第8話 魔女の呪いと二人の未来 ④


***



 マーサが確実に近づいてくる。瘤はボコボコと顔の表面から吹きだしては消える。口からは、声にもならないうめき声。人間の形をしていたのに、呪いの代償はここまでひどいのかとアナスタシアは怯える。



「あ゛……あ゛ぁ……」


「いや、来ないで!」



 アナスタシアは二人を振り払い、塔の中を逃げ回る。あっという間に隅に追い詰められていた。



「いや、いやぁあ!」



 どれだけ叫んでも、助けなんて来ないことはアナスタシアにも分かっている。それなのに心の中でそれを乞うのは……まだどこかで期待しているから。あの時チャールズから助けてくれたように、彼が……アメジストが助けてくれるのじゃないかと。



「あ゛、あ゛あ゛……」



 マーサが少しずつ近づいてくる。アナスタシアはぎゅっと目をつぶった。

 弟を、アレクセイと守ると言ったのに結局、何もできない魔女のままだった。空を飛べるようになっても【魔女鉱石】を見つけても、ここ一番で何もできない無力な魔女。アナスタシアはぎゅっと目をつぶる。

 その時、悲しい声が聞こえてきた。



「ご……めん、なさい……」


「え……?」



 その声は細く……女の人の声だった。アナスタシアが恐る恐る目を開けると、マーサの目から涙が零れ落ちていることに気づいた。本当はこんなことをしたくないのだと、彼女の体が訴えている。その証拠に、マーサの体がピタリと動かなくなった。



「おい! 何をしている、早くしろ!」



 チャールズの命令があると、勝手に体が動いてしまうらしい。マーサはアナスタシアに向かって手を伸ばした。アナスタシアはぎゅっと目をつぶった。もう、諦めるしかないの……?



「……どわっ!」



 その時、壁がガラガラと崩れ落ちる大きな音と……男の人の変なうめき声のようなものが聞こえた。とっさに目を開けたアナスタシアは、その音がした方向を見る。その先にいたのは……ずっと願っていた姿だった。



「あ、あ……アメジスト!? あんた、どうやってここに!」


「アナスタシア、危ない!」



 アナスタシアを襲おうとしていたマーサを突き飛ばし、アナスタシアに覆いかぶさるように守る。アナスタシアの小さな体は、アメジストの大きな胸板にすっぽり隠れてしまう。……彼を異性として意識している場合ではないのに、アナスタシアの胸がずきんと弾む。

 アメジストに突き飛ばされたマーサは起き上がる力がもうないのか、床の上でもがくだけだった。



「くそ! 役立たずめ! ……生きて返すわけにはいかない。ここで【魔女鉱石】もろとも死んでもらう!」



 チャールズはそう叫んで、胸元から短剣を取り出し鞘から抜き取る。切れ味の鋭そうな銀色が、まっすぐアナスタシア達に向かう。アメジストは怯えるアナスタシアを抱きしめていた。自分は【魔女鉱石】だけれど、刺されたらどうなるだろう……? そんな事をぼんやりと考えながら。


 しかし、短剣の切っ先は彼らに向くことはなかった。



「……なっ、邪魔をするな!」


「マーサさん、どうして!?」



 腹部を短剣で貫かれたマーサは、今度こそ本当に動かなくなってしまった。どす黒い血があたりに広がり続ける。……呪いをかけた魔女が死んでしまったという事は、この呪いを解く手段もなくなってしまったという事。それに気づいたのか、もしくは腹心の部下に裏切られたという事実にショックを受けたのか、チャールズは崩れ落ちてしまった。



「……どうしよう、どうしよう」



 考えなきゃいけない。冷静に……現状を打破する方法を。



「アナスタシア?」



 アメジストはアナスタシアの顔を窺う。彼女も、アメジストを見上げ……そして、両手でその頬を包み込む。



「やってみるしかない、のね……」


「何を?」


「いいから黙って」



 強大な呪いを打ち破るには、それ以上強い魔法の力が必要になる。それを引き出せるか分からないけれど、アナスタシアは一種の賭けに出るしかなかった。アメジストの顔を引き寄せる。


 みんなにかけられた呪いを解くだけじゃない、アナスタシアとアメジストの未来を守るために……アナスタシアはアメジストにキスをした。


 唇が触れ合った瞬間、また光が溢れた。先ほどの、鋭く差すような光ではなく辺りをじんわりを包み込む、暖かく優しい光だった。



「……アナスタシア?」



 光の中心で、アメジストはアナスタシアの名前を呼ぶ。そして、その体を抱きしめる。アナスタシアも、おずおずとアメジストの背中に腕を回す。


 私が死んだら、彼もまたいなくなる。周囲を巻き込むような大爆発と共に。それだけは、絶対に避けなければいけない。アレクセイの事を守る以上に、その術を見つける必要がある。一生涯かけて、ずっとアメジストと一緒にいることによって。

 アナスタシアはもう一度、今度は覚悟を決めるように唇を押し付ける。アメジストもそれを受け入れるように、アナスタシアを強く抱きしめていた。


 その光がとぎれるまで、二人はキスをし続けていた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る