第7話 策謀の見合い ③


***



「噂に違わぬ賑わいですね」


「そ、そうですね」



 露店が立ち並ぶ城下町に降りると、人が溢れてごったかえしていた。賑わいを見せる街並みに、チャールズは感嘆の声をあげる。幸いなことに、人々は目の前の商品を吟味することや接客に忙しく、誰一人として王女であるアナスタシアがいることには気づかなかった。



「アナスタシア様、お伺いしたいことがあるのですが……」


「え? あ、どうぞ……」


「母へのお土産に、絹のスカーフを探したいのです。いい店を知りませんか?」


「それでしたら……あちらに王家御用達の店がありますので、そちらに参りませんか?」



 想像していた以上に、二人の『デート』は順調だった。土産物を選び、名物料理に舌鼓を打って……ただ、人が溢れる街並みをはぐれないように進むのだけが難しい。

 隣に立っているのがアレクセイなら、腕をがっちりつかんで離れないようにするのに。アナスタシアはチャールズの横顔を見ながらそう思う……いや、そもそも城下町に歩いてくるなんて危なすぎる……そう思って、頭の中にいるアレクセイの残像を振り払った。

 

 アメジストなら、どうするだろうか? 今まで見たことのない人の多さに怯えて、今日みたいに手を握ってくるだろうか? 思い出すと、胸が熱くなる……今日の彼の手は、いとも簡単にアナスタシアの心を揺さぶろうとする。



「……様、アナスタシア様」


「あ、はい!」


「大丈夫ですか? 人込みに酔ってしまったとか……どこかで休憩しましょうか?」



 チャールズは少しかがんで、アナスタシアと視線を合わせようとする。とっさに視線をそらしたアナスタシアは、平気な顔を取り繕った。



「申し訳ございません、少し考え事をしておりまして……」



 そう言うと、チャールズは少しだけ安堵の表情を見せる。



「そうだ、アナスタシア様。見たいものがあるのですが……」


「見たい、もの?」


「ええ、王立美術館に案内していただけますか?」



 チャールズの申し出を引き受けたアナスタシアは、美術館へ向かう。



「美術館で、何をご覧になるんですか?」


「このルクリア帝国が所蔵している……魔女の呪いに関する絵画です」



 背筋にぞわっと冷たいものが走る。あの思い出したくもない絵を、この人は観に行こうとしているのだ。



「ど、どうしてあの絵を……?」



 できれば、あまり見たくはないものだ。アナスタシアの声が少しだけ強張る。



「わが国にはありませんので、あの類の絵は……一度見てみたかったんですよ。それに、魔女の呪いについて興味があるんです」


「呪いに?」


「ええ。かけられただけではなく、その呪いをかけた魔女も代償を負う。もし……魔女への代償がなくなれば、これ以上の物はない」



 アナスタシアの背筋が凍り付く。怖い……頭の中が恐怖でいっぱいになって、もうこの場から逃げ出したいとすら思う。あんな恐ろしい絵を、恐ろしい『呪い』に興味があるなんて、アナスタシアにも考えられないくらい、怖い趣味だ。

 ふらりとアナスタシアの足元がふらつく、それに気づいたチャールズはアナスタシアの肩を抱いて支えた。その手は、アメジストの手と比べると異様に冷たいように感じる。彼は、人間のはずなのに。



「大丈夫ですか? アナスタシア様」


「ええ、まぁ……」


「人が増えましたからね。はぐれると危ないので、こうしましょう」



 肩に置かれた手がするりと下がって、アナスタシアの手に触れる。そのまま、チャールズはアナスタシアの手をぎゅっと握る。

 その瞬間、アナスタシアの体に悪寒が走った。ぞわぞわと氷のような冷たさが駆け巡り、風邪を引いた時のように頭が重たくなっていく。脚がもつれて、よろよろとふらつきが大きくなっていく……体の力が抜けていくというよりも、魔力がなくなったときに近い。アナスタシアは眩む目を閉じて、眉間を抑えた。どうしたらいいのか、考えがまとまらない。



「……アナスタシア!」



 遠くから声が聞こえてきた。振り向くよりも早く、誰かがアナスタシアの肩を奪うように抱き、そのまま人混みを走り抜けていった。目の端に映るチャールズがどんな表情をしていたのかも分からないくらい、早く。


 気づいたとき、アナスタシアは裏路地にいた。せわしなく呼吸をしているのに、まだ胸が苦しく、体はだるいまま。



「アナスタシア、どうしたの? 大丈夫?」



 名前を呼ばれて、アナスタシアはゆっくりと顔をあげた。そこにいたのは、心配そうに彼女を見つめるアメジスト。どうしてこんな所にいるのか、ちゃんと待っててと言ったはずなのに。言いたいことは山ほどあるのに、言葉がつまって出てこない。

 目の前にいるアナスタシアが、苦しそうだ。顔は青白くて、呼吸するのもつらい表情をしている。アメジストに、出来ることはあまりない。彼ができるのは、【魔女鉱石】として魔女であるアナスタシアに……口づけをすることだけだ。



「アメジスト……んん……」



 アメジストはアナスタシアの震える体を抱えるように抱きしめ、その小さな唇を塞ぐ。呼吸をすべて奪うように、強く、激しく。アメジストの舌はアナスタシアの口内をむさぼるように嘗め回し、一分の隙なく絡み合う。

 こんなキス……いつものアナスタシアなら全身全霊でアメジストを跳ねのけるのに、ぐったりと力が抜けた彼女はただ受け入れるだけだった。しかし、そんなアナスタシアの体に、ある変化が訪れる。



「ん、んぅ……」



 アメジストの口づけが深くなるごとに、体の力がみるみる蘇っていくのだ。甘い口づけを感じるといつもならふにゃりと体がとろけていってしまうのに……これは、全くの逆だ。



「……も、もういいでしょ!」



 アナスタシアがアメジストの体を振りほどいた時には、もう彼女の体はすっかり元通りになっていた。顔を赤く染めてぷいと怒ったようにそっぽを向くアナスタシアの様子は、元気そのものだ。アメジストも胸を撫でおろす。



「ど、どうしてアンタがこんなところにいるのよ! アレクセイと一緒にいてって言ったばかりでしょ?」


「でも……」


「でも、なに!?」


「アナスタシアが、あいつと一緒にいるの……嫌だったから」



 あいつ……間違いなく、チャールズの事を指している。



「しょうがないじゃない、国が決めたお見合いなんだから」


「アナスタシア、あいつと結婚する?」


「どうしてアメジストまで知って……きゃっ!」



 アメジストがアナスタシアの腕を引いて、今度は強く抱きしめていた。アメジストの熱くなった体温が、アナスタシアの全身に伝わる。その腕の力は強く、アナスタシアの事を……何があっても離さないと物語っているようだった。アナスタシアが彼をなだめるように、背中に腕を回して、優しく抱きしめる。



「しないわよ、結婚なんて」


「本当に?」


「本当。今日だって、城下町の案内をしたら断わるつもりだったのに、余計な邪魔が入るから!」


「……良かった」



 アナスタシアの耳を、アメジストの安堵した優しい声がくすぐる。それはこそばゆいだけじゃなくて、アナスタシアの心を温めていく。



「アナスタシアが他の人と結婚しなくて、本当に良かった」



 アメジストの純粋な言葉は、素直になれないアナスタシアにとってただの毒になってしまう。アナスタシアは彼の胸を押して、ゆっくり離れていく。



「当たり前じゃない。私には、アレクセイを支える立派な魔女になるという使命があるんだから!」



 立派な魔女になることができれば……【魔女鉱石】であるアメジストはずっとアナスタシアの傍にいてくれる。彼と一緒にいたいアナスタシアには、もうこうするしか術は残ってない。



「もう、大丈夫だから……離してくれない?」



 彼の腕がまだアナスタシアの背中に回ったままだ。身をよじって、そこからするりと抜けていく。しかし、アメジストはアナスタシアの事を心配らしく、背中にそっと手を添える。



「大丈夫? 歩ける? 俺が運んでいこうか?」


「そんなことして、変な噂が立ったら大変でしょう?! 私は一応、この国の王女様なのよ」



 そう、先ほどまで見合いをしていたはずの王女様。なのに、こんな裏路地で……見かけだけは『男』でもあるアメジストとキスをしていたのが母にバレたら雷が落ちるどころでは済まないだろう。アナスタシアは背筋を伸ばして歩き始める。



「さ、帰るわよ。……チャールズ王子とははぐれてしまったことにするわ」


「うん!」



 歩き出すアナスタシアの後ろを、とても嬉しそうにアメジストがついてくる。全く、いつもは子どもみたいなのに、どうして『キス』をするときだけ男の人らしくなってしまうのか。

 そして、もう一つ……アナスタシアには気になることがあった。それは、先ほどの悪寒の事だ。チャールズが触れたとたん、どんどん体の力が奪われていった。そしてそれは、魔女に力をもたらす【魔女鉱石】にキスをされたら、まるでそんな事なかったように治ってしまう。奪われたのは、アナスタシアの魔力だ。



(……どうして、チャールズ王子に触れただけであんな風に……)



 魔女の園に戻ったら、誰かに聞いてみた方がいいかもしれない。バルバラなら原因が分かるかもしれない。でも、すぐに魔女の園に戻ってしまってもいいものか。

 アナスタシアの胸は、不安でいっぱいだった。


 そして、その不安は……最悪の形となって表れてしまうのである。


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