第7話 策謀の見合い ②
***
「しかし、アーシャ姉様が見合いを受けるなんて、思いもしなかったよ」
「見合い?」
アナスタシアの自室に向かおうとしていたアメジストだったが、広い城の中迷子になってしまっていた。そこを偶然通りがかったアレクセイが、アメジストを自分の部屋に連れ込んだ。ちょうどお茶の時間、話をする相手が欲しかったようだ。
「そう、さっきメイドたちが楽しそうに話をしていたのを耳に挟んだんだ。姉様の事だから断ると思ったのに、それに……」
アメジストさんのことだってまだ解決していないのに。そう続けようとしたが、肝心のアメジストは『見合い』という言葉の意味を理解していないようだ。
「ああ、ごめんなさい。見合いって言うのは……将来の結婚相手を決めるために、お互いが一度会って話をしてみること、かな?」
「結婚?」
「男の人と、女の人がずっと一緒にいる約束をすることだよ」
「それは、恋人になることとは違うことなの?」
「ん~……一般的には、恋人になった二人はやがて結婚するんだけど」
ちらりとアメジストを見ると、なんだか興奮しているように息巻いている。きっと、アナスタシアに『結婚』の話でもしようと考えているのだろう。
「僕たち王族は、そうも簡単にいかないんだよ。僕たちが結婚する相手は、貴族同士の思惑や外交手段として使われる……一種の政治的手腕だ。仲の悪い国に姫を嫁がせて国交ルートを作ったり、宰相の娘を王子の伴侶に迎えさせて、その宰相が強大な力を得たり。面倒な事この上ないよ」
だからこそ、一介の少将を結婚することに決めた姉・マリアは、何ものにも縛られない自由な雲のような存在なわけだ。
「……アナスタシアも?」
「そう」
政治の手段として、好きでもない相手と結婚する。アレクセイにも待っている未来だが、気が合わなければ、これ以上ないくらいの地獄になるだろう。
「ただ、メイドたちが言うには……お父様もお母様も、姉様には断ってもいいって話しているって。姉様、たぶん断るんじゃないかな?」
アレクセイがそう言うと、アメジストは安心したように小さく笑みを見せる。
「それはそうと、僕も調べてみたんです。人の形をした【魔女鉱石】について」
「本当に?!」
アレクセイがゆっくり、自信たっぷりに頷くとアメジストは嬉しそうに満面の笑みを浮かべる。
「結構大変だったんだよ、図書館中探してみたけれど全く見つからなくって……美術品を保管している宝物庫の一番奥の、厳重に鍵がかけられた本棚の中にあって……ま、鍵も全部壊しちゃったんだけど」
軽くウィンクをするが、さすがのアメジストも……それは悪いことなのではないかと首を傾げる。席を立ったアレクセイが持ってきたのは、分厚い本だった。文字がまだ読めないアメジストは、アレクセイに説明を求める。
「タイトルはそのままだよ、『【魔女鉱石】について』。発行はもうずっと前……ヴィクトリア様が亡くなった後かな? 【魔女鉱石】に関する研究が進んでいた時期があったらしい」
アレクセイは説明を続ける。ヴィクトリアと親しかったブルベール公国の王子によって始められた、王立研究機関による【魔女鉱石】の調査。それによると、ヴィクトリアの【魔女鉱石】やアメジストのような、人の……しかも男の形をした【魔女鉱石】は他にも存在したらしい。それらは魔女に、まるで『恋人』と言っても差し支えのないくらい親密に寄り添っていた。
「他の【魔女鉱石】も、姉様やアメジストさん達のように……魔力の受け渡しは口づけだったんだって」
いつしか魔女と【魔女鉱石】たちは……自然と恋に落ちていくようになる。人の体でもっとも敏感な部分同士が触れ合っていると、やっぱり、恋に落ちていきやすいようだ。
「でも、魔女はやがて老いて……死んでしまう」
「死?」
「えっと……もう体が動かなくなってしまうんだよ、死んでしまうと」
「寝るのとは違うの?」
「全く。死んでしまうと食べることも飲むこともしなくなるし、もう二度と目を覚ましたり……お話したりすることもなくなるんだ。体もどんどんと朽ちていく、目の前にいるのに……魂がもう無くなってしまうんだ」
魔女はいずれ死ぬ。しかし、【魔女鉱石】である彼らの姿は永遠に変わらない、老いる事もなければ、死ぬこともない。訪れた別れに耐えきれなくなった彼らは、自分の中にある魔力を増幅させていき、やがて……。
「大きな爆発を起こしてしまう。周囲の人々を巻き込むような……」
アレクセイはまっすぐにアメジストを見据える。
「きっと、【魔女鉱石】の皆さんは……別れに耐えきれなくなったんだね」
アメジストだって、そんなこと、想像しただけで恐怖で震える。アナスタシアにもう笑いかけてもらえない、小言を言われることも……口づけした時の温度も永遠に失われてしまう。そんなの、耐えきれるわけがない。
「きっと口伝されていくうちに……古い魔女達には『【魔女鉱石】と魔女は恋に落ちてはいけない』という決まりが残ったんだと思う。でもね、アメジスト」
アレクセイの優しい語り口に、うつむいていたアメジストは顔をあげる。
「僕たち人間だって魔女だって、誰かが亡くなったら悲しいんだ。悲しいと思うのは、【魔女鉱石】だけじゃない。その悲しいという気持ちと魔力をコントロールできたら、きっと……姉様と恋人同士になれるんだと僕はそう思う」
アレクセイは優しく笑みを浮かべる。それに励まされるように、アメジストも頑張って笑みを作った。ずっとアナスタシアと一緒にいたいなら、自分の気持ちをコントロールできるようになるしかない。
「あ、あともう一つ。最終的には大爆発しちゃったけれど、魔女と伴侶になった【魔女鉱石】もいたんだって。本に書いてあった」
「伴侶?」
「結婚したケースもあるっていうこと」
そう言ってアレクセイは軽くウィンクしてみせた。
***
「……派手過ぎじゃない? このワンピース、パーティー用のドレスじゃないんだから」
ついにチャールズ王子との見合いの日がやってきた。朝からアナスタシア付きの侍女たちはあわただしく働いている。アナスタシアに用意されたのは、とっておきのために用意していたという真っ赤なワンピース。ところどころに銀糸が織り込まれていて、光の当たり具合でキラリと光る……いつも真っ黒な魔女の園の制服しか着ていないアナスタシアからしてみたら、少しどころかだいぶ派手だ。
しかし、これでもだいぶ質素な方……らしい。本来ならば、大広間に双方の国の要人を向かい合わせに座らせ、このワンピースよりももっともっと派手なドレスを着た姫を尻目に、宰相たちが話を詰めていくのだ。王子と姫は、まったく会話ができないこともあるらしい。そうならなかったのは、革新的ともいえるブルーベル公国・チャールズ王子の配慮があってこそ。
「それにしても、アナスタシア様に城下町を案内していただきたいだなんて……しかも二人っきりで」
そう。チャールズ王子は、格式ばった見合いではなく……アナスタシアとの『デート』と希望したのだ。護衛や宰相を誰一人として付けない、正真正銘の『二人きり』で。アナスタシアもこれには歓迎だった。他に誰もつかないなら、断りやすい。……うまく城下町を案内できるかは分からないが。
髪型を整えてもらったアナスタシアの元に、チャールズ王子一行が着いたという報が入る。アナスタシアはメイドたちに連れられて、チャールズ王子が待っている客間へ向かう。
「アナスタシア!」
その途中で、アメジストが迷子の子どものように立ち尽くしていた。アナスタシアの姿を見つけると、安心したように駆け寄ってくる。ずっと見合いの準備で、この国に帰って来てから二人でゆっくり過ごす時間もなかった。きっと寂しい思いもしていたに違いない。アメジストがアナスタシアの手を取って握ったとき、彼の寂しさが伝わってきた。
「そう遅くならないと思うから、そうね……アレクセイと一緒にいて? この前も二人でこそこそ話してたでしょ?」
きっと、アレクセイも弟のようにかわいがってくれているに違いないと、アナスタシアはそう思い込んでいた。しかし、それだけ宥めてもアメジストの手はぎゅっと力がこもっていてアナスタシアから離れていく気配はない。
「アメジスト?」
「あ、あの……アナスタシア、あのね」
言葉を探しているように、アメジストは首を傾げて何か迷っているように見える。アナスタシアも、こんな彼の様子には困るばかりだ。手を振りほどくわけにもいかず……悩んでいると、ずずっと婆やが横から姿を現した。
「アナスタシア様、油を売っている場合ではございませんよ」
「え、ええ」
「それに、こんな風に男と手を取り合っている姿を見られては……ルクリアには男に浮つく姫君しかいないと噂が立ってしまいますわ。さ、早く」
男に浮ついているのは姉のマリアしかいないのだが……アナスタシアは言い返すことなく、頷いてアメジストの手をほどいた。
「あ……」
「すぐ戻るから。いい子に待っているのよ」
そう言ったアナスタシアは背筋を伸ばして客間に向かっていく。アメジストはそれを追いかけることも出来ず……ただ立ち尽くしていた。
「初めまして、ルクリアの王女様。私、ブルーベル公国第三王子・チャールズと申します」
胸に手を当てて、金髪の青年が恭しく頭を下げる。その後ろに控えていた……深くマントのフードをかぶった女性も頭を下げた。
「初めまして、チャールズ様。私、ルクリア帝国……」
「かしこまった挨拶はなしに致しましょう、アナスタシア様。私の事は『チャールズ』とお呼びください」
「は、はぁ……」
さすがにそんな軽々しく呼ぶわけにはいかない。アナスタシアは曖昧に言葉を返すと、チャールズは笑みを深くさせた。
「お会いできるのを、楽しみにしておりました。噂に聞いていた通り、お美しい方だ」
そのまま、彼はアナスタシアの手を取った。
「お褒めいただきありがとうございます、チャールズ様」
どうしたらいいか分からないアナスタシアの視線は、チラチラといろんなところに散らばっていく。そのうちに、チャールズの後ろに控えている女性と目が合った。
「ああ、彼女ですか? 私付きの魔女です」
「ま、魔女ですか?!」
「ええ、アナスタシア様が今いらっしゃる魔女の園を、もうずっと前に卒業した魔女です。マーサ、ご挨拶を」
フードをかぶっているせいで【魔女の証】が見えないので、全く魔女だとは気づかなかった。マーサ、と呼ばれた魔女はまた深々と頭を下げる。
「初めまして、マーサと申します。以後、お見知りおきを」
「マーサは目の具合が良くないんです。ご迷惑をおかけすることがあるかもしれません」
「ご病気、とかですか?」
恐る恐る聞くが、マーサは頭を横に振る。これ以上、深く立ち入ってはいけないようだ。
「それでは、参りましょうかアナスタシア様。楽しみだな、王都、一度でいいから歩いてみたかったんですよ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。