40 Day 5

 怒号。悲鳴。泣き声。

 阿鼻叫喚の地獄絵図とはこの事を言うのだろうか、そう考えながら、アマチュアカメラマンの安住はシャッターを切り続けていた。安全地帯である九州側から取材のために望遠レンズでこの状況を撮影していた安住は、ときおり恐怖で震えそうになる手を止めるのに苦労していた。


 関門橋は本州と九州を結ぶ、交通の要所であった。しかし、関門海峡をまたぐその優雅な吊り橋は、壮絶な状態にあった。本州からの脱出を図る避難民たち――こと、陸路での脱出を果たそうとした者――はここで足止めを食らっていた。すでに四国とて九州が閉鎖状態にあり、防疫検査を受けていない者は受け入れ拒否となっていた。

 現在、下関側には大量の人々が足止めされており、橋の上にはバリケードがしかれ、下関側では防疫部隊が橋を通行しようとする避難民の検査を続けている状態であった。それでも、数日前の東北での封鎖作戦時に比べれば、幾分か流れはスムーズになっていた。

 中でも検査方法に進展があったのは大きかった。それこそ、噛み傷を探して対象者を全裸にして検査するような原始的な方式から、サーモグラフィーや瞳孔の確認、何より麻薬探知犬が感染者の嗅ぎわけに「効く」というのが厚生省によって確認されたのが一番の理由であった。しかし、それでも大量に押し寄せる避難民の処理は遅々として進んでいなかった。


「……これは酷い」

 思わず、声が出ていた。

 望遠レンズで覗いた先には、関門橋の下関側の様子が移っている。防疫部隊――化学防護服に身を包んだ自衛隊員や厚生省の職員が検査をしているものの、後ろに待機する人々は巨大なうねりとなっていた。その数は数千、数万人単位に上ると見られている。彼ら避難民の背後からは、ゾンビたちが確実に迫ってきているからだ。

 中には、関門海峡に飛び込み、無謀にも海を泳いで渡ろうとしていた者もいたし、どこから持ってきたのかゴムボートを漕ぎ出したり、漁船やプレジャーボートなどで無理やり渡ろうとした人々もいたが、それらは海上保安庁の巡視艇が追い払い、無理やり本州側へと引き返させていた。

 時折、銃声が聞こえていた。威嚇射撃か、それともこの雑踏の中で“成り果てて”しまった者に対する処置の銃声か、そこまではわからなかった。しかし、様子が徐々におかしくなり始めたのは明白だった。

 突如、雄たけびのような声が何十にも重なり、空気を震わせた。

「何だ!?」

 安住は、すぐさまカメラを動かしてファインダーを橋の方向へと定めた。バリケードを突破しようと、暴徒化した群集が走って押し寄せている様が見て取れた。それはまるで強い勢いを持つ濁流が、開け放たれた水門から放出されているような状態であった、自衛隊員や警察たちもパニックに陥っていた。

 そして、銃声が鳴り響いた。自衛隊員や警察が、暴徒化した民衆に向けて発砲を開始した。威嚇射撃ではなく、銃口を水平にした制圧射撃であった。機動隊員が、催涙ガス弾を発砲する。先頭を走っていた何十人かが倒れたが、それを物ともせず暴徒化した避難民は安全地帯目掛けて押し寄せている。自衛隊員や警察が、一目散に九州側へ向けて撤退を始める。装甲車や戦車が後退を開始し、そして――

 橋が、真ん中から大爆発を起こした。


「ああっ!」

 叫びながらも、安住は反射的にシャッターを切り続けた。

 爆炎と煙を上げながら、その吊り橋は真ん中から崩壊した。ワイヤーが千切れ、橋桁がぼろぼろと崩れ落ちて海中に水柱を上げて没した。まるで砂をこぼすかのように、人が、橋から海中にぱらぱらと落ちていった。

「やりやがった……」

 唖然とした声を上げながら、安住はシャッターを切り続けた。

 それは、政府による無慈悲な決断が下された瞬間であった。

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死者たちの列島 電源 @acdcman

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