35 Day 4

 関西国際空港。洋上に設置された人工島の空港は、アジアでも有数の大型空港であった。しかし、この長い滑走路を持つ大阪湾に浮かぶ人工島は、飛行機の離発着は行われていない。代わりに、そこは避難民で溢れていた。

 対岸に見える大阪の市街地はいつもの様相とは打って変わっていた。本来なら夜になれば夜景が見えるはずだったが、今では散発的に発生している火災や、停電で暗くなった地域、そして上空を飛び回るヘリコプターが見えているだけだった。


 アメリカの報道会社カメラマン、ジャクソンはかろうじて空港としての機能を維持しているこの場所に取り残されていた。日本支社で勤務して5年、一生に一度あるかどうかわからない特ダネをモノに出来ると張り切っていたジャクソンだったが、この状況を見て特ダネを持ち帰れるかどうか心配になっていた。

 空港の複合施設の屋上にいるジャクソンは、街灯に照らされた周囲の光景を見回していた。時刻は夜の10時近くを回っているが、至る所に人が溢れていた。

 とっくの昔にフライトは中止され、多くの機体と人がこの空港に足止めされていた。日本人のみならず、日本から脱出しようとしていた外国人も多くこの場所に留められている。パニックが起きた最初のころは空港警察が場を仕切っていたが、やがて事態が悪化すると大阪府警の部隊や、自衛隊も集結し要塞化されていった。

 幸いにも、水際で感染者の侵入は防がれていたが、数十万単位の人間が押し込まれている状態であり、食料も水も不足していた。多くの人々は着の身着のままの状態であり、満足なベッドもないまま床や椅子で寝て一晩を明かしている程であった。

 空港へ閉じ込められた人々は、海路で安全地帯である四国や九州などに移送される手はずとなっていたが、案の定、計画は上手く進まず、全員を脱出させるには至っていなかった。


 屋上で夜風に当たりながらも、ジャクソンは周囲の状況をカメラに収めようと、脇首から提げた愛用のカメラを手に取り、望遠レンズを取り付けた。

「どれどれ……」

 カメラのファインダーを覗き、関西国際空港の連絡橋へズームする。連絡橋には放置された車両や炎上した車両が点々と残っており、警察のバスや自衛隊の装甲車がバリケードを敷いていた。散発的に聞こえてくる銃声は、警官や自衛隊員が応戦する音であった。いまや大阪の市街地方面からやって来るのは歩く死者、ゾンビだけとなっていた。

 そして反対側、空港の滑走路付近を見る。

 滑走路には多くの機体が並んでいた。エアバス、ボーイングと言った旅客機がところ狭しと並べられているが、発着は行われていない。滑走路には自衛隊のヘリコプターが駐機されており、脱出のために避難民たちが列を作って待機しており、1時間ごとに離発着を繰り返して四国方面で飛び立っていた。


「ヘイ、ジャクソン」

 後ろから声をかけられる。ジャクソンが振り向くと、そこには黒人の男性が立っていた。

「やあ、ボブ。どうしたんだ」

 ボブ、とジャクソンが呼んだこの黒人男性はアメリカの海兵隊員だった。

 2日前、空港ロビーで荷物を盗まれて途方に暮れていた彼を助けた事が切欠で、この場所ではちょっとした顔なじみとなっていた。沖縄に駐留している海兵隊員だったが、観光のため本土に来ていた際に騒ぎに巻き込まれ、同じように足止めを食っている。仲間もいたが混乱ではぐれてしまい、途方に暮れていたが、今はジャクソンと行動を共にしていた。

「食い物もって来たぞ、ほら」

「ありがたいな、貰おうか」

 片手に下げたビニール袋を見せられた、腹の虫が鳴りつつあったジャクソンはすぐに返事をした。


 眼下に広がる空港の喧騒を眺めながら、2人は菓子パンと麦茶を頬張りながら世間話を続けていた。

「なあ、こんなホラー映画みたいな世界が実際起こるなんて、誰が想像した?まるでこいつは……悪夢みたいだ」

「ああ、確かに悪夢だな。俺が行ってたアフガニスタンが、まだマトモに思える」

 麦茶で喉を潤しながら、ジャクソンはボブの問いに答えた。

「決まり文句で「地獄が満杯になったら死者が地上に溢れる」なんて映画じゃ言ってたもんだが……元々オカルトの類は信じないつもりだったが、気が変わりそうだ」

「ウイルスか、未知の感染症か……宇宙人の仕業だって線もあったりしてな」

 ははは、とジャクソンは笑ってから、続けた。

「ニューヨークタイムズの連中がもう書いてるかもな」

 ボブも笑ってから、ため息を吐いた。

「国に帰りたいな」

「俺も同じさ。大量の写真を持ち帰らなきゃ」

 ジャクソンは、胸ポケットに入っている、写真データが詰まったSDカードを手で軽く叩きながら呟いた。

「……さっき、英語が通じる日本のサージャントから話を聞いてきたが、どうも明日から海兵隊が救難機を出すらしい。運が良ければ乗れるだろう」

「本当か?」

「本当さ。聞いた話じゃ、第7艦隊も動いているらしい」

 脱出の希望に、ジャクソンは思わずうれしくなったが、ボブの「運が良ければ」という言葉にどうも引っかかりを感じていた。

「それで「運が良ければ」ってのはどういう事なんだ」

「ああ、自衛隊も警察も弾薬が少なくなってきているらしい。予想以上に備蓄していた弾薬を浪費しているんだ。救難活動が本格化するまで、防衛線が持つのも怪しいそうだ」

 険しい顔を浮かべるボブを横目で見ながら、ジャクソンは再び連絡橋の方面を見た。遠目に移る橋の上では、自衛隊と警察がゾンビを銃撃して食い止めている。

「……いっそ、泳いで海でも渡るか?」

「ハハ、それもアリかもしれないな」

 2人は軽く笑いながら、なるべく最悪の結末だけは考えないでおこう、と考えた。

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