第3話 波乱の遠乗りと、【恋】についての学び ②



***



 【深緑の森】は、魔女の園から西南に35マイル離れたところにある、太古の姿がそのまま残された原生林だ。そこに生える植物は希少なものが多く、数人の魔女たちによって密猟者が入らないように管理されている。その魔女たちも魔女の園出身という縁があって、見習い魔女たちは実習のために森に入るのを。快く許している。

 到着してすぐ、見習い魔女たちが集められ今回の『課題』が発表された。この課題をすべてこなさない限り……彼女たちは魔女の園に帰ることはできない。その年によってはすぐに帰ってくることもあれば、半年以上魔女の園を離れることもある。楽しい遠出とは裏腹に、なかなか過酷な行事でもあった。



「……マンゲツパエオニアのつぼみと、イヌカリンの実か」


「今回、ハードル高いよね」



 その二つの植物の名が発表された時の驚きと言ったら。皆目を丸くさせ、その後大きな叫び声をあげていた。それは、何が起きているのか理解できないアメジストが耳を両手で塞ぐくらいの音量の声だった。

 マンゲツパエオニアは万病に効くとされ、その通り満月の日に咲く花だ。花よりもつぼみの方に薬用としての効果があり、いろんな薬に使われている。イヌカリンの実は風邪に効く薬を作る材料のひとつである。ただ、それらを見つけるのは、素人では中々難しいとされている。熟練の植物ハンターであればどこに自生しているのかわかると聞くが、ここにいるのは慣れない見習い魔女達。二つとも似た植物も多いため、判別も中々難しい。ここ数年の中では、難しい課題の一つと言える。それらの植物を、エリザベスが決めた量採取しなければならない。

 見習い魔女たちは、それぞれマンゲツパエオニアを見つける班とイヌカリンを見つける班の二手に分かれ、さらにその中で二人一組でチームを組み、森の中を探し回っていた。マンゲツパエオニア班のアナスタシアは、フローレンスとチームを組む、もちろんアメジストも近くにいるが……彼はあまり役には立たないだろう。あてにはしていない。



「アメジスト、こっち来て」



 森の中を物珍しそうにきょろきょろと見渡しているアメジストを呼びつけると、彼はすぐさま近づいてきた。アナスタシアは拾ったドングリをアメジストに渡す。


「これくらいの大きさの花のつぼみを見つけたら、すぐに教えて。なんでもいいから、わかった?」


「わかった。見つけたら、アナスタシアの役に立つ?」


「うん、立つ立つ」



 アナスタシアがうんうんと頷くと、アメジストは安心したように笑みを見せた。そして、生えている植物一つ一つを確認するように手に取りはじめる。



「……なんか、扱い方慣れてきたね」


「アメジストの?」


「うん」


「フローラは、まだ慣れないの? アメジストの事……」



 聞くと、フローレンスは小さく頷く。他の見習い魔女たちは好奇心いっぱいな様子でアメジストと接しているが、異性と関りを持ったことのないフローレンスはまだアメジストに慣れる気配はなかった。



「そっか、でもしょうがないよ。フローラはずっと魔女の園にいて、男の人とお話したことないんだもん」


「でも……魔女の園を出たら、どんな仕事についても男の人とお話ししなきゃいけないでしょ? それまでには慣れないとって思うんだけど」



 卒業していった魔女たちの就職先は多岐にわたる。

アナスタシアのように王家に属する魔女になる者もいれば、どこかの研究所に勤める魔女、街角で薬を売る魔女など……どんな仕事についても、この世界の半分を占める『男』という生き物に接する必要がある。



「犬とか猫とか、虫のオスなら大丈夫なんだけど」


「じゃあ、全部虫だと思って見ちゃえばいいじゃん!」



 アナスタシアが冗談めかしてそういうと、フローレンスはほんのり頬を染める。



「それだと困るわ」


「え? 困るって何が?」


「だって……恋、したいじゃない?」


「……は?」



 フローレンスの思わぬ発言に、アナスタシアはあっけに取られてしまう。



「だから、『恋』だってば! あ、魚の方じゃないからね」


「わかってる! わかってるけど……」


「私ね、いつかとっても素敵な人と巡り合って……結婚したいの」



 フローレンスの口から、そんな願望が漏れる日が来るなんて思いもよらなかった。最近になって年の近い見習い魔女たちが、取り寄せた雑誌を見ながら「この人かっこいい!」とか「こっちの人の方がすてき!」とはしゃいでいる姿をよく見るけれど……フローレンスもいつの間にか、それらに感化され始めたらしい。



「い、意外だね。フローラがそんな事言うなんて」


「そうかしら? 私捨て子でしょ。だから、いつか幸せな家庭を持ってみたいなって思ってて」


「そっか……」



 しみじみと、アナスタシアは頷く。



「ん~。結婚するなら、かっこよくって優しい人がいいなぁ。アーシャは?」


「え?」


「あ、そっか。アーシャは王女様だから、結婚する相手は国の人が決めるんだもんね……大変だよね、王女様も」


「私、しないよ」


「……えぇ?!」



 フローレンスの大きな声が、森に響き渡る。

 フローレンスの言うとおり、一番上の姉のオリガも二番目の姉のタチアナも、大臣たちが選んだ他の国の王子の元に嫁いでいった。すぐ上の姉のマリアも、ブルーベル公国の王子との縁談話が進んでいるらしい。しかし、アナスタシアは魔女の園に行くことを決めた時、大臣たちの会議の場に赴き、はっきりとこう告げた。



「私、絶対結婚いたしません!」



 もちろん、会議室は蜂の巣をつついたような騒ぎになった。その後どれだけ説得されても、アナスタシアの決意はかたかった。なぜなら……。



「私は、弟をサポートする魔女になるから。男なんて、結婚なんて、邪魔なだけだわ」



 兄弟の中で一番体の弱い弟。それでも、彼がいつか王位を継ぐことになる。王として執務についている最中に、具合がわるくなったり呪いをかけられるようなことがあっても……それらの災厄から弟を守ることのできる魔女になりたい、と。そのためには結婚することも子どもを持つことも、鬱陶しいことこの上ないのだ。



「も、もったいないよアーシャ! アーシャならより取り見取りなのに!」


「それで寄ってくるのは、王家っていうのに目がくらんだ人たちでしょ」


「そうだろうけど……。こ、恋は!? 恋もしなくていいの?」


「恋人ができて、その人が結婚したいって言ったら? その時断るのかわいそうじゃない? だから、恋もしない」


「そうかな、今の時代なら結婚って形じゃなくても……」


「いーの! 私はしないって決めたから。ほら、早く見つけないと帰れないよ」



 フローレンスは何度も「そっか……」と呟いていた。女の子らしい話題に花を咲かせたかったであろうフローレンスには、少し悪いことをしたかもしれないとアナスタシアも少しだけ反省する。ただ、彼女の決意はダイヤモンドよりもかたく、決して揺らぐことはなかった。


 どれだけ探しても一向に見つかることなく、いつしか夕暮れに近づいていた。ずっと屈んでいたせいで、背中や腰が痛くなる。ぐっと大きく伸びをしていると、フローレンスも同じように体をひねっていた。



「どう? そっちあった?」


「全然。アーシャは?」


「こっちも、全く見つからない」



 アメジストを見ると、彼も首を横に振っていた。一日目は収穫無し、二人は大きくため息をつく。



「もうキャンプ地に戻ろうか。もしかしたら、誰かが群生地を見つけてもう終わってるかもしれないし」


「そうだね」



 フローレンスが頷いて、くるりと振り返った。



「あれ?」


「どうかした、フローラ」


「ここ……どこ?」


「え、どこって……?」



 夢中になってマンゲツパエオニア探しをしていた二人は、キャンプ地に戻るための目印をつけることもすっかり忘れていた。顔を見合わせて、二人はサッと青くなっていく。



「……もしかして、私たち……」



 アナスタシアの声が、不安そうに震え始める。フローレンスもそれは同じで、唇は青くぶるぶると細かく震えている。



「遭難、しちゃった?」


 

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