30 Day 4

 シートに腰を沈めて操縦桿を操作しながら、米空軍のパイロットのデイヴィス・ロメロ中尉は背筋が凍るような思いを感じていた。目の前に広がるのは日本の上空から見下ろした関東平野であった。もっとも、デイヴィスは機上の人ではない。今の彼は、遠く離れたアメリカ本土の基地にいるのだ。デイヴィスが操縦しているのは、遠隔操作の無人偵察機RQ-4、グローバルホークだった。目の前に設置されたモニターには、日本の上空から送られてくる映像がリアルタイムで表示されている。現地時間は午前9時。本来であれば多くの人々が平凡な一日を迎える朝であった。


 デイヴィスら米軍は新しい任務についていた、それは未曾有の大惨事になりつつある「ゾンビ災禍」の情報収集であった。すでにパニックの発生から3日経ち、世界の隅々までこの異常な災害の情報が駆け巡っていた。アメリカは日本に対する支援を行う事を表明しているが、その一方で、この「災禍」がアメリカへ上陸する事を恐れていた。それに対する精確な情報の収集が、政府が求める最優先の任務だった。

 事実、アメリカ国内ではちょっとしたパニックになりつつあった。終末の世界に備える人々――プレッパーと呼ばれる――はこぞって武器弾薬や食料を集め始め、ホラー映画の世界の出来事が現実となった事で混乱と不安が渦巻いていた。一方でこれらの災禍が宗教的なものであると支持するカルト教団や宗教団体が現れ始め、SNSやニュースメディアがデマや憶測、そして不安とパニックを加速させていた。

 すでに現地に向かったCIAや軍の部隊が活動を開始しており、彼ら米空軍は空からの監視、すなわち無人偵察機による緻密な偵察を行っていた。


「なんてこった……これは映画か?」

 後ろからモニターを監視しているデイヴィスの上官、サム・レヴィン大佐は恐怖と困惑と共に言葉を漏らした。この部屋の中にいる、モニターを注視している人間全員が同じような感情を共有していた。映画だとしたらハリウッドでも予算オーバーだ、とデイヴィスは心の中で呟いた。

 デイヴィスが操作するグローバルホークは、都心から離れた場所――埼玉県の上空を飛行している。住宅地が密集する都心のベッドタウンは、見るも変わり果てた姿となっていた。火事がいたる所で発生していたが消防隊が機能していないのか、火災は放置されるがまま延焼を続けている。火災を免れた場所に目を向けると、放置車両でいっぱいの車道には、よろよろと歩き回る感染者――ゾンビの姿が写っていた。それも、かなりの数であった。数えるのも諦めるほどの数のゾンビが、地上を闊歩している。時折、ゾンビが群がり人だかりになっている場所も見えたが、彼らの足元に流れ出る夥しい量の血が、何が起きてるかを鮮明に物語っていた。


 今、デイヴィスは操縦桿を握り安全な場所にいるが、もし自分がこの場所にいたかと思うとゾッとするような思いであった。まだ首都圏には避難が間に合わなかった同胞――在日アメリカ人や、在日米軍人も沢山残っていた。もし自分がその中の1人だったとしたら?と想像した所で、デイヴィスは雑念を振り払って任務に集中する事を決めた。

「そこの学校を写してくれ」

 レヴィン大佐の指示に従い、デイヴィスはカメラの視点を操作する。住宅地の真ん中にある、学校が目に見えた。ハイスクールと思しきその建物にカメラをフォーカスする。グラウンドには、大量のゾンビが蠢いていた。ゾンビたちは学校の玄関や、封鎖されている体育館の扉に群がり、一心不乱に手で叩いている。屋上には、感染していない人たちがその光景をじっと見ているようだった。だが、カメラをズームインしてから数分も経たずに、扉が破られ、ゾンビが波のように校舎の中へと入り込んだ。

 部屋の中にざわめきが起こり始める。

 たちまち、屋上へ人が集まり始める。子供を抱えた母親や、老人、負傷している人たちも混じっている。彼らの絶望に震える顔がモニターに映し出され、若い兵士がモニターを正視できずに顔を背けた。

 やがて、屋上にゾンビが現れ始める。棒切れやバット、鉄パイプ等のわずかな武器で応戦する人々が映し出されるが、多勢に無勢で徐々に駆逐され、ゾンビの餌に成り果てていく。

 幼子を抱えた若い母親が、屋上の淵へと向かう。子供を抱えながら、フェンスをよじ登り超えていく。3階の高さはあろうかと言うそこから、足を踏み出す。

「おい……やめろ……やめるんだ……」

 思わずデイヴィスの口から言葉が漏れる。しかし、デイヴィスの言葉が届く事はありえなかった。ただ、モニター越しに写る最後の瞬間に、感情が反応していた。

 親子は、そのまま地面に向かって落ちて行った。デイヴィスは反射的にカメラをズームアウトした。そこには、親子が落ちたであろう場所にゾンビが群がっていく遠景だけが写っていた。


 モニターを見ているパイロットや指揮官たちは、皆、アフガニスタンやイラクでの作戦経験を持つベテランであり、無人機を通じて様々な光景を目にしていた。対テロ作戦も経験し、テロリストの掃討――人が死ぬ瞬間を幾度となく目にしてきた。

 だが、目の前に広がっている光景はそれ以上に衝撃的な光景であった。

「……審判の時は来た」

 誰かが、ぽつりと言葉を漏らした。

 デイヴィスは、この災禍がアメリカへ飛び火しない事を祈るしかなかった。

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