第6話 玲加の霊体離脱の1

6 玲加の霊体離脱


1


 ドカ! どか!!  Dokadokadoka!!! と巨体女、巨体男、が階段をおりてくる。

 玲加は虚空にむかって「コーン――」と狐の超音波を発した。

 みんなが、みみをおさえている。のたうちまわっている。こんなこともわたしはできたんだ。玲加はさらに音波をたかめた。「コーン、コーン、コーン」

「玲加の技は発展途上国みたいだな」

「それって、どーいうこと」

 化沼高校の屋上。昼休み。五月の薫風が吹きわたっていく。風にはまえの日曜大工の店「K」の薔薇の匂いが含まれている。

「まだまだなんでもありって感じ……」

「それって、ほめてくれてるの」

「ノボルを助けてくれてありがとう。幽体離脱とはね」

「武だって狼や吸血鬼に変身できるじゃない」

「あまりひとにはみせたくないな」

「そんなことない。胸毛を風になびかせて原野を走る狼ってすてきよ」

 すっかり恋人ムードだ。ブーンと蝿が飛んできて鉄製の胸壁に止まった。

 玲加が武の唇の指をあてた。そして蝿を指差す。

 バラの匂いがしているのだからミツバチならウナヅケル。でも蝿とはね。

 おかしいでしょう? と眼顔しらせる。

 武がぺろりと玲加の指をなめた。玲加はほほを染める。武の胸に頭を寄せた。いやな羽音をさせて蝿がまた飛んできた。

 不潔なヤツ。いやらしい、醜悪な蝿の群れ。

 どこから飛んでくるの。

 どこからわいてでるの。

 白昼の校舎の屋上から。

 ふたりは手をとりあって階段をおりだした。

「おれたちはいつも監視されている。油断できないな」

「学に連絡しとく」 


 カフテリアのある方角からワット学生が逃げてくる。あわてふためき、悲鳴を上げて走ってくる。

「どうした」

 武がまきこまれないように壁にへばりついた。玲加はジャンプして欄間に避難する。

「ハエがおそってきたの」

「蝿よ。はえよ。ハエヨ」

 走りながらみんなが悲鳴をあげている。

「コウモリは呼べないよな」

「ムリヨ。まだ昼間だもの。呼んでもこないわ。呼んでもオネンネしるわ」

 高いところから玲加が声を落とす。

 学はバラの水やりをすませた。わたしがいなくてもバラを枯らさないでね。カミサンに念を押されている。しばらくぶりでもどったわが家だ。

 バラたちがふいにざわめきだした。

 玲加がおそわれている。学は直感的に悟った。

 バラからのイメージをキャッチした。携帯をとりだしたが開くのはやめた。

 エマージェンシー・コールがないかぎりなんとかきりぬけるだろう。美麻がいないいま、玲加がこの街の守護キャラだ。

 武もそばにいる。美麻のようにたくましくなってもらいたい。ここは玲加と武にまかせておこう。

 学はPCをひらいた。美麻のいない屋敷はしずまりかえっている。遠くかすかに、大通りのほうでくるまの輻輳する音がしている。

 静かだ。昼飯はまだたべていない。ひとりだとなにかやはりものたりない。あまりにながく美麻にあまえすぎていたのかもしれない。はつきりいって、ひとりではなにもできない。する気がない。

 ただ小説をかくことは、これは本能だ。なにがなんでも書きつづけなければならない。孫の麻耶が第二作を書いている。

 わたしも書く約束をした。麻耶の「やがて青空」は映画化が決定した。まだまだ版をかさねている。医学の勉強と両立させている。「もう書き終わるよ学ちゃん。学もはやくかきあげて」

 励まされている。姪っ子に励まされている。第二作はふたりで同時出版しょうと……。姪の麻耶とだきあわせで出版することで、わたしのつたない作品をBCしょうと編集者はかんがえているのだ。こんな形で長年の夢が実現していくとは思ってもみなかった。

 美麻はわたしと生活する期限を使いきってしまった。

 ふいに、まつたく唐突に空気が動いた。ざわっと大気が揺らいでいる。

 窓ガラスが振動している。

 幽かに顫動している。窓ガラスに手をやる。音はやむ。だがみよ!!

 真昼の化沼高校からクリーンセンターの方角に妖気がただよっている。

 雷雲がわいたようにそらに黒雲が渦巻いている。イヤ!!! あれは玲加からきかされている蝿の大群だ。重なりあった無数の蝿の群れが!!!!!!!!!!!!!!!…………玲加と武をおそっているのだ。

 学はPCをかかえて車庫にかけおりた。

 めったにのらないワンボックスカーにとびのった。


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