚しないか?」


―と。


流石に私は若すぎることは自覚していたので、返事は保留にしてもらった。


先生と私の関係は誰も知らないことだから、誰にも相談できないのがちょっとした悩み。


「先生は結婚を急ぐ年齢ですよね」


「言ってくれるな。でもお前さんの年代だと、十代で結婚も珍しくないだろう?」


「まあそうですね。私の友人の何人かも、高校を卒業すると同時に結婚するコがいますから」


しかも中には出来ちゃった婚までいるんだから、生き急いでいるように思える。


でも私はそこまで熱くはなれない。


「んで? やっぱ結婚はイヤか? 同棲を先にしたいか?」


「別に同棲も結婚もイヤではないですよ。先生のことは好きですし」


「なら何でちゃんとした答えをくれないんだ?」


私よりも年上のクセに、拗ねた表情をしてくるのだから、可愛い人だ。


「金に不自由させないし、浮気もしないぞ?」


「知ってますよ」


教師という安定した職業をしているし、私に夢中なのは充分身に染みている。


「じゃあ何で焦らすんだ?」


「焦らされている先生が可愛いから、と言ったらどうします?」


「…振り回すなよ、大人を」


「冗談ですよ」


本当は半分、本気だけど。


最後の一冊を入れ終えた後、私は先生に寄りかかった。


そして間近にある先生を見上げると、微笑んだ先生に肩越しでキスされる。


「んっ…」


もう数え切れないほど重ねた唇は、触れ合うたびに胸が高鳴って熱くなる。


離れた後、私は思い切って疑問を尋ねてみた。


「…先生は何で、私と結婚したいと思うんですか?」


「何でってそりゃあお前…好きな女と一緒になりたいって言うのは、男として当たり前の願望だろう?」


相変わらずストレートな人。


「女だって、惚れた男と一緒にいたいと思うだろう?」


「まあ否定はしませんけどね。もうちょっと、先生が冷静になってくれればと思いまして」


「それはムリ。俺、お前に夢中だから」


あっさり却下した先生は、再び私を強く抱き締める。


「高校を卒業したら、今より会えなくなるだろう? ましてや大学には、俺より良い男がいるかもしれないし」


「案外寂しがり屋なんですね、先生」


「お前が相手だと、そうなるみたいだ」


嬉しいことを言ってくれる。


高校を卒業した途端、先生と結婚すれば、周囲の人達に在学中から付き合っていたことがバレて、騒がれること分かっているんだろうか?


そうなれば先生は今のままじゃ、いられないのに…。


私は大学に逃げられるから良いけれど、先生はそうもいかない。


だから私は躊躇ってしまうのだ。


「高校を卒業したら同棲、私が就職したら結婚、というのはどうですか?」


「何で籍を入れるのをイヤがる?」


「イヤではないですけど…先生、教え子に手を出したという評判はよろしくないと思いますよ?」


だからせめて、高校を卒業して数年後に結婚をすれば、ある程度は誤魔化せる。


「本当のことだから否定はしないが。まあでもお前が気になるんだったら、そういう風にしようか? 俺はとにかく、お前と一緒にいたいだけだし」


ワガママな人。


でもこういうところも、良いと思ってしまう。


「ああ、でもさ。ようは学校関係者に、結婚したことを知られたくないんだよな?」


「そうですけど…」


「ならさ、籍は入れて、結婚式とか披露宴をお前が就職した後にすれば良いんじゃないか?」


「それは…」


確かにそれなら、二人の関係を表沙汰にしなくても済む。


「なっ? 良い考えだろう?」


「…先生、そんなに私と結婚したいんですか?」


「当たり前だろう? 愛してるんだから」


至極真面目な表情で言われると……断ることができなくなる。


「…じゃあ、それで話を進めましょうか」


「おっ。プロポーズを受け入れてくれるのか?」


「はい。私も先生のこと、愛していますから」


改めて先生と真正面から向き直って、今度は私から背伸びをしてキスをする。


「そりゃ嬉しいな」


「ですがとりあえず、大学入試が終わるまでは保留で」


「またかよ…。ああ、でも分かっているさ。じゃ、試験が終わったら、お前さんとこのご両親に挨拶に行かなきゃな」


嬉しそうに笑う先生を見て、私も笑みを浮かべる。


けれど心の中では、絶対に大学に受かろうと決意を固めた。


これで落ちたりしたら、絶対に両親に結婚を反対されるから。


前途は洋々とは言いにくいけれど、とりあえず先生との未来は明るいことが決定した。

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