第6話 変わり始めた二人の関係と暗黒の予言 ④


***


 不吉な予言を聞いたアナスタシアがようやっと眠りにつけたのは、明け方近くだった。深呼吸のような寝息に包まれた部屋で、アメジストがぼんやりと月明かりに照らされている。アナスタシアがこの部屋に帰ってきてからというものの、ずっと顔色が悪かった。医務室にいた時は熱でもあるんじゃないかと思うくらい紅潮させていた頬も、ひんやりと冷たそうだ。何かあったのかと聞こうとしても、アナスタシアはアメジストに見向きもしない。アメジストが今日何度目か分からないくらいのため息をついたとき、ドアがノックされる音が小さく響いた。



「【魔女鉱石】や、いるか?」


「バルバラ様?」



 アナスタシアが目を覚まさないように、ゆっくりとドアを開く。その向こうには、暗闇の中にたたずむバルバラがいた。



「良かった、起きていたか」


「何か、用事……?」


「お前に話があってな、アーシャを起こしたら悪い。少し出てこれるかい?」



 返事をするように、アメジストは部屋からでて静かにドアを閉めた。バルバラについて森に入り……抜けていった先に、初めてアナスタシアと出会った場所があった。



「お前が拾われたのはここだと言っていたな」


「そう」


「懐かしいだろう?」



 目覚めかけた意識の中ではっきりと見えた、アナスタシアの驚いて丸くなった瞳を見たあの日のことは忘れられそうにない。アメジストの中で、そう思うことが増えてきた。



「バルバラ様、話って何?」


「長くなる……そこに座りなさい」



 バルバラは倒れた幹に腰を掛ける。アメジストはその近くで胡坐を組んだ。



「アーシャには話したのだが……あの子の国に関する予知夢を見たんじゃ

「予知夢?」


「そう。あの子の国に危機が訪れる……そんな不穏な予知夢だった。ただ、それだけではない。私が最も恐ろしいと感じたのは、お前たちだよ」


「……え?」


「アナスタシアとその【魔女鉱石】。その前に……ヴィクトリア様の話でもしておこうかね」



 バルバラの声音がどんどん低くなっていく。恐怖を覚えたアメジストは、震える手をぎゅっと握りしめる。



「ヴィクトリア様の【魔女鉱石】……『彼』は、ヴィクトリア様と接する内に人間のような感情を芽生えさせていた。その最も顕著だったのは、彼女に対する愛情だった」


「愛情?」


「お前も、似た気持ちを抱いているんではないか? アナスタシアの事を大事に思ったり、触れ合いたいと思う感情の事だよ」



 それにはアメジストも心当たりがある。『恋』の事だ。



「ヴィクトリア様も『彼』の気持ちを受け止め、二人はやがて恋仲になっていったそうだ。それは仲睦まじい様子で、どこに行くにしても一緒だった」


「恋人同士になったっていうこと?」


「いつの間に、そういうことも覚えたのかお前は。そうだよ……あの日が来るまでは、じゃったが」



 バルバラはどこからともなく、一冊の画集を取り出す。ボロボロになったあるページを開き、アメジストに見せた。



「この絵はブルーベル公国が所蔵している、ヴィクトリア様の最期を描いたものだ。見なさい」



 その絵には、男の腕の中でぐったりとしている女の姿が描かれていた。



「ヴィクトリア様は、この星に堕ちてきた大きな流れ星を食い止めるために……【魔女鉱石】の力も頼らずに、自らの力だけでそれを行い……膨らみすぎた魔力の暴走を抑えることができずに死んだ。ヴィクトリア様を抱きかかえるこの男は、ヴィクトリア様と親交のあったブルーベル公国の王子と伝えられているが……」


「この人が、ヴィクトリア様の【魔女鉱石】?」


「そうだ。……この後、ヴィクトリア様亡き後、【魔女鉱石】はどうしたと思う?」



 その問いかけにどれだけ悩んでも答えはでず、アメジストは首を横に振る。



「ヴィクトリア様を生き返らせようとして内包する魔力を増幅させ……周囲の国や村を巻き込みながら、自らを破壊していったよ。それが、今ヴィクトリア湖……ヴィクトリア様の墓標として伝わっている湖を作った」



 バルバラは違うページをめくる。そこに描かれていたのは、広大な湖だった。



「私が見た予知夢は……これの再来だ」


「再来……まさか、アナスタシアが?」


「そう。アーシャは弟を守るために、自らの力を使い切る。そうなったら、アーシャがどうなるかわかるね」


 アメジストは震えながら頷いた。彼にも、それがアナスタシアの死を告げていることは分かっている。ただ、それを言葉にすることはできなかった。……口に出してしまえば、それが本当に起こりそうな気がして。


「そして……何よりも私が心配しているのはお前の事だよ、【魔女鉱石】」

「俺?」

「そう……。お前は、アナスタシアの事をどう思っているんだい?」


 彼女に対する思いを表現するのは、難しい。

触れたい、抱きしめたい、キスをしたい。そして……いつも笑っていてほしい。それを一つの言葉で表現するなら……。


「恋、してる」

「恋か……。いつの間に難しい言葉を覚えたもんだ。それなら、さらに危うい。アナスタシアに何かあれば、お前が暴走する」

「でも……アナスタシアを守れば?」


 バルバラは深く頷いた。


「そう。アーシャさえ守り抜けば、何もかも丸く収まる。アーシャが死ぬことも、【魔女鉱石】が暴発することもない。……それには、アーシャの弟も守らなければならない」

「アナスタシアが一番大事にしているものだから?」

「よくわかっているね。あの子は、弟のためなら自分の命も差し出すだろう……お前に、二人を同時に守ることはできるかい?」

「もちろん」


 具体的にどうすればいいのか、その術は分からないし……それがいつ起こるのかもわからない。しかし、アメジストは自分の胸に刻むようにしっかりと頷いて顔をあげた。


「いい子だ。さて、もう帰るかね。ああ、この話は……」

「アナスタシアには内緒」

「そうだね」


 二人はゆっくりと、暗くなった森を抜けていく。アメジストが部屋に戻ってきたのは、朝日が昇りそうな時間帯だった。アメジストはアナスタシアのベッドの近くで腰を下ろして、彼女をじっと見つめる。眉間にしわが寄っていて、なんだか悪い夢でも見ているようだ。


「……大丈夫、アナスタシア」


 アメジストがそう呼びかけると、ふっと彼女の力が抜けていく。


「俺が絶対、アナスタシアもアレクセイも守る」


 その呟きはアナスタシアに届いたのかは、わからない。しかし、アナスタシアの目じりから、はらりと涙の滴がこぼれた。アメジストはそれを優しくぬぐい、顔を近づけていく。そして、そのピンク色の唇にそっと自身のそれを重ねた。

 久しぶりの口づけは、とびきり甘い。離れた時、さらにむさぼりたくような気持にかられた。そして、アナスタシアからも求められたいと……。

 その衝動を、アメジストはぐっとこらえる。今はただ、アナスタシアの穏やかな眠りを祈りながら、アメジストも目を閉じる。

 彼女だけは絶対に失わないと、胸に固く誓いながら。

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