34 Day 4

 自転車を漕ぎながら、元フリーターの青年、藤崎は外の世界の変貌ぶりに驚いていた。彼が友人の三谷と共に用意したプラン――自転車を利用した安全地帯への待避――を実行に移し、2日ぶりに外へ出る事が出来た。

 パニックが始まる前、自宅に友人と一緒にこもり事態が収まるのを待っていた彼にとっては、このプランを取ったのは苦渋の決断であった。篭城2日目にして近所が停電に見舞われ、さらに水道もストップ。追い討ちをかけるように3軒隣で火事が発生していた。当然、ゾンビ災禍の渦中にある首都圏では消防も電力・水道会社も機能しておらず、篭城している自宅を捨てるという選択肢を取らざるを得なかったのだ。


 しかし、いざ外へ出ると惨状が広がっていた。

 ゾンビの数は増え、大通りには我が物顔で闊歩する大量のゾンビを見かけていたし、裏路地や細道はゾンビの数こそ少ないが移動するには危険を伴った。安全な場所など、どこにも無いようだった。

 目に入る商店という商店は略奪され荒れ果てており、車道には放置された自動車が何台も転がっていた。中には交通事故を起こしたまま放置されている車もあったし、乗り捨てられたパトカーすら見かけていた。

 ゾンビの数が多そうな場所――大きな国道や商業施設、避難場所となっている学校――を避けながら、藤崎と三谷は自転車を走らせて北上を目指していたが、ゾンビを避けていくうちに日が暮れ始めていた。アパートから数キロも離れていない場所で立ち往生していた2人は、安全にやり過ごせる場所を探そうとしていた。


「……そっちはどうだ?」

「どうかな……試してみる」

 友人の三谷を見張りにつかせながら、藤崎は手近な建物を探し、鍵が開いてないか調べてみた。しかし、探せど探せど、見つかるのは頑丈に鍵がかけられた家ばかりだった。中には木の板で塞がれている家すらあった。

「あっちはどうだ?」

 三谷が指差す方向には、庭付きの立派な一階建ての家があった。

 2人で近づき、中に人がいるかどうか確認してみる。カーテンは閉められているが、中から光が漏れている気配は無い。ガレージにはワゴン車が放置されており、不気味にもドアもトランクも開けっぱなしになっている。

「逃げ出した……んじゃないかな」

「中でゾンビになってるかもしれんぞ。どうする?」

 三谷の言葉に、藤崎は少し悩んでいた。


 日が暮れ始め、ゾンビの数も徐々に姿を増してきていた。すでに2人の近くには数体近いゾンビが徘徊しているが、2人には気がついていなかった。しかし、これ以上の捜索は危険であったし、早く避難できる場所を見つけなければならなかった。

「……リスクを取るか」

 藤崎は覚悟を決めた。


 家の前に立ち、玄関のドアノブに手をかけてみる。鍵は掛かってないのか、ドアノブは動き、玄関のドアはゆっくりと開いた。藤崎は片手にライトを持ち、もう片手に手斧の柄を握り締めた。その後ろでは、後方を警戒しながら三谷が周囲に気を配らせている。

「ごめんください」

 声を抑えながら藤崎は家の中に入る。何の変哲も無い、家の玄関口だった。人の気配は無い。藤崎は土足のまま、家の中に入り込んだ。間取りを確認しながら、慎重に家の中を歩いていく。

「玄関――は大丈夫だ」

「よし」

 藤崎の言葉を確認すると、後ろにいた三谷も中に入った。玄関の鍵はかけずに、そのままにしておく。いざとなったら素早く脱出するためだった。動きやすいよう、2人は背負っていたバックパックを下ろした。

 家の中には、異臭が立ち込めていた。その臭いは、ここ最近2人がずっと嗅ぎなれている臭い――死臭だった。

「当たりだ、中にいるかもしれん」

「わかった」

 2人は気を引き締めながら、部屋の中へと進んでいく。

 リビングルームは誰もいなかった。キッチンもそのまま、トイレにも人影は無かった。慎重に廊下を進みながら、2人は和室のドアを開けた。すぐさま、鼻につく腐臭が2人の顔を歪ませた。

「……何だ?」

 和室の中をライトで照らし、部屋の置くにある物を見て藤崎は息を呑んだ。

 それは介護ベッドだった。そのベッドの上には、人が転がっている。寝巻き姿の老人男性で、その顔に刻まれた皺から歳は80ほどだろうか。しかし、老人は動く気配が無かった。ベッドの布団や寝巻きは、どす黒い血がべっとりと張り付き、畳にまで垂れ落ちていた。その老人に覆いかぶさるように、老女が倒れていた。藤崎がライトで照らすと、2人の頭は何かで叩き割られており動かないようだった。目を見開いたまま死んでいる老女は、老人の腹を噛み破り、内臓を口に目いっぱい頬張ったまま息絶えていた。


「おい、こっちに来い」

 藤崎の後ろ、バスルームを調べていた三谷が声をあげた。ライトと斧を構えながら、藤崎はバスルームへと向かった。三谷は脱衣所の中で立ちすくしていた。バスルームの扉は開かれており、むっとした死臭が鼻を突いた。

「自殺してる」

 三谷がライトで示すと、血で満たされた浴槽に、服を着たまま浸かって死んでいる主婦の姿があった。そのバスルームの床には、血まみれの剃刀が落ちていた。

「……部屋はこれで全部か?」

「ああ」

 藤崎の言葉に答えながら、三谷はため息をはいた。

「安全そうだが……長居はしたくないな」

「我慢するしかないな」

 藤崎は観念したように呟いた。こうなったら、トイレに篭って一晩過ごした方がまだマシだと思えた。

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