第2話 悪夢の試験と突然のキス ③
***
今、アメジストの目の前に重厚なドアがある。そのドアノブに触れようと手を伸ばしたが、ビリッと鋭い電気が走りアメジストは反射的に手を引いた。いくら触れても、その電気が収まることはない。首を傾けて何やら考えていると、廊下の向こうから笑い声が聞こえた。
「それは、私の留守中、誰にも部屋には入れさせない呪いだよ。【魔女鉱石】にも効くなんて思いもしなかったねぇ」
姿を見せたのは、バルバラだった。
「バルバラ」
アメジストが名前を呼ぶと、バルバラは笑みをこぼしながら深く頷く。
「どうしたんだい、アーシャの【魔女鉱石】や」
「聞きたい事、ある」
「聞きたい事? まあ、とりあえず部屋に入りなさい。話はそこで聞こうか」
バルバラがドアノブを握ると、バチバチと電気は走ることなく、ドアはすんなりと開いた。
「そこにお座り」
アメジストが言われた通りソファに座ると、バルバラは自分の机についた。本がうず高く積まれていて、バルバラの姿が隠れてしまった。そこからしわがれた声が聞こえてくると、本が話をしているみたいだ。
「それで、話っていうのは何だ?」
「【魔女鉱石】の、使い方。知ってたら教えて」
「ふむ……それは、どうしてだい?」
「アナスタシア、空、飛べないから」
「ああ。あの子、次のテストで飛べなかったら落第だってねぇ。そこかしこで見習い魔女たちが噂話をしていたよ」
「アナスタシアを、空に飛べるようにしたい」
バルバラは椅子に深く座って、考え込む。
「……それは、お前がアナスタシアの役に立ちたいという事かい?」
「そう」
「アナスタシアにそう命令されたのか?」
「違う」
「……それなら、誰かに役に立つように言われた?」
「それも、違う」
バルバラは言葉を詰まらせる。しばらく間をおいてから、ゆっくりと口を開いた。
「お前自身が、そう思ったのか?」
「……そう」
予想外のことが立て続けに起こる。伝承として聞いていただけの、人の形をした【魔女鉱石】の存在。そして、それが自らの意志で『主のため』を思って行動しようとしている。さすがのバルバラにも想像できないことばかりだ。
「ふむ……そうだな。昨日のヴィクトリア様の話、覚えているか?」
「覚えてる」
「そうか。……【魔女鉱石】を持つ魔女は、それを『持つ』だけで力を得ていた。しかし、大魔女・ヴィクトリア様だけある特殊な儀式を行っていたと聞いている」
「儀式?」
「ヴィクトリア様の【魔女鉱石】も、お前と同じように人の形をしていたから肌身離さず持ち歩くということができなかったのだろうな。その【魔女鉱石】がヴィクトリア様に魔力を与えるときにしていたこと、それは……」
バルバラは手元にあった画集を開き、ふわっと宙に浮かせた。その画集はページを開いたまま、ゆっくりとアメジストの元に届く。
「『口づけ』だったそうだよ」
「……くちづけ?」
初めて聞く言葉に、アメジストは首を傾げる。そんな無垢なアメジストを染め上げるように、バルバラは吹き込んでいく。
「そう、お前の唇とアナスタシアの唇を合わせる。ほら、その絵のように」
アメジストの目に、バルバラが言っている絵が飛び込んできた。そこには、男女が唇同士をくっつけて……『口づけ』している様子が描かれている。
「ヴィクトリア様と彼女の【魔女鉱石】は、そうしていた。もしお前がアナスタシアに魔力を渡したいならば、『口づけ』をしてみたらどうだ?」
「これを、アナスタシアと?」
「まあ、最初は怒られることを覚悟しておくのだな」
バルバラが大きな声を出して笑い出す。アメジストはきょとんとしたままだ。
「アナスタシア、怒る?」
「そりゃ、もちろん。何て言っても、これが『ファーストキッス』になってしまうわけだし……まあ、アーシャの事だ。力を手に入れるためと分かれば、きっぱりと割り切るだろうがな」
「『ファーストキッス』?」
「女は皆、生まれて初めての『口づけ』を特別に想っているもんなんじゃよ」
アメジストは、もう一度「口づけ」と呟く。そして、その画集を開いたまま胸に抱え立ち上がる。
「その本、お前にやろうかね。他にも人間の風習が描いてあるから勉強になるだろう」
「わかった」
踵を返して、そのままスタスタとドアに向かって歩き出す。バルバラはそんなアメジストの背中に声を変えた。
「これ、礼くらい言って行かんか」
「礼?」
「お前の使い方と、本までくれてやったんだ。誰かに何かしてもらったら、『ありがとう』と言うんじゃ」
「……ありがとう、バルバラ」
その言葉を聞いて、バルバラも笑みを作る。
まるで、小さな子どもに言葉を教えているときと同じだ。あの【魔女鉱石】は吸収力も高く、しっかり勉学に励めば、さぞ優秀な一人の【人間】らしくなるだろう。
しかし、そうなってはいけない。
バルバラは、もう一冊の画集を開く。どこもかしこもボロボロになっていて、取れそうになっているページもある。
そこに描かれているのは、大きくえぐり取られた大地。タイトル欄にはこう書かれている。
――大魔女・ヴィクトリアの墓標
***
あっという間に、箒試験の日がやってきた。その間、アメジストは何度も何度もアナスタシアに『口づけ』をしようと試みたが、毎日のようにやってきてはアナスタシアにアドバイスをしようとする見習い魔女達に阻まれ、夜は夜で練習に疲れたアナスタシアはすぐに眠りについてしまう。一度も『口づけ』は出来ず仕舞いだった。
アナスタシアの練習も中々うまくいかなかった。一度だけ、少し宙に浮いたがそれっきり練習の成果はあげられていない。だから、箒を抱きかかえて校庭に向かうアナスタシアもその周りも、どんよりと暗かった。
「大丈夫だって、アナスタシア! いっつも本番に強いじゃん!」
顔がどんどん青ざめていくアナスタシアを心配したフローレンスが、そう励ます。しかし、彼女がいくら慰めたところで、その負のオーラが消えることはなく……さらに澱んでいく。
「アナスタシア、いらっしゃい」
「……はーい」
校庭の真ん中に立つエリザベスが大きな声でアナスタシアを呼ぶと、アナスタシアは気の抜けた返事をする。校舎の窓や校庭を囲むように野次馬をする、見習い魔女の姿も多い。皆、ハラハラと息を飲みながらアナスタシアの試験を見守っていた。
重たい足取りのアナスタシアの後ろを、当たり前のようにアメジストがついて行く。それに気づいたのか、アナスタシアはため息をついて振り返った。
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