第2話の3

3


「玲加。あれからどうしたの? ……」

 美菜が近寄ってきた。玲加は金縛りになった。死んでいたはずの美菜が笑顔を浮かべて近寄ってきた。美菜は黒川の河川敷公園で死んでいた。美菜の死体にとりすがって泣いたのはこのわたしだ。美菜は襟にネックウォーマをしている。どうして??? もうこんなにあたたかな気候になっているのに。

「ね、ね……あれからどうしたの? 顔色変えて教室をでていっきりだったから心配していたのよ。それとももうBFができたので学校フケたりして。デートだったりして」

「そんなんじゃないって」

 玲加は美菜の顔をできるだけ見ないようにして応えた。わたしって、ダメね。まだ修行がたりない。学習してきたことと、現実のはざまでこころが揺れ動いている。

「そうだ。心配してたんだぜ」

 きのうも声をかけてくれた犬飼武が笑っている。この町のひとの癖なのかしら、はなしたあとでククククと笑い声がつづく。

「ねね。なんのはなし?……なに話してるの」

 玲加はたちまちクラスメイトに取り囲まれた。オンナノコはみーいんな、ああ、おそろいの淡い灰色のネックウオマーをしている。どうなってるの。考えられることは、噛まれている。吸われている。このひとたち、吸血鬼。……美智子おばさまのようなMV(マインドバンパイア)ではない。肉食系の、血でも肉でもたべる兇暴なブラックバンパイアになってしまったのかしら。人狼に変身するくらいだから、グリゲアリアス(群居性)があるのかしら。集団で獲物を襲うのかしら。群れをなして狩りをする習性があるのかもしれない。

「なにかいってよ。わたしたちが怖いの」

 じりじり近寄って包囲網を形作った。この囲み破れるかしら。やってみたら。というような意地の悪いニタニタ笑い。下劣な笑顔。臭い息がかかるほど迫ってきた。

みんなこの暑いのに、灰色のネックウオマーをしているので、ふさふさした狼の胸毛のように見える。

「あら玲加がどうかしたの」

 クラス委員の山本洋子が彼女たちの輪の後ろから割りこんできた。

 よかった。キレイな白い喉元がセーラ服の胸元に見えている。

「見園さんは、まだ転校してきたばかりなんだから、はやくお友だちになってあげて」

 ヤサシイことばをかけてくれた。玲加をかこんでいたものたちは、フンというように上をむいた。お狼の遠吠えでもするのかとすこしこわかった。

 洋子に話しかけられたことで、ゆとりが玲加にできた。

「ありがとう。洋子さん」

「洋子でいいわよ。あなたからは、バラの匂いがしているから」

 余裕ができてみると、なぜあんなに怖がったのか玲加は恥ずかしくなった。ここは教室の中だ。一年B組の教室だ。授業がこれから始まろうとしている白昼の教室だ。怯えることはない。ところが、ギャっと洋子がのけぞった。

「クラス委員だからって、おおきなツラするなって」

 犬飼の手にはカッターナイフがにぎられていた。それに――ああなんとしたこと……洋子の黒髪がザクッと切りとられていた。

「なにするの。あんたらそれでもクラスメイトなの」

 いままで新しい環境に順応できないでいた玲加が声をあらげた。べつにか弱い女子学生を演じていたわけではない。あらあらしい校風に馴染めないでいただけだ。怖いとはおもった。恐ろしくもあった。犬飼がさっと髪を中空に投げた。洋子の髪が中空に舞っているうちに、玲加のストレートパンチが犬飼の鼻骨に炸裂した。犬飼は教室の隅までふっとばされた。まだなにがおきたのか理解していない。そのまま失神してしまった

「武、武」

 美菜が鼻血を噴きだして倒れている犬飼にすがって泣きだした。

 のこりの女子学生か玲加に襲いかかってきた。鉤爪をあらわにした。もう敵も、ひととしての擬態をかなぐりすてている。

「くらってやる」

「あら、人狼みたいなこといっていいのかしら」

 玲加が余裕でからかう。彼女たちは玲加のことはなにも知らない。

 鉤爪が襲ってくる。

 武は洋子から切りとった髪を上空になげた。

 すばやい玲加のパンチをくらった。油断していた。

 一瞬教室が暗くなった。

 しかし、さすがに人狼吸血鬼。立ち直りがすばやい。その闇の中で武は洋子の首筋を狙っていた。白昼の教室が惨劇の場となった。

 玲加は戦慄した。教室は沈黙に支配された。玲加は闘うことを決意した。わたしたちは吸美族のものだ。人を常食としているもの、人の肉を食らい、人の血を吸うものは許せない。肉食系の人狼を許せない。玲加は吸美族だけが感応する凄まじい怒りを覚えた。そこで、犬飼武にストレートパンチをくりだした。

わたしたちは人狼に拒まれた。約束の地、安住の地、陸奥に行きつくことができなかった。平安のころの話だ。

 人狼の攻撃に合い、わたしたち吸美族はこの低地、化沼で滅亡した。この犬飼の村落で、都をでるときから頼りにしてきた遠い昔は同族であったものたちの裏切りにあった。ここまで逃れてきたのに……。もう陸奥はすぐそこだと安堵したためにその隙をつかれて滅ぼされた。

 吸美族の中でも武闘派。精神波、マインドで戦う術をもつものたちがいま少し早くこの化沼に到着していれば玉藻さまたちは滅ぼされなかった。悲しいことだ。いらいこの地にわたしたち一族のものがひとしれず住みついてきた。それが美智子おばさまだ。先祖の恨み、美智子おばさまの嘆きが、玲加の叱咤の言葉となった。英語だったのが歴女にふさわしくなかったが――。

 あんたら、人狼よ。なにを食い、なにを飲もうとしているの。ああ信仰うすき者よ。さらば何を食ひ、何を飲み、何を着んとて思い煩ふな。『マタイ伝六章』30~31 You with little faith? So never be anxious and say, ‘What are we to eat?’ or ,‘What are we to drink?’ or, ‘What are we to put on?’

 玲加はクリスチャンではない。だが、幼いときからバイブルクラスにでていた影響で興奮するとバイブルの言葉が口をついて出る。‘What are you to drink?’ と叫んでいた。教室の中に玲加の叫びがなりひびいた。みんな唖然としている。拍手がした。担任の英語の先生、五十嵐満男が黒板の前に立っていた。教壇から下りてくる。

「なにもなかった。なにもみていない。それでいいな。玲加の発音はすばらしい。もうそれだけでも5評価をやるからな」

 わたしを抱きこんでいる。生徒を、評価を楯に懐柔するようじゃあんたはダメ教師よ。評価は1ね。とは玲加は声にはしなかった。

 声は別の所でした。 

 武が洋子を背後から締めあげている。

「先生たすけて!!」

 むなしい叫び。

 先生が相手にできる生き物ではないのに。

「ぼくもなにもみなかった。ここにはいなかった」

 テレビドラマの中だけだ。

 熱血教師など現実にはいない。

 五十嵐は出欠簿を抱えたまま後すさった。何人かの生徒も廊下に逃げる。

 わたしが転校してこなければ、洋子も生贄となっていた。

 ソウはさせるか。

 洋子は妖狐。

 わたしたちの仲間のような名前。

 親近感がある。

 それでなくても武や美菜からわたしを守ろうとしてくれた。

 こんどはわたしが洋子を助ける。

「美味しそうだな」

 武が長い舌で洋子の首筋をなめた。

 洋子はマッサオ。

 がくがく体が震えている。

「さあ、どうする。つぎは玲加おまえを食らってやる」

 武が白く光る犬歯をガバッと洋子の襟足にクイコマセタ。

 とはならなかった。歯をむきだしにしたままだ。

 一瞬動きがとまった。

 玲加は武の犬歯を指ではじいた。

 玲加の指パンチにどれだけの力があったのか。

 ド派手な音をたてた。

 犬歯は教室の床に跳ね跳んだ。

「インプラントにでもするのね」

「おかしな技だな。一瞬だが、魂が凍てついたようだった」

 武が床に落ちた犬歯を恨めしげにひろいあげた。

「治療費はおまえの体ではらってもらうからな」

 武の変形がはじまった。

 顔や腕に灰色の剛毛が生えてきた。灰色のネックウーマーをしている武の配下となっている女生徒たちが屏風となっている。廊下に逃げたほかの生徒には武の獣化はみえていない。

 長く伸びた鉤爪が玲加の頬をなぐ。体を倒して鉤爪を避け「洋子逃げて」叫ぶ。洋子はようやく玲加とじぶんを取り囲んでいるクラスメートの異常を視認した。武のメタモルフォーゼ、白昼の教室に現れた人狼を目視した。そうなればゲーム世代の、アニメの殿堂が建設されるかも知れない世代の女の子だ。

 泣き叫ぶこともなく廊下に避難する。洋子が教室からブジにでていくのを横目でみながら玲加は窓から庭にジャンプした。

 この前ミイマの処へ駆けつけたように、廊下へ出るわけにはいかない。大勢の視線の前にわたしたちの戦いをさらすけにはいかない。刺激が強すぎる。両腕をひろげてムササビのように空中を滑降した。

 玲加の着地点にはすでに人影があった。

「引っかかったね。MV(マインドバンパイァ)の小娘」

「あら、またお会いできてうれしいわ」

「なにをほざく。犬飼のオババだ」

「わたしは神代寺薔薇園の一族。見園玲加……いくわよ」

これを人影と言っていいのだろうか。青黒い爬虫類のようなごつごつした膚。

「わっちは、この姿のほうが好きでね」

 顔は吸血鬼。

 般若顔。

 乱杭歯に長く鋭い犬歯。

 その黄色く濁った色の歯列を剥いて襲いかかってきた。

 玲加はオババの頭上に跳んだ。

 回転回し蹴り。

 おばばの側頭をヒットした。

 吸血鬼への憎しみが玲加のエネルギーを燃え立たせている。

「オババ。はやく食らってしまえ」

 武が玲加の背後からオババをカラカウ。

「なんの。こんな小娘」

 オババと武は楽しんでいる。オババは醜い顔をゆがめている。うれしくて微笑しているのだ。

「やわらかそうな白い肉。フレッシュな生ジュースみたいな若い子の血。コタエラレナイネ」

 前にオババ。後ろに人狼の武。そしてBVに隷属するネックウォーマの女子生徒たちに囲まれている。彼女たちはシュシュと玲加を威嚇する。いやな口臭が迫る。サアッと生温かい風が吹き寄せる。ものの腐ったような臭いがする。グランドが原野に変わる。

「わかるかい。ここは那須野が原の南の果てだったのだよ。あんたらの一族はみんなここで食らわれた」

 腐臭は九尾族(吸美族)の死体からたちのぼっていた。人狼に裏切られ滅ぼされた一族の怨念が渦をまいていた。虚実の狭間で玲加は攻撃をためらっていた。こんな怪物は、叩こうが蹴ろうが、ダメージとはならない。どう攻める。どう戦う。

「なにためらっている。こちらからいくぞ」

 武が楽しそうな声でいう。包囲網が狭まる。どうする玲加。武が跳躍した。その狼の姿が玲加に覆いかぶさるように迫った。

「薔薇ヘンス」

 玲加の声にミイマのするどい掛け声がダブル。玲加はバラの棘に守られていた。人狼がギャと吠えた。バラの棘が全身にからみついている。棘のバリア。

「あのときだって――薔薇の防壁を張ることのできるわたしたちが駆けつけていれば玉藻さまの九尾族は滅亡しなかった」

 ミイマがはったと人狼と吸血ババアをにらんでいる。悔恨の涙をうかべている。奈良時代の怨念がいまだにのこっている。まさか千数百年生きているわけではない。肉体は変わる。しかし恨みの記憶は代々受け継がれるのだ。

「どう攻めればいいの」と玲加。

 薔薇の棘がバリアとなっている。武も犬飼のオババもこちらには入ってこられない。

 こちらからも、攻撃ができない。

「玲加は助けた。もういいだろう」と学。

「まだよ」美麻が叫ぶ。棘のある蔓が触手となってヤツラにおそいかかる。体に巻きついてきりきりとシメアゲル。

「もういい。ふりかえって、怨念のみにとらわれていると、先がみえなくなる」

 拍手がしている。周囲の景色が玲加の前で霞んでいく。

 拍手がしている。荒涼たる那須野が原のバトルの風景が消えた。

 玲加は再び教室にいた。

「さあ、授業をはじめるぞ」

 出席簿を教卓におくと五十嵐先生が「ユニコーン」、教科書をひらいた。

 玲加は窓からキャンパスを見下ろした。美麻と学が手をふっている美麻は派手な投げキスをおくってくる。

「ほら、見園読んでみて」

 先生はわたしの発音をほめてくれるのかしら。かれらは……とふりかえるとみんな美菜も武も体をすこしコソバユソウニゆすっているが、元気だ。彼女たちもネックウォーマこそしているが平然と授業をうけている。この学校どうなっているの? それがまだわからない玲加だった。


 その夜。学と美麻、玲加はキッチンにいた。

「どうして……止めたの。リベンジするにはいいチャンスだったのに」

「奈良時代の恨みがいまものこっているなんて、素晴らしいことだと思う。だいたい日本の歴史をみても何代にもにわたる恨みを持続するなんてあまりきかないからな。でも復讐の感情からは、たとえ恨みを晴らしたとしても、なにもうまれないと思う」

「ほめられているのか、けなされているのかわからないわ。人の心の動きに、心の波動に敏感なわたしたちは一族なのよ。だから体は変転しても心はそっくり遺伝するの」

「たしかにこの化沼で玉藻の前が滅ぼされたのはざんねんなことだ。おれは物書きだからいろんなことを想像する」

 学は興奮していた。いつのまにかおれ、という人称をつかっていた。

「玉藻の前は失われたユダヤ十支族の出だと推察している。天皇の寵愛をうけていたが周り女官たちの嫉妬と政争にまきこまれてやむなく都落ちすることになった。九尾の狐がいた、と想像するより玉藻をいれて十の部族のものが東北目指し移動していたと考えるほうが、リアルだと思わないか……」

「おもしろいよ。もっときかせて」

 歴史大好きギャルの歴女玲加がさきを急かせる。

「この地には壇ノ浦遺跡、金売り吉次の墓とか源氏と平家両方の伝説もある」

「それよりあなた、九尾族への論考をきかせて」

「論考なんてアカデミックなものではない。おれが好き勝手にファンタジーしているだけだけれどな。石裂山、おざくさん、という地名もある。尾裂山と書けばもっとおもしろくなる。この地に十支族の末裔がめんめんと生きながらえている。それがmimaたち人の心を高揚させる技のある、心を動かすことのできる種族だとおれは思う」

 話題はどんどん飛躍していく。学は興奮してきた。

「だからだ。復讐よりなにか創造するほうへエネルギーを使ったほうがいい。それだけの能力がモッタイナイ。争いからはなにも生まれない」

「わが麻生家の麻の葉の紋章は六芒星に似ている。おれはミイマと結ばれる縁があったのだと思っている。昔は同じ十支族だったはずだ」

「わあ、ロマンチック。ふたりは赤い糸で結ばれていたのね」と玲加。


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