23 Day 3

 ――くそったれだ。全部くそったれだ。

 どす黒い隈を目に浮かばせたままブラックコーヒーを啜り、テレビ局プロデューサーの大塚は何度吐いたか判らない呪いの言葉を口にした。この局に勤め始めて15年、報道番組で活躍している敏腕プロデューサーの大塚にとっては様々な事件があった、自然災害、凶悪事件、政治、芸能……視聴率のために多くの事件を扱ったが、今回ばかりは想定外としか言いようがなかった。


「ゾンビ、か」

 忌々しく、吐き捨てるように呟く。

 彼の座るデスクの周囲には、人が殆どおらず、誰も彼の言葉に耳を貸そうとはしなかった。もはや、局に残っているのは仕事にすべてを捧げている仕事中毒か、プロフェッショナルの矜持に取り付かれた狂信的なテレビマンか、または単純に逃げ出すのに遅れた哀れな連中だけだった。

「2階のフロアに“奴ら”が上ってきてるぞ!バリケードを作れ!」

 部屋に飛び込んできた社員が叫ぶと、部屋に居た社員やディレクターたちが急いで部屋から飛び出していく。


 東京湾の埋立地に聳える、独特な展望台があるテレビ局は安全だと誰もが思っていたし、大塚自身もそう思っていた。しかし事態が悪化するに連れて、少なくとも都内には安全な場所など無いのだと皆が思い知らされていた。昨日から増え続けたゾンビが、テレビ局の前をうろつき始めた時には誰もが驚いていた。

 しかし、今朝は昨日の倍以上のゾンビがうろついていた。目立つ建物だからか、それともゾンビは電波か派手なものにも反応するのか、理由はわからないが、1階はゾンビの侵入を許してしまった。民間の警備員では、到底太刀打ちできる相手でもなく、瞬く間に感染が局内にも広がっていた。

 「落城」までは時間の問題だった。


 大塚はコーヒーをすべて飲み干すと、重い腰を上げた。部屋の一角には、局のチャンネルで固定されている大きなモニターが設置されていた。そこには、昨日から続けて放送されている緊急ニュース番組が生放送されていた。

 慌しい報道フロアを背景に、アナウンサーが疲労の色を必死に隠しながら、放送を続けている様が見て取れた。


『……現在、東洋テレビの社屋内にも感染者の侵入が続いており、えー、予断を許さない状況となっています。この放送を最後に、我々も最上階へ避難する予定となっています。現在、映っているのは本社固定カメラの映像です、えー……』

 滑稽だ、と大塚はモニターを見てせせら笑った。報道部に配属され、ジャーナリズムに燃えていた若かれし頃の自分を思い出しながら、大塚はこの結末を見て自嘲気味に笑った。今まで自分のしでかした事を思い出しながら、ゾンビに食われて死ぬ結末になった事を呪いたくもなった。


 大塚は部屋を出て、階段を上り続けた。屋上はすでに開放されており、避難してきた社員たちの姿も多く見られた。ヘリポートには、ご丁寧にどこから持ってきたのか、発炎筒を焚いて頭上を飛ぶヘリに合図を送っている者までいたが、無情にも多くのヘリはそれを無視していたか、気が付いていなかった。

 屋上の淵まで向かうと、大塚はあたりを見回した。黒煙を上げる都会を見回し、そしてゾンビがうごめき人間を食らう、地上の地獄絵図を見回す。


 ふと、大塚は家族の事が気になった。携帯電話は不通、メールも繋がらず、会話アプリにも既読が付く事は無かった。ある意味、それは当然とも言えた。家族を蔑ろにして仕事に打ち込んできた結果、妻とは別居中、子供とも離れ離れになっていた大塚にとって、相手が無事ではない可能性よりも、無事を知らせるつもりすらない可能性もあったからだ。

 大塚は、携帯で最後のメッセージを送る事にした。今までの自分のしてきた事を詫びて父として失格だったこと、無事を祈っていること、絶望的な状況下だと言う事、そして最後に謝辞で締めくくった。メッセージの送信を確認すると、大塚は携帯を放り捨てた。


 靴を脱ぎ、屋上の手すりに立つ。風を感じながら、大塚は深呼吸をした。

「俺は化け物なんかにならねえぞ」

 独り言を呟いてから、大塚は目を瞑って、手すりを蹴った。

 ふわりと一瞬浮いた身体は、そのまま一直線で重力に任せて地面に落ちていった。

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