第2話 悪夢の試験と突然のキス ②
「私にはね、アレクセイって名前の弟いるんだけど……私はよく、アレクセイを箒の後ろに乗せて飛び回ってたの」
誕生日に、王家直属の魔女たちからプレゼントされた新しい箒はピカピカと光っていて、アナスタシアのお気に入りだった。五人兄弟の中で、魔力を持っているのはアナスタシアただ一人。そのアナスタシアの力に憧れていたのか、末の弟であるアレクセイはアナスタシアの後ろをついて歩いていた。アナスタシアが簡単な魔法(例えば火をつけることや、グラスの水を凍らせること)を見せるたびに、アレクセイは興奮したように飛び跳ねる。彼女も、得意げになって笑みを見せていたものだ。
アレクセイは生まれつき体が丈夫ではなく、その上血が止まりにくい病気まで持っている。そのせいで、怪我をしたら危ないからとあまり外で遊ぶこともできなかった。アレクセイの部屋は城の高いところにあって、彼を見舞にいくには下から階段で昇っていくより、外から箒で飛んでいった方が早い。アナスタシアは、いつもそうしていた。
そうやって箒で飛んでいくたびに、アレクセイは「自分も乗せて」とねだる。かわいい弟のお願いを無碍にもできず、アナスタシアはそのままよく箒に乗せて、少しだけ空を飛びまわる。
いつもそうしていたから、あの時も……きっと大丈夫だと自分の力を過信していたのかもしれない。
「姉様、お願い! あそこよりも高いところに行って」
アレクセイが、遠くを指さす。
その先にあったのは、この城のてっぺんだった。さすがのアナスタシアでも、あそこまで高いところまで飛んでいったことはない。高いところに行けば行くほど、風が強くなって箒をまっすぐに保つことができない。そう断ろうとしたのに、アレクセイはアナスタシアにぎゅっと抱き着いて、「お願い」と繰り返した。
可愛い弟の頼み事を、断ることができない。それがアナスタシアの悪いところだ。どこか不安げに小さく頷いて少しずつ上昇していく。高く上がるにつれて、「わぁ~」というアレクセイの喜びの声は大きくなっていく。それとは真逆で、アナスタシアの表情はドンドン険しくなっていた。風は強く吹き、二人分の重さがある箒をコントロールするのが次第に難しくなっていく。唇を強く噛んで、アナスタシアは何度も何度も念じた。もう少し、もう少しだけでいいから、箒よ、どうか持ちこたえて……。
「わっ……!」
「きゃあああ!」
城のてっぺんまであと少しというところで、凄まじい突風が二人を襲った。
アナスタシアはバランスを崩し、二人は風にあおられてぐるぐると回りながら飛ばされていく。先に振り落とされそうになったのは、アナスタシアの背中にしがみついていたアレクセイの方だった。自分の腰に回っていたアレクセイの腕が離れ、みるみるうちに離れていく。アナスタシアは渾身の力を振り絞って、落ちていくアレクセイに追いつこうとした。手を伸ばして、アレクセイの細い腕を掴み引き上げて、箒を握らせる。アレクセイがぎゅっと箒の柄を握ったのを確認したアナスタシアから安心したせいか、ふっと力が緩んでいき……今度は、アナスタシアが落ちていった。
「姉様!」
手を伸ばそうとするアレクセイに向かって、アナスタシアは呪文を叫んだ。
「浮かべ!(プラーベニ)」
魔女たちに教えてもらったばかりで呪文で不安だったけれど、アレクセイの体は箒と一緒にその場でぷかぷかと浮いた。それを見て安心したアナスタシアは……そのまま真っ逆さまに落ちていき、地面にたたき付けられていた。
アナスタシアが気がついたときには、箒から落ちて、もう数日が過ぎていた。ゆっくりと目を開けると、アナスタシアを食い入るように見つめる両親と、不安げな姉弟たちが見える。
「お母様……」
その中で一番近くにいた母をたどたどしく呼ぶと、母は目の色をギロッと変えてそのままアナスタシアの頬を手のひらで打った。大きな「バチン」という音と、ヒリヒリと痛む頬。何が起きたのか、すぐに理解できなかった。見上げると、眉をしかめわなわなと唇を震わせる母の姿があった。
「あなたという子は! アナスタシア!」
母の叫びは、部屋中に響き渡る。もしかしたら、城中かもしれない。
「アレクセイに何かあったらどうするつもりだったの! アレクセイは次の国王様なのよ! ただでさえ体が弱いのに……!」
「アレキサンドラ、落ち着いて」
父親が母の名を呼んでなだめようとしても、母の怒りは収まる気配はない。
「アレクセイに何かあったら……怪我をして血が止まらなくなったら、あなたがアレクセイを殺すことになっていたのよ!」
「お、母様……」
「もう二度と、アレクセイをこんな危険な目に合わせないで!」
母はアレクセイの手を強引に握り、駆け出すように部屋を飛び出していった。弟の小さな後姿を見る限りでは、アレクセイに怪我はなさそうだ。アナスタシアはほっと胸をなでおろす。
「怪我はどうだ? 痛くはないかい、アナスタシア」
父が、アナスタシアの頭を優しく撫でた。首を横に小さく振ると、父は安心したように微笑む。
「痛くなったら、すぐに魔女に薬を持ってくるからすぐに言うんだよ。そうだ、アナスタシアの箒も無事だからね。でも、次からはあまり高い所にはいかないように。あと、二人乗りも禁止にしないとね」
「はい、わかりました。……ねえ、お父様」
「なんだい?」
「お母様、許してくださるかな?」
「大丈夫、心配しなくてもいいよ」
父の声音は、いつも以上に優しい。そのせいで、逆にアナスタシアの不安がかき立てられてしまう。
「どうしたら、ちゃんと許してもらえるかな……」
呟きながら、アナスタシアはまた眠りについていた。
治療の甲斐があってか、数か月後にはアナスタシアの体から傷が消えてすっかり動き回ることができるようになっていた。その頃には母の機嫌もすっかり戻っていたが……何かがあってからでは遅いので、彼女の目の届く範囲でアレクセイと遊んでいた。少しばかり窮屈ではあるけども、弟を危険な目に合わせるよりはずっといい。
「姉様、最近箒で飛ばないね」
「……え?」
最初にアナスタシアの変化に気づいたのは、アレクセイだった。あんなに箒で空を飛ぶのが大好きだった姉が、あれ以来、箒に触れようともしない。
「姉様は飛んでもいいんだよ。僕を乗せて飛ぶのが駄目になっただけで……僕、姉様が飛んでいるところを見るの大好きだし!」
「そ、そうだよね」
アレクセイに促されるようにアナスタシアは部屋に箒を取りに行く。庭に戻ると、弟が目を輝かせてじっと見つめていた。
「飛んでみせて、姉様」
「う、うん」
アナスタシアは箒にまたがる。大きくジャンプをしようと脚に力を入れてるが……。
「……」
「? 姉様? どうしたの?」
強く吹き込む風、手から離れていく大事な弟と箒。そして何よりも、地面に叩きつけられた時の衝撃……痛み。それが足の裏から這い上がるように徐々に伝わって、頭の中を支配していく。アナスタシアの手がぶるぶると震え、顔は青ざめるどころか真っ白になっていく。
気が付くと、アナスタシアはその場で崩れ落ちていた。
それ以来、アナスタシアは空を飛ぶことが出来なくなっていた。
「イヤなこと思い出しちゃった」
隣に座るアメジストは、何やら理解をしたように小さく頷く。
「アナスタシア、飛ぶの、怖い?」
「そーいうこと」
「でも、飛ばないとダメ?」
「そう。……飛ばないと、授業置いて行かれちゃう。私ね、ここを卒業したら、国に帰って国専属の魔女になるの」
ぽつりと呟くアナスタシアの横顔を、アメジストがじっと見つめる。
「いずれ、弟のアレクセイが国王になる日がくる。でもあの子は体が弱いから、それまでに私があの子の病気を治してあげたいの。だから……そのために、まず飛ぶことができないとなんだけどねぇ」
はあ、と重たい呼吸と漏らすアナスタシアを尻目にアメジストが立ち上がった。そして、そのままふらふらと歩いてどこかに行ってしまう。
「ねえ、ちょっと! どこ行くの?」
引き留める間もなく、彼の姿は消えてしまった。アナスタシアも諦めたのか「消灯までには帰ってきなさいよ!」と、アメジストの背中に向かって大きく叫んだ。
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