第4話の3
3
「玲加がいない」
美麻がふいにきづいた。なにか体に力がはいらない。玲加がすぐそばで戦っていると思いこんでいた。玲加のことを考えてあげられないでいた。その余裕をなくしていた。
「おとうさん。玲加がいない……? 玲加はどこ?? どこなの???」
「わたしは始めから玲加をみていない。玲加も一緒にきていたのか」
美麻は寒気に襲われた。分断されていた。人狼のバラ園への侵入を阻止することばかりかんがえていた。玲加と引き離されていたことにきづいていなかったのだ。
人狼のすさまじい悪意にとりかこまれて玲加の存在に気配りができなかった。
すさまじい妖気と邪気の集団を前にしていた。必死で戦っていた。戦いぬいていた。
この人狼の群れに、美しいバラ園を荒らされることを恐れていた。
すさまじい凶念をあびてバラが枯れるのではないか、わたしたちが生きる糧でもあるバラが凋んでしまうのではないか、そのことばかり心配していた。美麻は意識の波を周囲にとばした。意識の隅に玲加の悲鳴が流れ込んできた。
「林の奥よ」
叫んだときには美麻は走りだしていた。
林が忽然と消えていた。草原になっている。草いきれがする。那須野が原だ。青い草の海に陽炎が立っている。あのときと同じだ。もう玉藻さまは、いや玲加は食いちぎられてしまったのかもしれない。あまりに静かだ。陽炎の中で美麻は過去の記憶をよみがえらせていた。過去の悲惨な記憶に支配されていた。わたしたちの駈けつけるのが今少し早ければ。もつと速く走ることが出来ていければ……。玉藻さまは死なずに済んだ。歴史はかわっていた。その時歴史は玉藻さまの死をきめてしまった。そして今、21世紀。玲加の死を酷くも刻印するのか。玲加! 玲加!! 玲加!!「負けないで。直ぐいくから。戦って」
人狼のアギトがグワッと眼の前にせまった。
もう鞭が振るえない。腕がしびれていた。
鞭をとりおとした。玲加は腕をつきだした。ノドへの攻撃さえ守ればまだいきられる。ノドを噛みちぎられたら‼ 死ぬ。もうダメだぁ。突きだした両腕がはらわれた。よこからだれかとびこんできた。その背中は‼
「彼女になにをする‼ 玲加、逃げるんだ」
声は武のものだった。
「オレノのクラスメイトを襲うな」
「武。なにしてるの」
「おれ、玲加のオッカケだから」
「ゲッ。ストーカー?? ……なの」
「なにイチャツイテいる。章夫さんの弟だからってジャマすれば噛むぞ」
「玲加‼ ブジダッタ」
たすかった。美麻も助けにきてくれた。助かった。その思いだけで、玲加は声もだせなかった。目の前が暗くなった。
「わたしのときと似ている。九尾族の女が人間と結婚してうまくいくはずがない。だいいちヒトは歳をとる。わたしたちは歳をとらない。いや非常にゆっくりとだが歳はとる。昔の記憶に支配されている。話が合わないだろう……反対だ。麻生学との結婚には反対だ。それでもわたしは学と結ばれることを選んだ」
学の声が目覚めかけた玲加の耳に聞こえてきた。
「玲加がこの犬飼武を愛しているかどうか、まだなにも聞いていない」
武がつかまっているらしい。武の匂いがする。武の息遣いがすぐそばでする。
「愛しています。わたしぃ……武と交際してみる。交際させてください」
玲加は夢うつつで声にだしていた。
武がゆっくりと息をはきだした。玲加は目を開いた。
「わたし武のこと好きみたい」
玲加を見下ろしていた美麻がほほえんでいる。
「わたしどうなっているの」
「武さんが助けてくれなかったら、人狼の過激派に喉笛くいちぎられていた」
そうだ。武がふいに現れてわたしをつきとばした。わたしはそれで助かったのだ。武は、腕から血を流していた。
「ありがとう。武。でも、どうして??? 助けてくれたの」
「わからない。玲加がかみ殺されそうなので。助けなければと思ったら体が動いていた。夢中で体が動いていた」
「ありがとう」
犬飼の過激派は武の兄章夫に先導されて、奈良に向かったらしい。奈良の地になにがあるというのだ。奈良の地でなにをしようとしているのだ。
「ぼくにも、わからない」
玲加と武は薔薇園を歩いていた。遥、はるかむかし、わたしたちは天使だった。天国の神の庭園でバラの世話をしていた。まだ人狼とバンパイァというように枝分かれしていなかった。ある日バラの棘で指を傷つけられたわたしたちの始祖が、うっとりと血を啜っているのを神に見咎められた。天国を追われて、堕天使となった。
「それいらいの歴史を変えてみないか。ぼくらが愛し合えばなにか変わるかもしれない。人狼と吸血鬼のあいだの争いに終止符を打つことになるかもしれない」
玲加は武の腕をとって顔をすりよせた。それが玲加の応えだった。歴女が歴史を変えたからといって、だれも批判することはないだろう。
「武のこと好きだよ」
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