第8話 魔女の呪いと二人の未来 ③
勇気を奮い立たせて、アナスタシアはあの塔に向かっていた。塔は古く、埃っぽくて手すりもない。階段も昇るたびに欠けてコロコロと破片が落ちていき、道は徐々に狭くなっていて、階段を昇るにも一人ずつ縦に並んで昇るしかない。後ろを振り返ると、アレクセイとアメジストの頭が見える。その姿が見えると、少しだけ安心できた。
「もうすぐよ、頑張って」
あまり運動をすることはないアレクセイは、息が切れそうだ。疲労の色も濃い。少しだけ休ませてあげるべきか……アナスタシアは少し迷い、足を止める。
その瞬間、足元から何かが崩れ落ちる音が聞こえてきた。
「姉様、危ない!」
真っ先に気づいたアレクセイが、アナスタシアの体を強く押す。アナスタシアがしりもちをついたと同時に、先ほどまでアナスタシアが乗っていた階段が大きく崩れ落ちていった。
「アレクセイ、アメジスト!」
「姉様!」
「アナスタシア!」
アナスタシアと、アレクセイ・アメジストの間に大きな隔たりが生まれてしまった。飛び越えようにも、その割れ目は大きくて簡単に飛び越せる様子もない。
「どうしよう、姉様……」
「もうここは危ないわ。……アレクセイとアメジストは、安全なところまで降りて行って」
「アナスタシアは!?」
「……私は、このまま行く」
「姉様! 危ないよ、こんな所一人で」
アレクセイの額に汗が流れ、不安と恐怖が顔に表情として滲む。それを安心させるように、アナスタシアはにっこりとほほ笑んだ。
「大丈夫よ。だって、私は魔女だから」
「アナスタシア……」
「絶対アレクセイを危険な目に遭わせちゃだめよ、アメジスト。それじゃ、私行ってくるから」
アナスタシアはそう言って、階段を昇っていく。胸中を悟られないように顔いっぱいに笑みを作ってみたけれど、不安で不安で仕方がない。でも、呪いをかけた魔女さえ捕まえることさえできれば……アレクセイが狙われる心配もなくなる。恐怖にそっと蓋をして、アナスタシアはキッと前を向いた。脚が震えるたびに叱咤するように叩き力を込める。
それでも、アメジストがいないという事は不安で仕方がなかった。彼がいないと満足に空を飛ぶことも出来ない中途半端な魔女。そんな自分が、こんな強大な呪いに打ち勝つことができるのか。
……不安に感じていても、もう逃げることはできない。震える脚に鞭を打ち、アナスタシアは階段を急ぎ足で昇っていった。
やっとの思いで頂上まで上り詰めた時、空は真っ黒な雲が立ち込めておどろおどろしい雰囲気で足がすくんだ。それでもアナスタシアは、人影があるのを見逃さなかった。
「誰?! そこにいるんでしょう?!」
アナスタシアは声を張り上げる。柱の陰から、ひらひらと布が揺れているのが見える。その人影は、ゆっくりとアナスタシアに姿を見せる。
「……もしかして、マーサさん?」
その深々とフードをかぶった姿、最近見覚えがあった。チャールズ王子に同行する形でこの国に来た魔女・マーサ。相手は深く頷いて、そのフードを取り払う。アナスタシアは短い悲鳴を上げた。
フードの奥に秘められていたマーサの素顔……、右側の顔半分、額から首にかけて赤黒い瘤がジュクジュクとうごめいている。右目は白濁としていて、左目もどこを向いているか分からないといった状態だった。
「ひどいものでしょう? これが呪いの代償ですって」
違う柱の陰から、今度は男の声が聞こえてくる。その姿を見なくても、その声の主が誰かはすぐに分かった。
「チャールズ王子……っ! どうしてこのような真似を!」
アナスタシアが声を荒げると、高らかな笑い声と共にチャールズが姿を現した。以前のような柔和な表情はそこにない、ギラギラとした目つきでアナスタシアを見つめる。
「あなたこそ、朝には発つ予定だったのでは? あなたとあの忌々しい【魔女鉱石】のせいで計画に狂いが生じたではありませんか」
「計画……? まさか、アレクセイの事を……っ!」
「その通り。ルクリア帝国王位継承者であるアレクセイ王子には亡き者になっていただき、この国に、アナスタシア王女の婿としてやってきた私が王位を継ぐ。これが私の計画です」
「どうしてそんな真似を……!」
「どうして!? のうのうと過ごしてきたあなたには分からないでしょう? 第三王子として産まれてきた私の苦悩を! 兄の代用品として生まれ、頂点に上り詰める事すら許されなかった私の事を! 私が世界を牛耳るためには、他の国を乗っ取る他ない!」
「そんな事のために、この国に近づいたの?!」
「もちろん! 私の計画はもうずっと前から……それこそ、アレクセイ王子が生まれてきた頃から始まっていたのですよ」
アナスタシアは驚きのあまり息を飲み込む。
「……あなたの弟、変わった病気をお持ちだそうだ」
「まさか、あれもあなた達が!」
アレクセイの血が止まりにくくなる病。少しの出血でも命の危険にさらされてしまい、アレクセイは自由に出歩くことも出来ない。そんな恐ろしい病は、マーサの呪いによるものだった。ちらりとマーサを見ると、深く頷いている。
「人の弟を危険な目に遭わせるなんて……絶対に許さない!」
「……仕方ない、あなたには私の伴侶となっていただこうと思っていたのですよ、あの時マーサに呪いをかけてあなたを洗脳し、私に夢中にさせる。それが計画だったのに……邪魔が入ってしまったのだから、忌々しい【魔女鉱石】。石の分際で……」
マーサが前に出る。その恐ろしい形相に、アナスタシアはおののいてマーサが近づくたびに後ずさりしてしまう。あっという間に壁際まで追い詰められたアナスタシアは、マーサを睨んだ。
「そんなボロボロの魔女、私が呪いをかけたら……すぐに死んでしまうわよ! あなたの大事な従者なんじゃないの?!」
「これが? まさかぁ。消耗品の一つですよ、代わりなんて山ほどいます。王になった私に仕えたい魔女なんて、いくらでも。それに……」
チャールズはにやりと口角をあげた。
「あなたが呪いを使ったら……あなたの大事な弟だけではなく、この国全てが滅びますよ?」
「どういうこと……?」
「おや? 魔女の園ではこんな大事な事を教えないんですね。ヴィクトリア様と【魔女鉱石】の事、そしてヴィクトリア湖の事を」
「あれは、ヴィクトリア様が世界を守るときにできた湖でしょ!?」
「ちがいますよ。あれは……ヴィクトリアが亡くなったとき、悲嘆にくれた【魔女鉱石】が大爆発を引き起こしたことが原因で出来た湖です。ヴィクトリアの【魔女鉱石】だけじゃない、他の魔女の、人の形を【魔女鉱石】たちも、魔女を失った悲しみに耐えきれず同じように……。もちろん、周りにいた人々も無傷で済むわけがない」
「……そんな」
「あの【魔女鉱石】、アメジストと言いましたっけ? あなたの事を随分愛している様子だ。そうだ、この国を亡ぼすには……あなたとあの【魔女鉱石】の力を借りましょう」
マーサだけではなく、チャールズまでにじり寄ってくる。
「マーサ。アナスタシアは殺さないように……私のいう事だけを聞くように頭を作り変えておけ」
「……」
チャールズの声がマーサの耳に聞こえているのか、その様子だけでは分からない。しかし、とても重たい足取りでアナスタシアに近づいてきた。
もし自分に何かあれば、アナスタシアだけではなくアメジスト……それどころじゃない、この国全体に波及してしまう。大事なアレクセイだけではなく、守らなければいけない国民すべてが犠牲になってしまう。
ぐるぐると混乱が駆け巡る頭の中で、アナスタシアは冷静に考えようとしていた。何かいい案は……みんなを守ることができる唯一の方法をっ!
***
「……姉様だけじゃない、誰かいる!」
アレクセイとアメジストは、アナスタシアが一人で向かった塔から一番近い塔に上っていた。部屋にあったオペラグラスを持ってきて、アレクセイはアナスタシアの様子を窺おうとしている。
「誰かって、誰?」
「それは分からない……真っ黒いマントをかぶっている人なのは確かなんだけど。あ! あとチャールズ王子の姿も見える!」
「あいつ……っ!」
アメジストはギリッと歯を食いしばる。その表情は忌々しさと悔しさが入り混じっている様子だ。
「どうしよう、姉様を助けなきゃ危ない……! あの塔に行く方法は……」
あの崩れ落ちた階段以外、あの塔に行く方法はない。もし自分が魔法を使えるなら、アナスタシアみたいに飛んでいけるのに……! アレクセイも悔しくて仕方がない様子だ。
「魔法……そうだ! アメジストさん!」
「な、何……?」
「アメジストさん、空って飛べないですか?」
「……え?」
思いがけない提案だった。
「考えてみたら、アメジストさんに魔法が使えないわけじゃないんですよ? 姉様に魔力を渡すぐらいなら、アメジストさんに魔力があるってことでしょう? それなら、きっと空だって飛べますって!!」
「空を……?」
「試してみる価値、あると思いません? 僕ちょっと箒を探しに……」
アレクセイが階段を降りようとすると、アメジストは窓のへりに足をかけた。そして、思い出す。アナスタシアと空を飛んだ時の感覚を……下から風がぶわっと吹き上がり、真っすぐ高く昇っていく。空と地面の境界は少し寒いが……アナスタシアといれば、その寒さも気にならなかった。
そのアナスタシアが今、窮地に立たされている。それを助けることができるのは、もう自分だけだった。
「ちょ、ちょっとアメジストさん!? 何をしてるんですか!」
「行ってくる。アレクセイはくれぐれも気を付けて」
「ちょ、ちょっと! 危ないですってば!」
アレクセイの忠告も聞かず、アメジストは大きくジャンプして……空に舞い上がっていった。下から突き上げるような風に乗り、真っすぐ前を……アナスタシアがいる塔を見据える。体はぐらぐらと揺れるけれど、心はまっすぐとアナスタシアを向いていた。
アレクセイも、そんな風に空を飛んでいくアメジストの姿を、ただ見るしかない。
「……本当に飛べたんだ」
アメジストが持っている魔力と言うよりも、あれはきっとアナスタシアへの愛の力がなせるわざだ。アレクセイはしりもちをついて、ただ見上げる。
「アメジストさん……姉様を、どうかよろしくお願いします」
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