第5話 ダンスパーティー、心を揺らして ③



***



 国王即位20周年を祝うために、国中が華やかになっていく。王家は首都をくまなく回るパレードを行い、他国から祝福のためにやってきた重鎮をもてなす晩餐会を開く。祝われているはずの王様の疲労の色が濃くなったときになってようやっと、最後の催しが行われるのだ。

 それが、ダンスパーティー。

飾りつけをされた大広間に、国の貴族や大臣だけではなく招待された他の国の王族……特に、アレクセイとの縁談話が進められそうな年頃の近い姫君たちが集められている。王様を祝う会というよりも、アレクセイのお見合いパーティーと言ってもおかしくはないくらいだ。それのせいで、アレクセイはアナスタシアとダンスをする間もないくらい忙しそうだ。



「アナスタシア様、私と一曲踊ってくださいませんか?」


「ごめんなさい、遠慮いたしますわ」



 アナスタシアはダンスの誘いを次々に断っていく。丁寧な言葉を使うことにもそろそろ嫌気がさしてくる頃あいだ。いつもなら、魔女の園でこんな堅苦しいドレスを着ることなくのびのびと自由に過ごしているのに。

 ダンスホールの真ん中では、姉のマリアが意中の少将さんとずっと手を取り合って踊っていた。誘い出すことに成功したマリアは、とても楽しそうで目がキラキラと光っている……あれが、『恋』のなせる業なのかとアナスタシアも感服していた。



「はぁ」



 誰にもばれないように、アナスタシアはため息をついた。背中を壁につけて、少しうつむく。

 ひとりぼっちのパーティーほど、つまらないものはない。だからと言って、自分を利用しようと虎視眈々と考えているような人と一緒に踊るつもりはなかった。打算も何もなく、ただ純粋な気持ちでアナスタシアと踊ってくれるような人……どんな宝箱をひっくり返したところで、そんな人はいないのだけど。



「あの……」



 目の前に手が差し出される。アナスタシアは「またか」と思いながら、断るために顔をあげる。

 しかし、目の前にいるその相手を見た瞬間、アナスタシアは声にならない叫び声をあげていた。



「あ、あ、あ……アメジスト! あんたどうしてここにいるのよ!?」



 パーティーの間中、ずっと部屋で留守番をしているように言いつけていたアメジストが、なぜか今アナスタシアの目の前にいる。髪型もいつもの適当な感じではなくキッチリとセットしてあって、服装もダンスパーティーにふさわしい華やかな衣装だ。



「アレクセイが用意してくれた。ダンスパーティーも行って良いって」


「アレクセイが?」


「アナスタシアのこと、びっくりさせようって」



 アレクセイをみると、いたずらっぽくウィンクをしている。アナスタシアは額に手を当てて、深いため息をついた。



「ダンスも、アレクセイが教えてくれたから大丈夫。だから……」


「ん?」


「俺と、一曲踊ってくれませんか? アナスタシア」



 アメジストの紫色の瞳が、彼女の姿を映し出す。頬は紅潮し、瞳が少しだけ潤んでいる。そのいつもとは違うアメジストの恭しい態度に、胸はドキドキと高鳴ってうるさいくらいだ。気づけば、アナスタシアは彼の手を取っていた。



「やった!」


「きゃっ!」



 アメジストはその小さな手を握って、ダンスホールの真ん中まで誘う。向かい合い、アメジストはアナスタシアの手を握って、右手を彼女の腰に回して引き寄せる。アナスタシアも慌てて、左手を彼の肩に置いた。ゆったりとしたワルツのリズムに合わせて、アメジストはスッとステップを踏む。



「ひゃ……っ!」


「ごめん、へたくそだった?」


「ち、違くて……」



 腰に回った腕のホールドが力強く、離れようとしてもアメジストはぴったりと体をくっつけてくる。ワルツのゆったりとしたリズムに合わせて、アメジストが揺れるとアナスタシアも同じように揺れる。



「いつの間に上手になって……」


「びっくりした?」



 見上げると、アメジストは嬉しそうに笑っている。その笑顔がキラキラと輝いているように見えて、アナスタシアの頬はみるみる紅潮していく。彼が触れているところが熱くて……それなのに、どこか心地いい。


 ゆっくりとした音楽の隙間を縫うように、ざわざわとした声が聞こえてくる。きっと断ってばかりだったアナスタシアが、見たこともない男と踊っていることに周りも驚きを隠せないのだろう。その人たちに、アメジストはどう見えているのだろうか? どこぞの良家のご子息か、どこかの国の王子様か。こそこそと繰り広げられている勘繰るような噂話は、アナスタシアとアメジストの耳には入ってこない。二人に聞こえてくるのはワルツのメロディと、ゆったりとしたステップの音。そして、互いの瞳の色しか目に入ってこなかった。アナスタシアがきゅっと彼の手を握ると、アメジストも同じように手を握る。アナスタシアが笑みを見せると、アメジストも同じように優しく笑う。今の二人には、互いの事しか見えていなかった。


 しばらくもすると、曲がぴったりと止まった。体を寄せ合っていたカップルたちは小さくお辞儀をして離れていく。しかし、アナスタシアはアメジストを見つめたままだった。


 彼の周りに、小さな輝く星が流れているように見える。アナスタシアが目をぱりくりと何度も瞬きをしていると、アメジストは心配そうに首を傾けた。



「アナスタシア? どうしたの?」


「え? あ、いや……その」



 ふと我に返ると……じわじわと恥ずかしさがこみ上げてきた。アナスタシアは彼の胸をぐっと押し返して、そのまま走り去っていった。



「あ、アナスタシア!」



 アメジストがその名を叫んでも、彼女が止まることはない。赤く染まった頬を隠して、人ごみを縫うように……その中に紛れて、やがて姿が見えなくなってしまった。



「うまくいきすぎたかな」



 こっそりと近づいていたアレクセイが、そうポツリと呟いた。アメジストがハッと振り返ると、ニヤニヤと笑うアレクセイと目が合う。



「うまく?」


「姉様の乙女心をくすぐり過ぎたってこと。女の人は、こういうギャップに弱いって言うしさ」



 普段からぼさっと何を考えているか分からないアメジストが、きりっとスマートにダンスに誘ってきて……さらに完璧にエスコートしてみせる。彼を意識していないアナスタシアに、鮮烈なイメージを与えるには十分だった。



「アナスタシア、どこか行っちゃった。探さないと……」

「大丈夫。行くところは一つだけだから……姉様、何かあると逃げ込むところがあるんだよ」



 アレクセイは背伸びをして、アメジストにその場所を耳打ちする。アメジストは頷いて、人ごみをかき分けながら走っていった。



「もう! バカバカバカ! 私のバカ!」



 城の敷地の隅にある貯蔵庫、その裏でアナスタシアは座り込んでいた。きらびやかなドレスが地べたについているのも気にせず、そのまま「バカバカ」と繰り返しながらうずくまる。


 アナスタシアをエスコートする姿も、自分を見つめながら体を揺らす彼の姿もなにもかも、アナスタシアにはキラキラ光って見え、心臓がドキドキとざわめくのを感じる。そっと胸に手を当てると、鼓動が波打つ音が響き渡った。頬は熱くて、目が潤んでいるのを分かった。


 誰かが話していた、『恋』の症状を思い出す。

胸がきゅんと疼いて、その人の事しか考えられなくなる。話すたびに顔が赤くなって、その人だけを見つめるために瞳が大きく開いて、視界に入ると嬉しくて目が潤む。アナスタシアは「まさか……」と頭を抱えた。


 何度も何度も頭の中で念じる、あれは石、ただの【魔女鉱石】……と。【魔女鉱石】だという事は理解しているのに、脳裏でリフレインするのは、アメジストと口づけをした時の事だけだ。アナスタシアは、そっと指先で自分の唇に触れた。この敏感な粘膜に、彼のそれが触れる時、ぴりっと電気のような刺激が走る。それはすぐに消えるが、じっとりとした心地よさがアナスタシアを包み込み……思い出すと、さらに体が熱くなる。それを振り切りたいのに、アナスタシアはソフィアの言葉を思い出していた。



『あら、キスなんて一度しちゃえば病み付きじゃない』


「や、病み付き……?」



 キスを思い出して体が熱くなるのも恥ずかしくなるのも……あの心地よさをまた味わいと思うのは、病み付きと言うのだろうか? アナスタシアがどれだけ考えを巡らせても、適切な言葉はそれしか思いつかなかった。



「……アナスタシア?」


「ひゃっ!」



 暗がりから、彼女の呼ぶ声が聞こえてきた。その声の主は、考えなくてもわかる……アメジストだ。


 アメジストはゆっくちりとアナスタシアに近づき、その隣に腰を下ろした。



「大丈夫?」


「へ? あ、うん……だ、大丈夫」


「顔、赤い」



 アメジストが何気なく、アナスタシアの頬に触れる。その瞬間、アナスタシアの体は大きく震えた。ハッと目を見開くと、その瞳の中にアメジストの姿が映りこむ。


 アメジストの指先がアナスタシアの頬を滑り、首筋をなぞる。首の血管がドクドクと激しく動いているのが、少し触れているだけのアメジストでもわかった。



「……アナスタシア、ドキドキしてる?」



 そう聞くと、アナスタシアは小さく頷いた。火照った頬や首筋の赤い色が、アメジストには新鮮に見えた。首筋、頬、耳……どこを触れても、アナスタシアはいつものように怒らない。それどころか大人しくて、アメジストのされるがままになっている。



「……アメジスト」


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