第2話の2

2


 記者のかたわら郷土史研究家の麻生学は、小説を書きだしていた。数年前までの殺戮に明け暮れる中近東での傭兵生活がウソみたいだ。

 東京にいる姉の娘の麻耶の人気のおかげで次回作の依頼がはいっている。麻耶のおかげで郷土史研究家というより、「青い恋空」の作家麻生麻耶の叔父さんとしての仕事だ。最近では、こうして夜になると文章を書く習慣がついてしまった。二階の部屋ではカミサンと玲加がまだ話し込んでいる。ときどき足音がする。

 華奢な体躯なのに、足音はどんどんと大きく響く。

 長い年月生きながらえてきている。

 うわべよりもっと緻密な密度で体ができあがっているのかもしれない。蹄で歩いているようだ。長い年月の重みをその体に溜めこんでいるので、歩くとあんなに重々しい音がするのだ。

 足音が途絶えた。

 学は不吉なものを感じて二階に駆けあがった。

『夜のパトロール』にでかけます。閉じられた薔薇図鑑の上に付箋がはりつけてあった。いままでも、こういうことはあった。美麻はふいに消える。なんの予告もなく夜、ふいに消える。

 でも今夜はなにかしらいつもと違っているようだ。美麻が玲加ちゃんを伴って消えたこことには異次元からの働きかけがあった、と推察して慄いた。わたしは美麻がまだ恋人であったころから小説を書きづけている。美麻と知り合った頃は、すでにこの町を舞台とした伝記小説と取り組んでいた。わたしは周りの劣悪な環境と刺激のない田舎暮らし中で勘だけをたよりに書いてきた。だから、直感能力には自信がある。

 わたしは、あわてて窓辺によった。夜の庭がみえる。網戸越しにばらの芳香がただよってくる。ふたりの姿は見あたらない。緊急の場合なのに、わたしは庭からたちのぼってくるここちよいばらの香りに身をゆだねている。こういうときだからこそ、冷静にならなければ……。しかし体は部屋の中を移動して、武装のための準備をしている。今宵は満月。予期せぬトラブルにまきこまれるような予感がする。

 美麻は来る日も来る日も、ばらの話を際限なくわたしの耳もとでささやきつづけた。いまではおかげで庭のばらの品種はほとんどそらんじている。

 庭に出る。ばら園を横切ることのできるのはいまのところわたしと美麻だけだ。迷路のような植え込みなので知らないひとがはいりこむとばらの棘に阻まれて一歩も進めなくなる。棘でバリアをはってあるようなものだ。

 わたしは美麻の残り香を追いかけた。まるで臭跡をたどる犬のようだ。いまのところ匂いには異常はない。事態が急変すれば匂いもかわる。ふたりの匂いは黒川べり貝島のほうに向いていた。貝島橋をわたって犬飼地区にはいるのは危険だ。人狼神社のある方角だ。

「小説を書いているようだったから」

 足もとを流れる川風をほほにうけてふたりは欄干にもたれていた。くつろいだような雰囲気だがなにかおかしい。パトロールにでかけると書き残したことだって、いつものパターンではない。だいいち玲加がひどく緊張している。中州に人影があった。

「捕食中なの。間にあわなかった」

 この気配を感知して美麻は飛びだしたのだ。ひどく残念そうだ。

「風向きがかわった。わたしたちに気づいたわ。くるわよ。玲加」

「もう遊具のある河川敷公園をぬけた。もう土手にとびのった。もうすぐそこ」

もう、もう、を連発しているのは玲加が人狼とのファストコンタクトに恐怖を感じているからだ。血なまぐさい臭いがすぐ目前で発散している。それでもわたしたちの後ろにかくれるようなことはしない。健気だ。

足音もしない。姿も消えている。獲物に食らいつく一瞬の間合いに人狼は穏形した。

「ここよ」カミサンのばらの鞭が玲加の眼交をナイだ。鞭が風をきる。空間にぱっと蔓バラが咲いたように血が噴いた。ああ、しかしそれは緑の血だった。

「なるほど……うわさどおりのテダレだな」

「玲加。犠牲者をみてきて。助からないとはおもうけど」

 カミサンが囁く。

「ひとりでは危険だ。ついていってやれ」

「なめられたもんだな」

 と人狼。

 河川敷に走り下りるカミサンと玲加を後ろ目に見ながら人狼が呟く。女子学生がさわぐようなイケメンのヤサオトコダ。この姿で生贄に近寄るのだろう。わたしは胸に吊ったホルスターからクイックガン。男の胸に銀の弾を撃ち込んだ。男は信じられないといった表情で倒れた。ジュッと青い粘液となって溶けていく。わたしはこれを試したかったのだ。伝説どおり銀の弾丸の効果はあった!! 

 厚木の基地から密かに持ち帰った拳銃がいまごろになって役にたった。だがほんとうにいまごろなのか。わたしは故郷のこの町で恋人ができた。カミサンがいる。玲加が助っ人に駆けつけている。

 すべてこれらは、植えつけられた、いつわりの記憶のような気がしてきた。拳銃は艶やかな光沢をはなっている。使い慣れた感じだ。誰が手入れしていたというのか。わたしはカミサンのたちの後を追いかけた。

「クラスメイトだったのよ」

 玲加が人狼に噛まれた女子高生にとりすがって泣いていた。ただ悲しみのためにだけで泣いているのではなかった。とりみだしてわれを忘れて泣いている。犠牲者は着衣の乱れはほとんどなかった。ガバッとone bite。ひと噛みされたのだ。

「転校生のわたしにやさしくしてくれたの。今日だって、わたしがおばさまたちのところへ駆けつけるとき声をかけてくれた美菜が……こんな、こんなの信じられない」

 なんとかならないの、とすがりつく玲加をだきしめながらカミサンがやさしく諭している。

「そこが人狼の怖いとこなのよ。いちど噛まれたらもう助かってもメタモルフォーゼ(獣化現象)からは逃れられないの。人狼――吸血鬼になってしまうの。欅坂もAKB48も、ロリータのファッションも関係ないからね。女の子らしい生き方はできなくなるの。そうなったら死んだほうがよかったということになるの。じぶんからこんどは見境なく人を襲いだすのよ。人狼のことはひととおり勉強してきたでしょう。人狼も吸血鬼と同じよ。双頭の獣。どちらの形でも採れるの」

 玲加は力なくうなずく。はっと橋の上をみあげた。駆けだそうとする。

「美菜さんのカタキはうちの学が討ったわ。いまごろは溶解して、青い跡がのこっているだけよ」

 カミサンは硝煙の臭いをかぎとっていた。わたしが銀のbulletを使ったことさえ察知している。そういうことだ。わたしが厚木で訓練をうけた傭兵だった過去は話してある。

 カミサンは強烈なマインド・エネルギー照射している。激しい怒りのため作動したそのエネルギーが川面を波立たせていた。

「アイツラが動きだしていたのよ。父の予知は正しかった。もう怨念の戦いははじまっていたの。こちらか仕掛けることはない。むこうで先手をうってきたのよ」

 カミサンは九尾族滅亡の伝説のある犬飼地区にあるモロ山の方角をキットにらんでいる。


「学、たいへんだよ。美菜が学校にきている。どうしょう……」

「いま、とミイマとかわるから」

 三人でブラックバンパイアと遭遇し、二度にわたって戦った後なので、きゅうに敬称ぬきになった。もっとも、玲加だって実年齢は何歳なのかわからない。わたしよりも、はるかに年うえだったりして。学とよびかけるのは、親愛感。しかし、ほんとうにわ彼女たちはそんな年なのだろうか。千年を閲するという、ミイマを妻として生きているので時系列があやふやとなっている。平安時代の阿倍清明のころからの変異がいまここに現れたりする。彼女たちにとっては、すべてが現在なのだろうか……?

 吸血鬼の存在をすなおに認めているわたしには、すべての事象が時間と空間を超越した「多次元同時存在」であるとがわかってきた。この世にあるものは、瞬時にきえていく。現在などという時間をあまり信じないほうがいいのだ。あるのは脳内に蓄積された記憶だけだ。わたしたちの周りにあるものは、あまりに移ろいやすい。

「仮に死んでいたのね。仮死の状態で埋葬された死人? その話から吸血鬼伝説は誕生したの。あれよ。お友達の美菜さんは、復活したのよ。玲加。油断しないで」

 油断しないでと忠告しただけではこころもとない。わたしたちは、学校にいそぐことにした。こうなると銀の弾丸で倒したBVはともかく、またあの老婆は現れるかもしれない。そして玲加の身が心配になった。


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