第4話 襲われる神代薔薇園の1

4 襲われる神代薔薇園


1


 麻生学と美麻のカップル、そして玲加が五月の薔薇の香りを胸いっぱいに吸いこんでいた。でも驚いてはいけない。あたりには誰もいない。化沼の麻生家の薔薇園では……? ない。ここは神代薔薇園。

 黎明の時。開園までにはまだだいぶ時間がある。

「なにか起きるっていうの」

 玲加がまだ信じられない声で学に問いただす。学はなにを血迷っているのかしら?


「イメージがあった。薔薇園が襲われていた。わが家の薔薇園よりずっと広かった」

 それは数時間前のセリフだ。

「そして、わたしがしっている薔薇園といえばここしかない」

 これがいまの玲加の質問への回答だった。

 ただそれだけの理由で夜を徹して高速で調布まできたのだ。クリッパーのタイヤが burnout( バーンアウト)してしまうのではないかと心配なほどとばしてきた。

 コンクリートの天井に現れた3Dの古戦場、阿鼻叫喚の戦いを見た後なのでまだ混乱しているのではないかしら。玲加テキにはそう思っている。死人の泣く声を聞いた。恨みの叫びを聞いた。凄惨な敗北の戦場だった。その怨念が美麻のDNAに引継がれているというのがよくわかった。そのあまりの悲しさ悔しさの現場を見て、感じとったので学までおかしくなってしまったのではないか。

「神代薔薇園がアブナイ」

 ただそれだけの説明でわたしは美麻を同乗させここまでやってきたのだ。

 五月の薫風が凪いだ。バラの花影がふいに色を失った。バイクが騒音をあげてバラ園の裏側の林から現れた。ラバーマスクは人狼のものだ。でも玲加はしっている。あれはマスクなんかじゃない。ひきはがすことはできない。彼らは人狼そのものなのだから!!

 玲加は美麻に習ってリルケのバラの鞭をかまえた。麻生家のバラ園から持参したものだ。美麻が丹精込めて育てている真紅の薔薇、元の名前がわからなくなった。美麻がリルケのバラと呼ぶ真紅の薔薇を咲かせている。

 人狼はチェーンをジャラジャラさせて襲ってくる。チェーンが舗道との接面で火花を散らしている。真紅のバラの鞭は金属のチェーンに勝てるのか。


 青墨色の夜空に黎明の光が現れた。やがて爽やかな皐月の朝風が薔薇の花をそよがせて吹きすぎていった。予測したよりはやく神代薔薇園についた。

「イメージがあった……」

 学は玲加にいった。その言葉には、彼の万感の思いがこめられていることを玲加はしらない。

 美麻は過去を見ていた。過去に支配されていた。過去の人狼に対する九尾族の恨みに支配されていた。

 学は未来を見ていた。未来を推測することで現在の行動のありかたをきめる。これは学の家系が「麻屋」を家業としてきたことによるらしい。相場の変動の激しい商売だった。朝と夜では「麻」の値段が変わることすらあった。

 先の相場を読む。株屋のような商売だった。その判断のいかんによって利益はおおきく変わった。だからこそ先のことばかりかんがえる。

 そして、これから先のことがイメージとして現れる。それを読み取る能力が培われている。

 イメージは夢の形をしていた。

 そして「薔薇園が襲われていた」夢をみたのだった。

 わが家の薔薇園よりずっと広かった。そして、学の知っている薔薇園といえば、ここしかなかった。クリッパーで東北道をとばして南下した。

 そして、いま、学と美麻と玲加は夜明けの神代薔薇園に立っていた。

 初めはバイクのひびきたった。薔薇園の裏の林から唐突にバイクの集団が現れた。玲加はバラの鞭をかまえた。そして、この戦いが始まったのだ。


「おまえが、玲加か……? なるほど、知性美がある」

「近ごろあまりきかない誉め言葉ね。でもありがとう。これはどうしたことなの」

「大麻ファクトリがつぶされたのでな。化沼にいることができなくなった。われら一族奈良にもどろうかとおもってな」

「あんたはだれなの??? 武はどうしたの」

「弟は化沼にノコしてきた。おれは章夫」

「その章夫さんがなんのごようかしら」

「なるほど。物おじしない娘だ」

「われわれわな、九尾の狐を滅ぼしても都のものは約束した恩賞を果たしてくれなかった。いらい犬飼の地で百姓をして生きてきた。麻の栽培をして暮らしをたててきた。麻の繊維は合成繊維の発明で不要のものとなったが、麻の葉が乾燥大麻として売れることに気づいたのさ。それを潰されたのだ」

「それでこんどはわたしたちを恨むという訳なの」

 返事はなかった。いやあった。人狼のバイクがバラ園の方角に走りだした。

「させるか」学はバイクに向かって発砲した。

 美麻がバラ園にむかう林の中の細い道に立ちふさがっている。バラの鞭が人狼の首にむかって生き物のように伸びる。

 学は美麻のところに駈けつけた。バイクがエンジン音をとどろかせて迫ってくる。バイクの車輪をねらって拳銃を撃ちまくる。どうして人狼と九尾族、こうも憎み合うのだ。わたしには人狼を狙っては撃てない。銀の弾をうちこんで人狼を消滅させたときの感覚がよみがえる。あんなことは二度と経験したくはない。なんて……わたしは甘いのだ。いまこうして、カミサンの親父さんの薔薇園が襲撃されているというのに。

 バイクが美麻の鞭をかいくぐって薔薇園に向かっている。

「だめ。止めてぇ」

「あんたらの精気は薔薇から吸いとっている。バラを壊滅させればあんたらはただのひとだ」

「あなた!! あのバイク撃って!!!」

 バイクの後輪を狙った。バイクはさらに激走していく。このとき、バイクの前方に鉄格子のようにツラ薔薇のヘンスが現れた。ヘンスがバラ園へのバイクの侵入を止めた。

「美智子。来ていたのか」

 義父が仲間をつれて現れた。

「正門からの襲撃班と戦っていたのでな」

 バイクが棘だらけのヘンスに激突した。人狼がバラの棘にからみつかれた。苦痛に吠えている。

「ツルバラのヘンスを可動式にしておいてよかった」

 園長が娘、美麻にほほえむ。この人狼の襲撃を予知していたというのか? 

 薔薇園への侵入をヘンスで止められた。くやしい。薔薇の花園を乱す。壊滅的状況に追い込んでやる。昔日の恨みをはらすなどといえないようにしてやる。バイクの車輪でふみにじってやる。九尾族の精気の元を断ってやる。それを薔薇のヘンスで止められた。くやしがって、人狼は唸りながらヘンスにとりつく。

 棘に刺されながらもはいのぼうとする人狼がいる。腕にゾワゾワと灰色の剛毛がのびる。背骨が歪曲する。狭まって人狼のそれとなる。ああ、犬飼villageの村人は奈良から流浪する道程でみずからを獣化することを可能としいたのだ。飼っていた犬で九尾族を那須野が原の果て、茶臼岳の麓まで追いつめたのではなかった。かれらが狼になった。そしていまも……。

「もういいではないか」

 おもわず学は叫んでいた。

「もうじゅうぶんニクシミ合った。もういい。もうやめるんだ」

 それでも人狼の発毛は止められない。

 美麻が学の叫びに反応した。驚いて父とならんでふり返る。とても信じられない、といった顔だ。夫がわたしの生涯かけた復讐に異を唱えている。信じられない。夫の芸術、文学への情熱を吸って細々と生きてきたわたしに批判的になっている。信じられない。

「もういいではないか」

 おもわず学は叫んでいた。

「もうじゅうぶんニクシミ合った。もういい。もうやめるんだ」

 ふいに叫んでいた。想定外の言葉だった。

 あまりにも激しい凶念を感じて学は思わず叫んでいた。

 それでも敵の狼への獣化は止められなかった。

 手の甲にまでザワット灰色の剛毛が生えてきた。

 昼間なのに目は緑色に光る。

 そして肉食獣の獰猛な光をおびて襲いかかってくる。

 薔薇を愛し、美しいものを愛する九尾族の女たちも、わずかな数の男もバラの鞭で対抗する。バラの茎でできているから「硬鞭」ではない。だが茎を何本も合わせているので硬度はかなりのものだ。なによりも「美しい」薔薇を咲かせる茎だから打たれたものは暴力をふるえなくなる。心が浄化されるのだ。兇暴な精神にダメージを与えることができる。敵を殺めることなく戦意を喪失させることが可能なのだ。

 鞭がヒュウっと風を切る音がひびいてくる。人狼の咆哮が鞭の音に呼応する。人狼は体を獣と化すことによって戦う能力をアップしていく。

 美麻の動きがおかしい。振るう鞭に精彩がない。

「どうした。どうしたのだ」

「なんだか力がはいらないの」


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