第5話 ダンスパーティー、心を揺らして ④



 アナスタシアが、ゆっくりとその名を呼んで彼を見上げる。その瞳いっぱいに自分自身の姿が映ったとき、アメジストは今まで感じたことのない衝動にかられた。熱く噴出していくそれに突き動かされたアメジストは、アナスタシアの肩に腕を回して、そっと抱き寄せる。



「あ……」



 おそらく、自分の名前を呼ぼうとした彼女の顎をもう片方の手で掬い上げ、アメジストはそのまま自分の唇でそれを塞いだ。ほんのわずかにアナスタシアは体を強張らせたが、すぐに力を抜き……アメジストの口づけを受け入れていた。アメジストが目を開くと、うっとりと目を閉じるアナスタシアの表情が見える。


 一度口づけを離して、アメジストはアナスタシアを向かい合う。背中に腕を回して、ぎゅっと強く抱きしめる。アナスタシアの体は小さくて柔らかくて、いい匂いがする。大きく息を吸い込むと、その香りに酔ってしまって頭がくらくらするくらい、気分がいい。



「アメジスト、あの……」



 顔をあげる彼女にすかさず、アメジストはキスをする。アナスタシアの吐息を閉じ込めるように、深く、強く。アナスタシアが彼の胸を押しても、先ほどのダンスの時以上に力強く抱かれているため離れることもできない。ただ、彼の口づけを受けるだけだ。


 アメジストは唇を啄んだり、顔を傾けたり……徐々にキスを深くさせていく。互いの吐息で唇はしっとりと濡れて、吸い付きやすくなっていく。胸を叩いていたアナスタシアの腕からも力がぬけ、ゆっくりと、お互いを抱き合うようにアメジストの背中に回った。アメジストはさらに腕に力を込める。



「……はぁっ」



 息苦しそうにアナスタシアは息を漏らし、唇が小さく開く。そのすきを狙っていたのか、アメジストはねじり込む様に自身の舌をアナスタシアの腔内に差し入れていった。



「んぅ……っ!」



 驚いたアナスタシアが声をあげようとするが、それはアメジストの中に吸い込まれていった。彼の舌は歯列をなぞり、アナスタシアの舌に柔らかく絡みつく。



「ん、んん……ふ、ぁ……」



 アナスタシアがどれだけ抵抗しようとしても、アメジストはその腕に力を込めて彼女を決して離そうとはしない。互いの舌が絡み合い、柔らかく触れあう。いつしかアナスタシアから力が抜けていき、アメジストにくたっともたれかかる。アメジストは腕の力を緩め、柔らかく、優しくアナスタシアの事を抱きしめた。


 アメジストは、ゆっくりと唇を離した。銀色の糸が二人をつなぎ、やがて離れていく。



「な……なんで、こんな……」



 いつもの元気がアメジストに吸い込まれていったみたいだ、とアナスタシアは思った。体中が鉛になったみたいに重たく、脚に力が入らない。彼につかまっていないと真っすぐ立つこともできない。



「こんなこと、するの?」



 息絶え絶えになりながら、アナスタシアは彼に問う。体中、甘い心地よさに満たされているのに……これだけじゃ満足できそうにない、と鳴いている。きゅっと腕に力を込めると……アメジストも再び力を込めてアナスタシアを抱きしめる。



「したい、から」


「……え?」


「アナスタシアと、口づけしたいから」


「で、でも……」


「魔力を渡すとか、そういう事だけじゃなくて……普通にアナスタシアにキスをしたかったから。『恋人』になりたいから。それじゃ、だめ?」



 アナスタシアは、アレクセイの胸を押し返した。二人の距離が、少しだけ離れていく。



「アナスタシアは、キスしたくない?」



 言い返すこともできなかった。

アナスタシアは唇を抑える、触れ合った時の感触や……舌同士を擦り合わせた時の柔らかさがまだ口に残っている。

 アナスタシアは、頷こうとした。しかし……バルバラのある言葉が、それを遮る。



『【魔女鉱石】、人間でも動物でもない、ただの石だ。それに情を移してはいけないからね』



 そうだった、とアナスタシアは思い出す、彼はただの石だという事を。

こんなに温かくて力強くて……自分に好意を向けているのに。アナスタシアは腕に力を込めて、彼を引き離した。



「だから、何回も言っているじゃない」



 声が震える。アナスタシアは彼に顔を見られないように深くうつむいた。



「【魔女鉱石】と魔女は、それから魔力を分け与えられるだけの関係だって。だから……絶対に恋人同士にはなれないって」


「でも」


「でもも何もないの! もう、アメジストのわからずや!」



 アナスタシアは、また逃げるように駆け出していった。アメジストの足は地面に縫い合わされたようにぴくりとも動かない。どれだけ手を伸ばしても、アナスタシアを捕まえることもできず、空を掴むだけだった。



***



「あれ? 姉様、アメジストさんは?」



 夜も更けて、アレクセイがアナスタシアの部屋を訪ねると、彼女は机に突っ伏していた。部屋を見渡しても、いつもぴったりと姉にくっついている彼の姿はない。



「……知らない」


「ふーん、何かあったんだ」


「知らないってば!」



 アナスタシアが強く言い返しても、アレクセイはニヤニヤと笑うだけだ。



「僕、調べておいてあげようか?」


「ん? 何を調べるのよ……」


「【魔女鉱石】が人になれる方法。それか、二人がちゃんと恋人同士になれる方法をさ」



 ピタリとアナスタシアの動きが止まる。そして……目から、ボロボロと涙が溢れ出した。アレクセイはそんな姉を後ろから抱きしめる。優しく慰めるように。



「だから、姉様も……早く素直になりなよ。アメジストさんだけじゃなくって、自分のためにもね」



 その言葉が、アナスタシアの胸にしみこんでいった。

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