第2話 悪夢の試験と突然のキス

第2話 悪夢の試験と突然のキス ①


「絶対!! イヤ!! 私、部屋になんか戻らないから!!!!」



 全寮制の魔女育成学園・魔女の園の食堂に、フローレンスの叫び声が響いた。何事かと周りの見習い魔女たちがチラチラと、怒っている様子のフローレンスと困惑した表情のアナスタシアに視線を向ける。目立っていることに気づいたアナスタシアは、慌ててフローレンスの手を掴んで食堂を飛び出した。



「どうして? フローラ」


「だ、だって……部屋に戻ったらその人がいるんでしょ!」



 フローレンスの指先が、ピッとある人物を指した。彼――アメジストは無表情でフローレンスを見つめる。


 昨日の夜遅くに目覚めたフローレンスは、医務室で気を失っている間に起きた一連の出来事をソフィアから聞いていた。そして、アナスタシアが見つけた例の【彼】が自分たちの部屋にいることも。

 フローレンスには男子禁制の魔女の園に、捨て子として置いて行かれた過去がある。それ以来ずっとここから出ることなく暮らしていた彼女にとって……『男の人』は初めて見る、いわば未確認生物と同じ存在だった。



「大丈夫だよ! そんな変なこともしないし、少し雑に扱っても文句のひとつも言わないし……」



 フローレンスのベッドを使わせることもできず、だからと言って他のところで眠るつもりがなかったアナスタシアは、昨晩アメジストを地べたに寝かせた。そうするように言っても、アメジストは歯向かうことなく床に横になって、目を閉じていた。



「第一、バルバラ様がおっしゃっていた通り、これは【魔女鉱石】で人間じゃないんだから……」


「でも、人の形しているじゃない! 私、その人がいる限り絶対戻らないから!」


「そんなつれないこと言わないでよ~、私に一人寂しく寝てろって言うの?」


「その人がいるから大丈夫でしょ!」


「だから、人じゃなくって……」



 フローレンスは、フンッと鼻を鳴らす。腕を組んで、ジトッとアナスタシアを睨んだ。



「それよりも、その念願の【魔女鉱石】を手に入れたアナスタシア様は、どうやって箒の試験をパスするのかしら?」


「……あ」


「もう、忘れてるんだから! 私が部屋に戻るかどうかよりもそっちの方が重要じゃない!」



 ぐうの音もでない。

アナスタシアは、ぐっと押し黙ってしまう。



「アナスタシアは、まずそっち。私のことはその後で話し合いましょう」


「えー……」


「次のテストに合格しなかったら、落第しちゃうんだよ?」



 フローレンスのその言葉がダメ押しとなり、現実を受け止めたアナスタシアはがっくりと肩を落としていた。


 その日の放課後から、アナスタシアの箒で空を飛ぶ練習が始まった。授業が終わった後、廊下で待たせているアメジストを回収して(教室まで入ろうとすると、教壇に立つエリザベスが火を噴いたように怒り始めるため、仕方なく廊下に待たせることとなった)、フローレンスと共に庭まで向かう。箒にまたがって練習を始めるが、アナスタシアがジャンプしてもどれだけ念じても……彼女の足はピタッと地面に張り付いたままだった。



「ねえアーシャ、【魔女鉱石】ってどうやって使うの?」



 その様子を地べたに座りながらぼんやりと見つめていたフローレンスが、そうぽつりと呟いた。もちろん、同じように見つめるアメジストからは十分に距離をとっている。



「……え?」


「だって、【魔女鉱石】さえあれば飛べるって言ってたじゃない? どうやって使うの?」


「……考えたことなかった」


「えぇっ!?」



 フローレンスは呆れかえって、口をあんぐりと開けたまま。アナスタシアはくたびれた様子で、アメジストとフローレンスの間に座った。



「いろんな本読んで調べたけど、あんまり詳しい事書いてなかったのよね。魔女によって、どうやって【魔女鉱石】から魔力を引き出すのかが違うみたいで」


「参考にならなかったの?」


「そういうこと。私には私のやり方を見つけるしかないみたい」


 

 二人はそろって、頬杖をついてため息をはく。その様子を、不思議そうにアメジストが見つめていた。



「アナスタシア」


「なあに?」



 アメジストはアナスタシアの袖を引いた。頬杖をついたまま、アナスタシアはくるっとそちらを向く。


「アナスタシア、何してるの?」


「……え?」


「それ、何?」



 アメジストは、アナスタシアの足元に転がる箒を指さす。


「ああ、これ? これは掃除をしたりするものだけど……私たち魔女にとっては、空を飛ぶための道具」


「空? どうして?」


「どうしてって……」



 その思いがけない質問に、アナスタシアとフローレンスは顔を見合わせる。



「そういえば、考えたことなかった。フローラは?」


「うん、私も。……『空を飛ぶことができるのは、魔力を持つ魔女しかできないことだから』とか?」


「でも、今ブルーベル公国で空飛ぶ機械の開発してるんでしょう? それができたら、魔女だけの技術じゃなくなるわけだし」


「それなら、私たちが空を飛ぶ理由ってなんだろう?」


「機械が飛べるようになったら、意味ないもんね。私、もう飛ばなくっていいかも!」



 手を打ってはしゃいだような声を出すアナスタシアを見て、フローレンスは呆れたように息を吐く。そんな対照的な二人に向かって誰かが大きな足音を立て近づき、大きな影を作るように見下ろしていた。顔をあげると、眉間にしわを寄せたエリザベスが立っている。



「ひぃ!」



 二人は体を寄せ合って、小さく悲鳴を上げる。



「魔女が空を飛ぶのは、その伝統を守るためだけではありません。自分の魔力をコントロールする力を身につけるためです」


「は、はい!」


「魔力をコントロールできないとどうなるか、フローレンス!」


「はい! 魔力が暴走したり、魔法が使えなくなる恐れがあります!」



 フローレンスの声は、びくびくと震えている。エリザベスはその答えに満足したのか、深く頷く。



「そうです。箒で空を飛ぶという事は、持続して自分の魔力をコントロールする訓練でもあります。それができないとなると……わかってますね、アナスタシア」


「はひ……」



 その剣幕に押されながら、アナスタシアは間の抜けたような返事をした。エリザベスは、「次の試験、楽しみにしていますからね」と付け足して、大股で去っていった。



「こわ~……今日めっちゃ怖くなかった?」



 まだアナスタシアの体は恐怖でぶるぶると震えている。



「……私、噂で聞いたんだけどね」


「噂?」



 アナスタシアが聞き返すと、フローレンスは「うん」と頷く。



「アーシャが見つけた流れ星、先生方も探してたって聞いたんだけど……」


「あ! それなら、私も聞いてる」


「それを、一番熱心に探していたのはエリザベス先生なんだって」


「……え? どうして?」


「そりゃ魔女だったら、やっぱり【魔女鉱石】はのどから手が出るほど欲しいもん。手に入れたら、強大な力と福音が手に入るんでしょ? ……そういう人の形はごめんだけど」


「ふーん。じゃあ、エリザベス先生に嫉妬されてるってこと? 私」


「そうかもね。ご愁傷様。……私、今日ご飯の当番だからもう行くね」


「え?」



 フローレンスはそう言って立ち上がる。お尻に付いた砂埃を払うと、手を振って足早に校舎の中に戻っていった。



「もう、置いて行かないでよ~」



 アナスタシアの声は虚しく、校庭に響き渡る。オレンジ色の西日がまぶしく取り残されたアナスタシアとアメジストを照らしていた。



「はあ、どうしたらいいんだか」


「アナスタシア」


「ん? 今度はなあに?」


「どうして、空、飛べない?」



 アメジストの片言なしゃべり方でも、質問の意図はすぐにわかった。アナスタシアは、大きく息を吐く。



「昔はね、飛べたのよ。まだ小さい頃」



 アナスタシアは、顔を伏せる。目を閉じなくても、あの日の出来事はありありと思い出せた。もう何年も前のことだ。


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