第3話 波乱の遠乗りと、【恋】についての学び ③
深い森の中は、日が暮れたらすぐに暗くなってしまう。アナスタシアたちはひとまず、安全に夜を過ごせる場所を探しながら、周囲を歩き回った。幸いにも小さなせせらぎの近くで、雨風をしのぐことができそうな洞穴を見つけることができた。その中で薪を集めて火をつけて、フローレンスはエリザベスに向けて手紙を書き綴る。広葉樹の葉っぱで作った鳥にその手紙を括りつけて、高く飛ばす。それが風に乗ったのを確認していると、食料を探しに行っていたアナスタシアとアメジストが戻ってきた。
「どうだった? 食べられそうなものあった?」
「野イチゴと、アケビぐらいかな。ないよりはマシって感じ」
「明日先生が迎えに来てくれるまでの我慢だね」
アナスタシアは採ってきたばかりの野イチゴとアケビが入った籠をフローレンスに渡すと、大きく欠伸をしながら座り込む。アメジストも、その隣に腰を下ろした。
「なんか……疲れちゃった」
「結構歩いたし……それに、アーシャは二人乗りだったからね。私がちゃんと見張りしてるから、アーシャは少し休んだら?」
「うん、ありがと」
アナスタシアはゴツゴツした岩壁にもたれかかり、しばらく経たないうちに、コクリコクリと舟をこぎ始める。アメジストは彼女の肩を抱きとめて、岩壁ではなく自分にもたれかかるように引き寄せた。すやすやと規則正しいアナスタシアの寝息が、静かな洞穴に響く。
アメジストと二人きりになったことのないフローレンスは、少し気まずい思いをしながら野イチゴを摘まんでいた。きゅんと甘酸っぱくておいしいそれも、いたたまれなくって喉に入っていかない。
「ねえ、フローレンス」
「え?! あ、よ、呼んだ?」
しんと静まり返った洞窟でアメジストが彼女の名を呼ぶと、フローレンスの体は驚いたように飛び上がっていく。不意打ちにどぎまぎとしながらも、フローレンスは「なあに?」と返事をする。
「さっきの話。『コイ』って、何?」
「え?」
「二人で話してた、『コイ』。食べられる? おいしい?」
びっくりして氷のように固まっていた頭が、徐々に解けていくにつれて……アメジストの聞こうとしていることがようやっと理解できた。
「『恋』?」
「『恋』。それ、さっきアナスタシアと話していた」
聞いていないように見えて、しっかりと自分の主の話を聞いていたことにまたフローレンスは驚く。
「……難しいな、どう言えばいいのかな?」
改めてその『恋』というものを言葉で説明しようとすると難しい。フローレンスは腕を組みうんうんと唸りながら、うまい言葉を探していく。
「例えば……特定の誰かを見た時に心臓がドキドキし始めるとか、いつも一緒にいたいって思ったり、ハグしたいってなったり……キ、キスしたくなったり」
その『キス』という言葉を口にすると、アメジストがアナスタシアに口づけした時の事を思い出して恥ずかしくなってくる。あれが、【魔女鉱石】として、アメジストが主であるアナスタシアに魔力を渡す方法だとしても、自分の目の前で無二の親友が男に唇を奪われたシーンを目の当たりにしたフローレンスにとっては恥ずかしい以外なにものでもなかった。
「あとは……他の誰にも、奪われたくないって思うこと、かな?」
「それが『恋』?」
「私もまだしたことないけど……多分、そう」
パチッと薪が爆ぜる音が洞穴に響く。ちらりとアメジストを見ると、とても優しげな表情でアナスタシアの頬を撫でていた。ふと、フローレンスの胸にある疑問が芽生える。
「ねえ、アメジスト」
「なに?」
「アメジストは、アナスタシアのことどう思ってるの?」
今度は、アメジストが言葉を詰まらせる番だった。おそらく、まだ彼の中には二人の関係を表現できる言葉がないのだろう。フローレンスは手助けするように続ける。
「ただの【魔女鉱石】と主? それとも、姉とか妹みたいな感じ? あとは……それ以上に大事、とか」
そのどれにも当てはまらなかったようで、アメジストは首を横に振るばかりだった。
「それなら……」
フローレンスは、喉をごくりと鳴らす。
「アナスタシアとキスするのは、好き? 嫌い?」
キス、口づけ。
それはアメジストにとって、アナスタシアに魔力を渡すため、役に立つための行為だ。好きとか嫌いとか、そういったことを考えたことは今まで一度もない。首をかしげて悩んでいると、フローレンスが口を開く。
「アーシャ、恋しないとか結婚しないとか言ってたけど……例えアーシャにとっても絶対キスって大事な物だと思うの。だから、ちゃんとソコに意味があってほしいなって。もちろん、魔力を渡すのも大切だと思うけど……ほら、気持ちも考えて! ね?」
「気持ち?」
アメジストは胸に手を当てる。石らしく無機質な彼にとって、その『気持ち』というものは理解しがたいものだった。先ほどフローレンスが言っていた、「恋のドキドキ」も「いつも一緒にいたい」というのも、「誰にも渡したくない」という気持ちも……まだ彼の心の中には一つもない。フローレンスをみると、彼女は曖昧に微笑んでいた。
「まだ、難しい?」
アメジストは素直にコクンと頷く。
「ま、いっか。いつか分かってさえくれれば……私も少し休むね、アメジストは見張りをお願い」
フローレンスは横になった。やがて小さな寝息が聞こえてくる。アメジストはフローレンスが言っていたこと考えている内に、いつの間にか夜が明けていっていた。
朝日が昇ったころ、二人は目を覚ます。いつものベッドや寝袋で眠ったわけではないので、体中に疲れが残ったままだ。身支度を整えていると、エリザベスからの返事を、同じように葉っぱで作った鳥が運んできた。
「怒ってるんだろうな、先生……」
アナスタシアがそうぼやきながら、返事を開いていく。そこに書かれていたのは森の地図で、二人がいる場所とからキャンプ地への道筋が赤い線で引かれている。地図の端っこには、「帰ってきたらお説教です。覚悟なさい」と書き添えられていてアナスタシアもフローレンスも身震いする。
「帰りたくないな……」
「でも、ずっとここにいるわけにもいかないじゃない? 行こうか、アーシャ」
「はぁい」
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