第3話 波乱の遠乗りと、【恋】についての学び
第3話 波乱の遠乗りと、【恋】についての学び ①
教室の前にある掲示板の前で、アナスタシアを同じく十五歳を迎えた見習い魔女たちがざわついているのが目に入った。アナスタシアとフローレンスの二人は顔を見合わせて、そこに近づいていく。
「何かあった?」
「あ、おはよう二人とも。ついに出たよ~」
「ん?」
人ごみをかき分けて、アナスタシアとフローレンスは掲示板に近づいていく。そこにはでかでかと『遠乗りのお知らせ』と書いてあるポスターが掲示されていた。
『遠乗り』。それは魔女の園で魔法を学ぶ十五歳の見習い魔女たちにとってのビッグイベント。箒に乗って遠く離れたところにある【深緑の森】に向かう。そこでキャンプをしながら、指定された薬草や素材を探して回る課題の一つだ。魔女の園から離れることの少ない見習い魔女たちにとって、たとえ課題だとしても校舎から離れて解放感に浸ることのできる数少ない行事のひとつだった。
本来ならば、もう少し早い時期に行われる行事だったが……アナスタシアがいつまで経っても飛べないため、延期に延期を重ねて、ようやっと開催することができた。
「ついに……」
「でも、アーシャも間に合ってよかったね。これでみんなと行けるじゃない」
「そうなんだけど……」
アナスタシアは、くるりと振り返る。そこには、キャーキャーと持てはやされている渦の中心で戸惑いの表情を見せるアメジストがいた。
箒のテスト以来、アナスタシアはアメジストの『口づけ』が無くとも飛ぶことが出来るように練習を繰り返していた。少し宙に浮くことなら問題なくなってきたが、空高く飛ぼうとするとやっぱり恐怖心が沸き上がり体が動かなくなる。それを消し去ることができるのは、彼の『口づけ』だけで……やはりアメジストの【魔女鉱石】としての力は、アナスタシアにとって必要不可欠だった。
「連れて行くの?」
フローレンスが声を震わせながら聞くと、アナスタシアは小さくため息を漏らす。
「そうせざるを得ない。だっていないと飛べないんだし」
「そっか……」
「フローラ、まだアメジストに慣れない?」
「うーん、そうかも」
異性と接したことのないフローレンスにとって、【魔女鉱石】とはいえ男の形をしているアメジストに慣れるまでまだ時間がかかりそうだ。これから『遠乗り』をするにあたって、フローレンスも彼とも寝食を共にしなければならない。
二人とも、課題は山積みな様子だ。
「とりあえず……私、二人乗りの練習しておく」
そして、アメジストと二人で箒に乗るための練習も必要になる。お互いに、課題は山積みのようだ。
「う、うん。頑張ってね」
その日の放課後から、アナスタシアは箒の二人乗りの練習を始めることにした。二人乗りをするのは、アレクセイとの事故があって以来。一人で飛ぶよりも、さらに恐怖心が募る。
「ねえ、アメジスト」
練習をするより先に、アナスタシアは人っ子一人いない暗がりにアメジストを引き込む。見上げると、彼の深い紫色の瞳に自分の姿が映り込んだ。
「アレ、して」
「……アレ?」
『アレ』をするときは、誰にも見つからないように隠れてすること。それがエリザベスとの約束で、破ったら雷が落ちてくる。それに、こんなコトをするところ……誰にも見られたくはない。
いまいち察しの悪いアメジストに少し苛立ちながらも、アナスタシアはその核心をつこうとしない。
「もう! 何回してると思ってるのよ、アレよアレ!」
「ああ、『口づけ』?」
口づけ、キス、接吻……言い方は色々あるけれど、その言葉ひとつ言うにも恥じらいが残るお年頃だ。アナスタシアは頬を赤く染めて頷く。そして、目を閉じた。
アメジストの指先が頬を滑る、その度にアナスタシアは体をびくりと揺れてしまう。そのくすぐったさに、まだ慣れそうにない。アメジストの顔がゆっくりと近づいてくる気配を感じると、心臓の音がうるさくなる。彼の唇が触れた瞬間、ぎくりと体が強張った。静かに何度も呼吸を繰り返して……アメジストはゆっくりと離れていった。アナスタシアの表情を見ると、目をぎゅっとつぶって強張ったままだ。
「アナスタシア、まだ慣れない?」
「なっ……当たり前でしょ!」
「でも、もう嫌じゃない?」
アメジストはニヤリと笑う。その言葉に、アナスタシアは言い返すことも出来なかった。最近のアメジストは、言葉はまだカタコトだが、表情は出会った頃にくらべてずいぶん豊かになってきた。
「知らない! ほら、練習行くよ」
「俺も?」
そして、誰に教わったのか知らないが、いっちょまえにも自分の事を『俺』だなんて言うようになった。小さな子どもが成長していくと言うよりも、一人の男が出来上がっていくような過程をまざまざと見せつけられる感覚にアナスタシアはどうしてもついて行けなかった。
「当たり前でしょ、私、アメジストがいなかったら飛べないもん」
「俺、役に立ってる?」
「うんうん、立ってるから。ほら、早く来て」
そう言うと、アメジストはニコニコと笑みを見せる。とても自慢げな表情だ。こういうところは、『大人の男』というよりもこどもっぽい。
アナスタシアは柄の先端近くに箒に跨ると、アメジストにも同じように跨るように言いつける。アメジストは恐れることなく、箒を跨いだ。
「ほら、捕まって」
「捕まる? どこに?」
「……私に」
アメジストは、アナスタシアの服のすそを摘まむ。しかし、それでは不安定すぎる。例え【魔女鉱石】と言えど、落ちてしまうことがあれば痛いし、怪我をするに違いない。アナスタシアは振り返って、アメジストの手を取った。
「それだと危ないから、こうして」
アメジストの腕を、自分の腰に回していく。片方の手がアナスタシアのお腹の上に置かれると、アメジストはおのずともう片方の腕もアナスタシアの細い腰に回す。まだ幼かった頃、弟のアレクセイも同じようにアナスタシアに捕まっていたのに、それとは感覚がだいぶ違う。アナスタシアの頭の上にアメジストの顎が触れ、背中はぴったりと彼の体温に覆われる。感じたことのない生温さに身震いをしながら、アナスタシアは地面を強く蹴った。
「わっ!」
空を高々と舞い上がると、アメジストは驚いたのか声をあげてアナスタシアにぎゅっと縋り付く。お腹や背中に慣れない体温を感じるたびに、アナスタシアも驚いて箒がぐらつく。
「今日は慣らし飛行だから、そんなに高く飛ばないよ。大丈夫、落ち着いて」
アメジストに言っているのか、自分にそう言い聞かせているのかすら分からない。アナスタシアは箒の柄を強く握って、ゆっくりと旋回し始めた。ぐるぐると校庭を右回りした後は、同じように左回りを繰り返す。少し強い風が吹くたびに驚いていたアメジストも次第に慣れて、風を切る感覚を楽しみ始めていた。
「すごい、アナスタシア!」
「楽しい?」
「楽しい!」
体は大人なのに、はしゃぐその声はまるで子どもみたいだ。少しスピードを上げると、アメジストは歓声を上げて喜ぶ。その反応が初々しくって、楽しくって……アナスタシアもいつの間にか恐怖心を忘れて飛び回っていた。
だから、地上に戻ったときには魔力の使い過ぎで体がくたくたになった。箒を杖みたいにしながら、よろよろと腰を曲げて校舎に向かう。
「はぁ……調子に乗り過ぎた」
「アナスタシア、疲れた?」
「うん。でも、あんた乗せても軽々飛べるくらい、コントロールできるようにならなくっちゃ。これくらいで魔力枯らしてたら立派な魔女には……んっ!」
アメジストは小さくかがんで、アナスタシアの唇に自身のソレを掠める。アナスタシアは驚きのあまり声を失うが……キスのおかげか、体は軽く感じる。
「これで、もう大丈夫。疲れたの治った」
離れていくアメジストの表情は、柔らかい。アナスタシアを労わるような優しい笑顔はさらに彼女を困惑させていく。
「な、治ったけど……」
「けど?」
「こういうことをするときは、ちゃんと先にするって言ってからにして!」
「はぁい」
間の抜けた返事では、さらに叱りつける気にもなれない。アナスタシアは小さく肩を落として、彼にバレないように、まだ少しだけ体温の残る唇にそっと触れた。そのキスの名残がまだそこにあって……気のせいだろうけど、少しだけ甘いような気がする。
箒の二人乗りの練習を繰り返し続け、それがすっかり慣れた頃……待ちに待った『遠乗り』の日がやってきた。他の見習い魔女たちは数日分の着替えや炊事道具を持ったリュックサックを背負い、校庭に集まり始めている。その中で一人、アナスタシアだけが違った。彼女の荷物が入ったリュックは、アメジストが背負っている。
「やっぱり、連れていくんだね。アーシャは、アメジストの事」
「アメジストいないと飛べないからね」
見習い魔女たちの物よりも大きなリュックを持ったエリザベスが号令をかけると、見習い魔女たちは一斉に箒にまたがった。アナスタシアとアメジストも、同じように箒に跨る。アナスタシアの手は柄を握り、アメジストの手はアナスタシアの腰に回る。ずっと練習をしていたけれど、ついにこの感触に慣れることはなかった。他の見習い魔女たちが飛び立つのに少し遅れながら、アナスタシアも大地を強く蹴った。
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