第6話の2

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 クリンセンターの上空はごみ処理の焼却炉からふきあがる煙突の煙が渦を巻いている。いや、あれは焼却炉からの煙などではない。

 もっとほかのものだ。シュールな現象だ。化沼高校に近づく。妖気はますます強くなる。上空ばかりではない。地面からも妖気が腫れもののようにふきでている。 クリンセンターと学校を結ぶ直線距離は500メートルとはない。妖気の地下脈が通底しているのだ。いやちがう。街中の側溝と下水がおかしい。美麻と散歩していて、よく側溝が臭うのが感じられた。それもストレートにいってフンの悪臭だ。

 この美しい街。前日光高原の自然に恵まれた、清流がながれ緑の山々に囲まれた街にはそぐわない臭いだ。

 糞の王。ふんからわきでる蝿の王。

 ベルゼブブが降臨していたのだ。

 なんとおろかなことだ。それともしらずに人狼を敵と九尾族は戦ってきた。九尾族といわれたころから。九尾の狐の化身といわれた玉藻がほろぼされてから千と数百年。争いつづけてきた。

 なんとおろかなことだ。玲加!!! まっていなさい。いまいく。よくぞ、武をすきになった。人狼との和解を成立させた。だから……だからほんとうの、真の意味での怨敵の姿があきらかになったのだ。

「まだ廊下。最後のひとりが逃げていった」

「キャンパスにでたのはしっぱいだった。外がみられるか」

 学から携帯にかかってきた。まだ蝿が廊下を飛び回っている。欄間の引き戸を開けた。教室にとびおりた。

「ドタッテ音がした。玲加何キロあるの」

 武が教室にはいってくる。教室には蝿は一匹もいない。逃走する生徒をさけて欄間や板壁にへばりついていたのがバカみたいだ。人狼ともあろうものが。武は壁にへばりついていた滑稽さを自戒しながら玲加をからかう。

 玲加は教室の窓から校庭をみおろす。校舎のなかよりもすごい。

 蝿の大群が生徒たちをおそっている。まるでトルネードが吹き荒れているようだ。みんなばたばた倒れていく。その姿だって黒い蝿の群れにさまたげられてはっきりとはみえない。

「どうしたらいいの。学どうする」

 校庭の向こうの日曜大工の店「K」には殺虫剤はいくらでもうっている。キンチョウールでもふきかけようか。といおうとしたが空気よめない、不謹慎なことばとおもわれそうだ。

「車を西門のほうにまわす」

「学ありがとう」

「ワンボックスできたのですか」

 武ものりこんできた。

「コンピューターがついてるからな。それに武器もある」 

「これを庭に敷き詰める」

「なに!? これなんですか学」

「化学の時間にみなかったか」

「ああ、理科の時間のこと」

「そうなるかな。硫黄なんだ。むかし、麻屋をやっていたころ麻を薫製して白く漂白するのに使っていた」

「これが……どうするの」

 玲加と学の会話をききながら武も古典的な紙製のセメント袋の中身を庭にぶちまけている。硫黄の塊が校庭を黄色にそめあげる。

「はやくしろ。みんな、あんなに苦しんでいる」

 玲加と武に硫黄を撒き散らす作業をまかせた。学はなんとアメリカ製の火炎放射器を背負ってくる。武器を持ってきたとはこのことだった。

 蝿の大群がバラ園のあるわが家をおそったと玲加から連絡があった。あのときすでに、このことを予測していた。

 学は厚木のキャンプにいたころの伝手を頼ってweapon shop(武器屋)からかきあっめてきたのだ。中古ではあるがバババット焔がでた。

「学!!! すごい。ゴーストバスターズみたい」

 放射された焔で硫黄がもえだした。その青い焔は蝿の大群にむかつてたちのぼっていく。蝿の黒雲に乱れが生じた。バサバサとかたまって蝿がおちてくる。

「噴霧器もあるでよ」

 学が古いふるい親父ギャグをとばす。こんどは園芸用の大きな噴霧器をせおってくる。

「武も玲加もまだ噴霧器はくるまにある。やってみたら」

 玲加は理解した。

「学。これって芭蕉だね」

 さすがは歴女玲加。奥の細道の殺生石のくだり。

『石の毒気いまだ滅びず、蜂・蝶のたぐひ、真砂の色の見えぬほど重なり死す。』を朗唱する。

 蝿もグランドの色が見えないほどうち重なって死骸となった。

 蝿も硫化水素や炭酸ガスにわよわいといったのは、学に知らせたのはカミサンだった。

 硫黄の青い焔は地獄に燃えるものという。まさにキャンパス地獄の様相をていしていた。大勢の生徒が耳を押さえて苦しんでいる。こんどは硫黄のけむりにむせている。そしてせき込みくるしむ。

「マスクをして。マスクよ」

 ここは花粉アレルギー発見の土地。なにしろ日光の杉並木がある。みんながマスクは常備している。

「テッシュで耳栓をするんだ」

 これまた玲加がすばやく理解。学とおなじことをいって空に殺虫剤を噴霧しながら生徒たちのなかにはしりこむ。

「飛ぶものは雲ばかりなり石の上 芭蕉の高弟中川乙由の門人麻父の作品よ」と美麻。

 大型パソコンの液晶画面に映った美麻がほほえんでいる。車の中で玲加は美麻に校庭の様子を実況報告している。神代寺の美麻はこの光景をライブでみている。

「おばさま、まさかまさかあの時代に生きていた……なんてことない……ですよね」

「さあ、どうかしら」

「美麻――。わたしより若いみたい。化沼高校に転校してきませんか」

「謎の転校生になって? それもわるくはないかもね……」

 校庭は蝿の山。どうやら蝿の攻撃も静まったようだ。

「美麻には過去に遡行する能力がある。わたしと結婚するときに目覚めた。この能力は過去のあらいる事件や、歴史を記憶している。美麻の家系の女にだけ引継がれる」

「それって、元祖歴女ってことね。わたしも結婚すれば歴史のことに興味をもつだけでなくて、なんでも思いだすってことなの。それって、すごいことだよね」

 玲加がキッチンからキリマンの芳香をはなつコーヒーをはこんでくる。武がまぶしそうに玲加をみつめている。

「とうぶんは武君もわたしたちと生活するといい。なかまもつれてきたほうがいいな。なにがおこるか、わからない」

「おきてるわ」

 玲加がテレビをゆびさす。液晶画面にはこの街のケーブルテレビが映っていた。蝿が大量に発生していると報じている。

 そして蝿が街の街頭。

 スウーパーの内部。

 民家の庭をとびまわっている。 

「どうしょうというのだ。なにをしようとしているのだ」

「美麻にきいてみる」

 玲加がパソコンを開く。

「はやくでて。美麻。おしえて。どうすればいいの」

 画面があかるくなった。美麻がほほえんでいる。

「こちらから連絡しょうとしてたの」


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