第6話 変わり始めた二人の関係と暗黒の予言 ②


***



 それでもなお、二人のぎこちない生活は続いた。それは周りの人たちからも心配されるくらい、エリザベスだってアナスタシアが悪い病気にかかったのかといつになく動揺していた。



「……しない」


「え? あ、アーシャこれから箒の授業だよ?」


「絶対に、もう口づけしない! 決めたの!」



 その変化が顕著だったのは、箒の授業の時だった。アナスタシアはまだ彼と口づけをしないと満足に飛ぶこともできないのに……頑なに、アメジストを拒んだ。口づけを拒否されたアメジストは、ズーンと重たいオーラを放ちながらすっかりとふさぎ込んでいる。



「でも、アーシャ危ないんじゃない? アメジスト無しって、ほんのちょっとしか飛べないじゃない」


「何とかなるかもしれないでしょう?」


「……いや、どうだろう?」



 彼が現れるまで怖くて宙に浮くことすらできなかったアナスタシアに突然、抜群の飛行スキルが身に付いたというのも信じがたい。それを指摘しても、アナスタシアは「いーの!」とぷりぷり怒るだけだった。



「アナスタシア、もう俺とキスしたくないのかな?」



 アメジストはフローレンスに不安を打ち明けていく。フローレンスも、このアナスタシアの頑なな態度には首を傾けるばかりだ。



「ほら、遅れるから行くよ!」


「あ、待ってよ!」



 アナスタシアの後ろを、フローレンスが追いかけていく。アメジストはその背中を寂しそうに見つめるだけだった。


 アナスタシアがアメジストと『何もしていない』ことは、他の見習い魔女たちもざわつかせる。エリザベスの反応が特に顕著で、見るからに慌てふためいている。



「アナスタシア! 口づけ無しで飛ぶなんて……もし事故が起きたらどうするつもりですか?!」


「大丈夫です。怖いのもちょっと克服できましたし」


「ちょっとって……フローレンス、アメジストを呼んでください。今ここで口づけさせますから」


「大丈夫ですってば!」



 アナスタシアが声を荒げると、エリザベスは「そこまで言うなら……」と言葉を詰まらせる。アナスタシアは箒に跨ると、大きく深呼吸した。


 先ほど啖呵を切った言葉の通り、飛ぶことに対する恐怖は、全く克服していない。それでも、またアメジストとキスをするよりはマシだった。また唇が触れ合えば、今度こそ心臓が爆発して死ぬかもしれない。


 アナスタシアは足に力を込める。次々と見習い魔女が飛び立ち、悠然と空を舞っている。アナスタシアもそれに続こうと大きくジャンプをして飛び立つが……。



「きゃあぁあ!」



 その勢いが強すぎたのか、アナスタシアは思いもしなかった方向に飛んでいく。箒にぎゅっとしがみついているが、それだけで精いっぱいなようでコントロールできている様子もない。アナスタシアは叫ぶのもやめて、ただ一心に恐怖に耐えていた。



「アーシャ、大丈夫!?」


「アナスタシア、ゆっくり深呼吸しなさい!」



 フローレンスとエリザベスの声も、今のアナスタシアには届きそうにない。ぶんぶんと箒が暴走し、体が振り落とされそうだった。



「……アナスタシア!」



 恐怖で身を縮こませる彼女に唯一届いた声が……アメジストの声だった、涙が浮かぶ目を開けて地上を見ると、彼が焦った様子でこちらを見ているのが分かる。



「ア、メ、ジスト……」



 彼に向かって手を伸ばそうとした瞬間、するりと手が滑って箒が彼女の体から離れていった。飛ぶ道具を失った彼女は……まっさかさまに地上に落ちていく。まるで、幼い頃……箒が怖くなったあの事故の時のように。



(いや……っ!)



 落ちていく感覚に、アナスタシアは悲鳴も出せないほどの恐怖を感じていた。この後の衝撃も痛みも、彼女はよく知っている。自分を浮かべる呪文を唱えることもできないほど動転したまま……。



「きゃぁあ!」


「……くっ」



 地面に叩きつけられる、はずだった。恐る恐る目を開けると……、彼女を受け止め抱きかかえるアメジストの姿が映りこんだ。



「あ、アメジスト……どうして!」


「アナスタシア、怪我はない?」


「え? あ……」



 鈍い痛みはあるが、痛くてつらいというほどでもない。その証拠に、目立つ傷跡はなかった。



「アナスタシア! だから言ったでしょう!」



 空から降りてくるエリザベスはとてもお冠な様子だ。アナスタシアを立たせて、体をくまなく見る。



「怪我はなさそうですが……念のため、医務室へ」


「はい……」



 アナスタシアは肩を落としたまま、医務室に向かおうとする。一歩歩き出そうとしたとき、その体がふわっと宙に浮いた。



「きゃっ……! な、何?」


「何かあったら、危ないから。俺が連れていく」



 顔をあげると、すぐ近くにアメジストの心配そうな表情がある。アナスタシアを横抱きにして、そのまま持ち上げている……皆が、『お姫様抱っこ』と呼ぶ抱き方だ。頭にはアメジストの影が差し、真剣なまなざしを浴びると思わず体が熱くなる。空からは、見習い魔女たちのざわめきが聞こえてきた。



「大丈夫、一人で歩けるから……!」



 体をじたばたと動かしてもその腕の中からは抜け出せそうにない。アメジストもアナスタシアの言葉を無視して、どんどんと歩き出す。


「……いや、愛だねぇ」


 その光景を空から見ていたフローレンスが、誰にも聞こえないようにポツリと呟いていた。


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