第5話 ダンスパーティー、心を揺らして ②
王家専属の魔女から箒を借りてきたアナスタシアは、両親と弟がいる中庭に戻っていく。その後ろを、アメジストが不思議そうについて行く。
「アナスタシア、口づけは人のいないところでって言ってたのに、王様と王妃様の前でするの?」
「しょうがないでしょう? そうでもしないと信じてくれないじゃない」
「人前でして怒らない?」
「今回だけだからね!」
アナスタシアが怒らないと言ったので、アメジストは嬉しそうだ。張り切ったようにスキップまでしている。
中庭に着くと、両親は心配そうに……弟は、楽しそうにこちらを眺めてくる。その目はキラキラとしていて……。
(野次馬しに来たな、アレクセイめ)
アナスタシアは心の中で悪態をついてから、姿勢を正した。アメジストの背を見守る三人に向けさせて、自分はその影に隠れる。これで、アナスタシアが彼から口づけされるところは直接見られない。今まで何度もアメジストからキスされてきたが、まさか両親に見られながらするとは思わなかった。
「して、アメジスト」
「はーい」
アメジストはアナスタシアの頬に両手を添え、上を向かせる。ぎゅっと目を閉じるアナスタシアの顔に徐々に近づき、彼は首を少し傾けて浅く口づけた。離れる時に軽いリップ音が聞こえる。
「はぁ……よし」
アナスタシアにとって、口づけはただの儀式なのだろう。その証拠に、キスをするたびにアナスタシアの表情に気合が入る。それを見て、アメジストは少しだけ寂しく思う。
アナスタシアの唇が自身のそれに触れ合う瞬間、アメジストの心がポッと華やいでいく。体中から力が抜け、安らいでいく感覚。それが得られるのは、アナスタシアとのキスだけだった。自分はそう思っているのに、アナスタシアは違うのだろうか?
アナスタシアにも、自分と同じような気持ちでいて欲しいといつも思っていた。しかし、彼女は……。
「よいしょ……じゃあ、行くからね!」
自分の事を道具としか思っていない。高く空を舞い上がっていくアナスタシアを見ながら、アメジストはため息をついた。
***
「手紙の内容、本当だったんだね。半信半疑だったけれど」
「もう! 親の目の前でキスさせられるなんて思いもしなかったわよ」
「僕たちはそれ以上にびっくりしたけどね」
アレクセイの部屋にアナスタシアとアメジストは招かれていた。テーブルにつき、まだ若いメイドが甲斐甲斐しくお茶の用意をしていた。
「でも、良かったよ。姉様がまた空を飛べるようになって。姉様が飛べなくなってしまったのは、もとはと言えば僕のせいだからね」
「それは違う。私が調子にのったからだって……ま、飛べるようになったって言ってもまだアメジストがいないとダメなんだけどね」
「そうそう、この人。すごいね~」
アレクセイはぺたぺたとアメジストの体を触っていく。
「本当に、人間みたいだ」
「瞳だけは石なんだって。紫水晶みたいな」
「へぇ~。そして、あのヴィクトリア様も、このアメジストさんみたいな人の形をした【魔女鉱石】を持ってたと。すごい人見つけたね、姉様」
「人じゃなくって物ね」
ティーカップが三人の前に置かれると、アレクセイはメイドの手を取った。
「いつもありがとう」
そして、恭しくその甲にキスをする。メイドは頬を染めて戸惑いの表情を見せるが、アナスタシアはそんな弟の頭を強くひっぱたいた。
「いった、何するのさ姉様」
「そんな女の子のこと弄ぶようなことばっかりして。いつか痛い目みるよ」
「別にいいだろう? 僕は女の子たちに敬愛の情をしめしているだけなんだから」
あの可愛かった弟が、しばらく会わないうちに、予想もできなかった成長を遂げている。
「それに、まだ僕の縁談話は進んでいないから。どんな子に色目を使ってもまだ大丈夫だよ」
「大丈夫じゃない! これで、アレクセイ王子は若い女にちょっかいをかける軽い男だって悪い噂ばっかり広まったらどうするの。……そうだ、縁談話で思い出した。マリア姉様は手紙読む暇ないくらい忙しいの?」
すぐ上の姉・マリアの結婚相手がブルーベル公国の王子に決まりそうだと聞いてからしばらく時間が空いた。姉の縁談が今どこまで進んでいるのか、国から離れているアナスタシアの耳にはなかなかその情報は入ってこない。アナスタシアがそう聞くと、アレクセイは疲れたように首を振った。
「マリア姉様には今お熱な人がいて、大変なんだ」
「お熱?」
聞きなれない言葉にアメジストが聞き返すと、アレクセイは丁寧に「ある男の人に夢中ってこと」と付け加えた。
「王家直属親衛隊に新しく入ってきた少将さんなんだけど、マリア姉様ってば一目ぼれして……その人を追いかけるのに必死なんだよ。縁談話も後回しにしてさ」
「だからって、妹の手紙を放っておかなくても……」
マリアがあの手紙を読んでさえいれば、アナスタシアは両親や弟の前であんな恥ずかしい思いをしなくても済んだのだ。恨み言の一つや二つ、言っても許されるだろう。
「マリア姉様、ダンスパーティーに誘うんだって張り切っていたよ」
「ホント、そういうところは元気なんだから。あ、そうだ……アレクセイ、お願いがあるんだけど……」
「わかってる、ダンスパーティーのことだろ?」
アナスタシアは寄ってくる男を丁重に断るために、誘われた時は「弟としか踊らないことにしている」と相手に返すことにしていた。もちろん、その話に信ぴょう性を持たせるために一曲だけアレクセイと一緒に踊っている。
これも、アレクセイの縁談が進んで、相手がきちんと決まるまでしか使えない手だが……アナスタシアは重宝していた。
「大丈夫。僕に任せておいて」
「ありがと、助かる」
「そうだ、姉様。ドレスの合わせやったかい?」
「あ……」
アナスタシアが思い出すのと同時に、部屋の向こうから婆やがアナスタシアを呼ぶ声が聞こえてきた。
「やっば、早くやんなきゃ。怒られる」
「そんなに日はないからね。行ってらっしゃい」
アナスタシアが席を立つのと同時に、アレクセイも椅子を離れる。しかし……アレクセイがアメジストの腕を掴んで引き留めようとする。
「君はここにいて」
「で、でも」
「レディーの準備に男が口を挟んでもいいことはないよ。それに、僕はアメジストさんと色々話がしたいんだ」
「……そうだね、来られても迷惑なだけだから、アメジストはここでアレクセイと一緒にいて。あ、くれぐれも危ない目には合わせないでよ!」
アナスタシアはそう言い残して、慌ただしく部屋から飛び出していく。アレクセイがアメジストにもう一度座るように促すと、彼はアナスタシアが出ていった方を名残惜しそうに見ながらゆっくりと席に着いた。
「手紙を読んだときは半信半疑だったけれど……人の形をした【魔女鉱石】ね」
アレクセイはじろじろと、アメジストのつま先から頭のてっぺんまで観察していく。
「それで、いつも姉様とキスしているの?」
「アナスタシアが空を飛んだり、どうしても必要な時だけ」
「ふぅん」
アレクセイはニヤニヤと笑いながら顎を擦る。アメジストも、彼には聞きたいことがあった。
「アレクセイは、どうしてキスするの?」
「僕? ああ、さっきのメイドにかい?」
「そう」
アナスタシアとアレクセイの二人は、必要に迫られた時にしか口づけを交わさない。それがアメジストの中では常識だったが、アレクセイは簡単にメイドの手を取り……対して必要でもない時にいとも簡単に、手の甲にキスをした。それを初めて見たアメジストは、不思議で仕方がなかった。
「僕はしたいときにするんだ。必要になったときじゃなくって、自分のしたいと思った時に」
「唇にも?」
「唇を合わせるようなキスは、将来のお妃にしかしないようにしてるけど。それ以外、手の甲や頬、おでこになんかはバンバンしてるね」
「へぇ……」
「もしかして、アメジストさんは……自分がしたいときに姉様にキスをしたい?」
その言葉に、アメジストはゆっくり、そして深く頷いた。アレクセイはにやりと笑う。
アナスタシアの役に立ちたい。それは初めて出会った時から変わらない感情だ。しかし、今ではそれ以外の気持ちがこみ上げてくるときがある。
魔力を渡すとき以外でも彼女にキスをしたい……そして、喜んでもらいたい。しかし、そんな事をしようものならアナスタシアは噴火したように怒るし、もう二度と口をきいてもらえないかもしれない。その気持ちは、いつだって恐怖と背中合わせだった。
「それなら……姉様にも、同じように思ってもらえればいいんじゃないか?」
「アナスタシアに、魔力を渡す以外にもキスをしたいと思ってもらうってこと?」
「そう」
「でも、どうやったら」
「……よし! 僕に任せて」
アレクセイはアメジストの手を取る。そして、力強く握った。
「僕に、一つ考えがある」
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