第6話 変わり始めた二人の関係と暗黒の予言 ③



「はい、問題なし」


「ありがとうございます」


「今度からは無茶しちゃだめよ。【魔女鉱石】の口づけもなしに、アナスタシアは飛べるわけないんだから」


「……はい」



 医務室のベッドに横になったアナスタシアは、ソフィアの診察を受けていた。カーテンの向こうにはアメジストが今か今かと待ち構えている。その影が、先ほどからちらちらとカーテンに映りこんでいた。



「しかし……あの彼も人が変わったみたいね」


「え?」


「アナスタシアの拾ってきたあの【魔女鉱石】。最初はお人形みたいだったのに、今では、どこにでもいる人間の男みたい」



 ソフィアの言葉に、アナスタシアは喉を詰まらせる。


 確かに、あのキスをされて以来……アナスタシアもそう考えることが増えてしまった。もうただの【魔女鉱石】ではなくって、普通の……恋ができる人間みたいだと。



「ま、少しショック受けているみたいだし、休んでいった方がいいわ。ここのベッド使ってて」


「はい」


「あ、でも私今から席外しちゃうな……いいかしら?」


「大丈夫です。寝てるだけですから」


「そう、悪いわね」



 ソフィアはそう言って、医務室から出て行ってしまう。一人取り残されたアナスタシアは、大きく息を吐いた。……いや、一人ではない。



「アナスタシア?」



 カーテンの向こう側から、アメジストの声が聞こえる。アナスタシアは寝返りを打って、そちらから視線をそらした。



「大丈夫だった?」



 その声は、不安で満ちている。アナスタシアのことが心配でたまらないと言っているようだった。



「だ、大丈夫だって! 気にしないで」


「……そっち、入ってもいい?」



 アナスタシアが「だめ」というよりも先に、カーテンが開く音が聞こえた。アナスタシアを見下ろしていたアメジストは……そのまま、ずるずると床に崩れ落ちていった。



「え、ちょ、ちょっと!」



 アナスタシアも慌てた様子でベッドから降りて跪く。泣いているんじゃないかと思わせるくらい肩が震えているアメジストの頬に、そっと触れる。そこを伝う水滴がなかったことに安心したアナスタシアは、ハッと息を飲んだ。彼の深い紫色いっぱいに、自分の姿が映りこんでいる。戸惑っていると、アメジストは手を伸ばして……アナスタシアを強く抱きしめた。


 

「良かった」



 耳元で、彼が優しくそう言う。アナスタシアが自分の胸の中にいることを確かめるように、強く掻き抱く。アナスタシアの呼吸が苦しくなるくらい。目を閉じると、バクバクとうるさい自分の心臓の音に混じって、自分の物とは違う小刻みな音が聞こえてきた。彼とその音を重ねていることが、今のアナスタシアにはどうしようもできないほど嬉しかった。背中に腕を回すと、彼もほっと安心したように腕の力を緩める。



「ごめん、ね。心配かけて」


「……うん。もう、口づけ無しで飛ぶのは禁止」


「そ、それは……」



 今、彼と唇を重ねると……自分の気持ちに耐えられなくなりそうで、それが怖くて仕方がない。しかし、【魔女鉱石】のキスがないと満足に空を飛べないのも事実で……どうしたらいいのか困惑していると、アメジストは体を離した。



「え……」



 アナスタシアの頬を大きな手のひらで包み込み、そのまま自らの顔を近づけていく。



「ま、待って!」



 キスされる寸前で、アナスタシアはその手で彼の口を塞いだ。アメジストは、目を丸くさせる。



「そ、そういうのはちょっと……」


「どうして?」


「どうしてって、聞かれても……」


「アナスタシアは、もうキス嫌い?」



 意地悪な質問だと感じるのは、きっとアナスタシアだけだろう。アメジストはただ純粋にアナスタシアとキスをしたいからしようとしたのに……まるで、アナスタシアの本心を聞き出そうとする問いだ。



「そういうんじゃなくって、その……」


「イヤになった? 俺とキスするの」


「だ、だからね……今、そのタイミングじゃないでしょう?」



 アナスタシアは彼を見上げて、小さく微笑む。


「約束したじゃない。キスするときは……」


「魔力を渡すとき、だけ?」


「そう」



 スカートの埃を払って、アナスタシアは立ち上がる。そして、わき目も振らず駆け出していった。置いてけぼりになったアメジストは、自分の手のひらをじっと見て大きくため息をつく。その手に、アナスタシアに触れた時の熱が残っている。焼けるように熱かったのに、それが心地よくて仕方がない。……しかし、彼女の姿を追うことができないままだった。アナスタシアが求めていることが、まだ彼には理解できそうになかったからだ。



 アナスタシアは今自分がどこにいるかもわからないくらい、ずっと走り続けていた。気づいたら校舎から飛び出し、森の奥深くまで来ていた。



「ここって……」



 流れる汗をぬぐいながら、アナスタシアは周囲を見渡した。森の中、開かれた場所。夕焼けのオレンジ色が差し込む明るい場所……アメジストを見つけたところだ。


 その真ん中には……バルバラの姿があった。



「どうしたんだ、アーシャや」


「バルバラ様も……」


「私は、予知夢を見たからね。心を落ち着かせに来たんだ」



 魔女によって得意とする魔法は異なる。アナスタシアにとって医療魔法がそうであるように、バルバラが最も得意とするのは……未来予知だった。



「ちょうどよかった、アーシャのところに行こうと思っていたんだ」


「わ、私ですか?」


「ああ、お座り。心して聞くんだよ」



 アナスタシアはバルバラの目の前にあった大きな石の上に座る。



「今回の予知夢は……アーシャ、お前の国に関することだったよ」


「え……?」



 アナスタシアの瞳が揺れる、それでもバルバラはじっと彼女の目を見つめた。



「具体的な時期は分からないが、ルクリア帝国の城の真上に、暗雲が立ち込めるのが見た。兵は皆戦うことができなくなり……何者かが、国を乗っ取ろうとしているようだ」


「標的は……まさか、アレクセイですか? 相手は?」


「男の子の姿も、相手の姿も見えなかった。ただ、男と女の姿は見えたよ。誰かは分からなかったがね」


「男と、女?」



 バルバラはアナスタシアの手を握って、大きく頷く。



「二人が触れ合った瞬間、大きな光が見えた。そこで夢が途切れてしまったが……もしかしたら、アーシャの国を救うのはその二人なのかもしれない」


「光……」


「アーシャ。気を強く持ちなさい、先にこのことを知ったというのは相手に先手を打ったという事だ。何か気になる兆候があればすぐに知らせてもらうように連絡するんだよ」


「……わかりました」



 国の……アレクセイが国王になっておさめる国の危機。アナスタシアの悩みなんて軽微なもので、簡単に飛んで行ってしまった。



「何かあったら、すぐに相談しなさい。一人で頑張ろうとするんじゃないよ、いいね」


「はい」


「いい子だ。さあ、もう暗くなる。早く帰りなさい」



 アナスタシアは頷いた。わずかに震える脚で帰路につこうとする。バルバラは何かを言い残していたようで、その背中に声をかけた。



「な、何かありましたか?」


「いや……お前の【魔女鉱石】はどうしている?」


「わかんないです、たぶんそこらへんにいるとは思うんですけど」


「そうか。分かったよ」




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