第七話の6
6
『那須野が原狐狩絵巻』
洞窟を模した部屋の壁。その箇所だけにプラスチックパネルのような絵が掛っている。和紙に画いた絵巻にプラスチックのおおいをかけたのか?
どうやら、鏝絵、フレスコ画らしい。
内装をするときに同時に画きあげたのだろう。
画題は古い。絵は新しい。
部屋そのものが戦慄していた。大量殺戮だ。ホロコーストだ。
戦場のときの声がする。
死臭まで漂ってきた。
るいるいと色白の死体があちこちに倒れている。
重なる死体の、その中央に。白人金髪の美女が無念の形相で宙空を見上げている。体には矢がつきたっている。
「玉藻の前、わたしたちのご先祖様。白面金毛とはこういうことだったのよ。九尾の狐とはアレゴリーなのよ」
と美麻が思いつめたように解説する。玉藻の体からは血しぶきとも、オーラともとれる線条のものが九本とびちっていた。
天使の羽根のようにも見える。
断末魔の苦しみ。
玉藻は天の薔薇園にもどろうとしている。美麻にはそう見えた。
そして、玉藻の襟足に一匹の蠅がとまっていた。死体の腐臭につられて蝿かよってきたのか?
いやちがうだろう。
美麻は神代寺の父に教えてもらっていた。神の庭園の薔薇の棘に蝿が止まっていた。それをつまもうとして、排除しようとして誤って棘をさした。
傷口に蝿に卵でもうえつけられて蛆がわいたらたいへんだ。
あわてて傷を吸い唾を吐いて自己治療をした。
それを血を吸っていた。と神にチクッタものがいた。それがベルゼブブだ。
拍手がわいた。
「ああ、よくできました。さすがです。九尾族の中にあっても記憶力の天才。古代史通といわれる美麻です」
ベルゼブブが部屋の中央に出現した。
人の形はしている。だが、全身に蛆と蝿がわいている。ベゼルブブがはなすたびに全身にたかっている蝿がいまにも飛びたつように翅をふるわせる。
「なぜなの? いつの時代でもわしたちの邪魔をする。どうして」
「かんたんじゃない。嫉妬よ。いつの時代でも美しいものはもてはやされる。わたしたち醜いものはうとまれる」
「嫉妬で、こんなひどいことをしてきたの。人狼と九尾族をあらそわせ、憎しみの情を煽りたてた。」
「ひとに、食う喜びをおしえてあげた」
「ちがうでしょう。ひとを食い物にするために餌をあたえているのでしょうが」
「きつい指摘。いたみいる」
「もう、この土地のひとを食い物にして、堕落させるのはやめてください」
玲加が美麻 の影で念を放射している。ベゼルブブにはその気配を察知されないように。かすかな念波をあびせている。蝿の羽音がうるさい。蛆が蠢く。
「もうこんなことはよしにしましょう」
「そうはいかないね。あんたらここから帰れないよ」
みよ。洞窟の奥から穴居人と見まがう知能の低下した人の群れがあらわれた。そのなかには、さきほど美麻たちの前進を阻んだものも交じっている。
「やっちまいな」
「やめて。わたしたちは……あなたたちの敵ではないのよ。こんな生活つづけていたら、ますます知性が鈍磨する。目を覚まして。働いて。仕事をして」
どんどんどんと地響きをたてて襲ってくる。野球のバットを手にしている。
「野犬狩りだ。キツネ狩りだ」
彼らには、そう見えるのだろう。
それは金髪白人の美女を白面金毛の狐と、玉藻の前を狐とおもわせたベルゼブブのイルージョンを見せるトリックだ。
「学! いいわよ」
やっと学の出番が来た。ベルゼブブに向かって炎を放射する。
グワーンという炎の波がベルゼブブの全身をおおう。
それと同時に四方の壁がべろんと溶けだす。
「何だこれ! 発泡スチロール製か」
熱には弱い。
岩に模した壁が溶けるとただのコンクリートにかこまれた無愛想な部屋だ。
ベルゼブブは蝿と蛆の衣を脱ぎ捨てた。後ろの天井にとびついた。
「あっ! ヤッパ……」
武が大声をあげた。
「オババだ」
ノボルの叫びが重なる。
「なんてことだ」
学もおどろく。
美麻は予感していたのか。あまり動揺していない。
「わたしたち九尾族を見張り、ずっと邪魔ばかりしていたのは犬飼のオババ、あなたでしたか。では……ほんもののベルゼブブはどこにいるの」
「あのおかたが、こんなちっぽけな町を相手にする訳なかんべな」
「オババ。わたしの、武とわたしの結婚を祝福してください」
とつぜん、玲加が叫び上げた。
天井を逆さになったまま移動していた。
オババが止まった。
あまりに場違いな発言だ。その場にいるみんながこけた。
いっせいに玲加の顔をみる。めずらしいものを見る目だ。
いまどき、こんな発言をする娘がいたとは……。いまは、敵。敵となったオババにふたりの結婚を祝ってもらいたい。そう頼んでいる。
「わたしは、犬飼部落のひとたちにも、みんなに、武との結婚を許してもらいたいの。わたしたち九尾族と人狼はいがみあってきた。美麻 はこの土地とここに住むひとが、平和に暮らせるように学と尽くしてきた。わたしたちが結婚すれば、もう争いあうこともなくなる」
「やだね。ひとが争う。戦う。殺しあう。それで死体ができる。蛆がわく。蝿になる。蛆の大盛り丼はわたし好物だっぺな」
「だったら……。わたしに蛆をうみつけて。わたしから食べて」
「ヤメロ。 玲加もういいから。なにもいうな」
「武。逆らってごめん。でも、オババにわたしの本気を見てもらいたいの。わたしは武をすきになったときから、命かけているから。わたしたちがなんの邪魔もなしに一緒になれるなんて思っていなかったから」
「もういい。玲加もういいから。だまっていろ。オババにはおれたちの気持ちはつたわらないから……」
「オババ。オババ。おねがい。わたし、タケシを愛しています。好きです。一緒になれるのだったら、結婚できるのだったら、三日目に殺されてもいい。式がすんだら、すぐに蛆にされてもいい。わたしたちの結婚を許してください。祝福してください」
「やだね。やだといったら、やだっぺな」
「オババ。頼む。おれたちも、頼む。おれたち部落の若者全員がここにいる。オババ。頼む」
ノボルがガバッと床にひれふした。仲間のみんなが、ノボルに真似た。
「オババ」
「オババ。オババ」
「やだね」
だがオババのしわだらけの顔は猛々しくはならなかった。反対だった。やさしいものになっていく。ところがそのときから体に変化があらわれた。ぽろっと始めは足の指が蛆になって落ちてきた。
「オババ! どうした? どうしたのだ」
武がいちはやく気づいた。
美麻にはわかった。オババのこころが傾いている。武たちの言葉に揺れている。
「やだってばよ。いやだ。なんていわれてもいやだ。やだっぺな」
那須野の原を駆け巡っていた足だ。那須野大地にしっかりと足をふまえて生きてきた人狼の女長だ。その両足が蛆となってとけた。さすがに両手だけで天井に張り付いているのはムリだ。どさっと床に落ちた。さらに変化がはやくなった。わあっと蛆がからだをおおった。いや体のなかから蛆がわいて出た。体が内側からとけていく。
「わっちは、化沼のこのテンプルをまかされていただけ……」
それが最後の言葉となった。体が蛆の山となる。
美麻が手をあわせている。
犬飼のオババの顔がどろりととけた。武を見る目が、部落の若者を見る目が、かぎりなくやさしかった。
「あなたの悔しさは、わたしがうけとったからね。オババ。あなたはここを守ろうと、このテンプルを守ろうと必死だった。そのために、わたしたちとも争った。ひとをベルゼブブの配下にした」
「そうだ。わるいのはオババじゃない。オババをだましたものがいる。それは……奈良にいる」
「さあ、みんなじぶんの姿を見て。もとにもどっている」
美麻が回りのひとたちに声をかけた。妖蛆の呪いは解けていた。かれらは蛆となっては溶けなかった。もとのスリムなからだになっていた。
「オババは、最後のさいごには、やさしいこころをとりもどして死んでいった。おれたちの敵はオババをながいことあやつってきたベルゼブブだ。そいつは奈良の都にいる。おれたち地方のものをくいものにするのは中央だ。敵は奈良にいたのだ。むかしも今も、中央のものが地方を食い散らかしている」
武の声にはかぎりない別れの悲哀がこめられていた。
「オババ。ありがとう。おれたちの結婚を許してくれた。それはベルゼブブに逆らうことだった。それでも許してくれたのだ」
口ではお終いまで悪態をついていた。
でもオババは玲加と武の結婚を祝福してくれた。
「ありがとう、オババ。わたし武のこと愛している。この化沼で結婚して、子どもを育てる。そして、オババのことは語り継ぐから。オババがわたしと武の結婚をゆるしてくれたから、おまえたちがいるのだと……」
語り継ぐなどというところが、まさに歴女。歴史好きの玲加らしい。
「あんなに争いあってきたのに、さびしくなるわ。あんなに憎んでいたのに、いまは名残惜しいわ。これで、また新しい伝説が生まれるのね。武と玲加、あとはたのむわね」
「美麻はどうするの?」
「すべては玲加にゆずるから。わたしはやはり、神代寺に学ともどる。あなた、 一緒にいってくれるわよね」
美麻と玲加が学を見つめる。
いつかは、こういう日がくる。カミサンとの別れ。彼女はわたしから離れていく。バンパイアである彼女には老いはない。いや天使、天国の薔薇園の世話をしていたものには、老いはない。
わたしは薔薇の棘に刺されて死ねばいいのだ。薔薇を愛しすぎたリルケのように。美麻を好きになったときから、そうおもってきた。
でなかったら、もうひとつの選択肢。美麻のone biteをうけいれればいいのだ。わたしは九尾族のお姫様と結婚したのだ。
「あなた、一緒にきてくれるわよね」
という美麻の言葉に学よりも玲加がおどろいた。
強い興味をしめした。
玲加には美麻のいっていることがわかった。
わかりすぎるほどわかった。
学はどうへんじするのかしら。
そういう顔でこちらをみつめている。
わたしには、その覚悟は美麻を愛したときからできている。
いつか遠い未来の記憶のなかでふたりは同じ棺桶のなかで休眠しているかもしれない。そんなことをよくかんがえたものだ。
「いつでも、どこでも、一緒だ」
わたしはへんじをしていた。
「ありがとう。あなた。愛している」
アルブレヒト・デューラーのローゼンクランツフェスト(薔薇冠祝祭図)の聖母マリアの膝の上に描かれていたという蝿。
わたしは観たことがないからわからない。
でも聖母子像にはよく蝿がいる。
美しいものをひきたたせるために醜い蝿がいるのか。
悪魔といわれる蝿がつねに祝福されたものを呪ってそこにいるのか?
わたしたちはふたりでこれからも蝿の王と対決する。
そして日本の蝿の王は遷都1300を来年祝う奈良にいる。
シルクロードの終着点。
正倉院あたりに隠れ住んでいるにちがいない。
戦いはまだ始まったばかりだ。
完
JINROH武とMV玲加のFIRST LOVE 麻屋与志夫 @onime_001
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