26 Day 3

 ゾンビたちだけではなく、今や町のあちこちには危険を顧みずに生きる為に必要なもの――食料品などの生活物資――を掻き集める生存者たちが闊歩していた。騒ぎが起こる前、民衆が急いで物資を買い込んだ事もあってか、物資は少なくなっており、早い物勝ちの争奪戦となっていた。警察もろくに機能していない無法状態の首都圏において、もはや生活の一部であった商業施設は、略奪者にとって格好の餌食でしかなかった。


 彼――黒部啓太は、今朝から近隣の店という店を荒らし回り、目当ての圧縮陳列で有名な量販店までゾンビをかわしながらやっていた。窓ガラスを叩き割られた店内に入った黒部だったが、すでに荒らされていた店内には目ぼしい物が残っていないように見えた。よしんば残っていても、1人では到底持ちきれる量でない可能性もある。

 幸いにも、黒部には仲間がいた。ルームシェアをしている、彼と同年代の若い男女たちだ。篭城しているマンションの最上階も、バリケードを置き、水を溜め、非常時に役立ちそうな物をたっぷり蓄えこんでいた。しかし、ゾンビが蔓延し救助も望めず、しかも遠くへ逃げる手段も失っている彼らにとっては物資の不足は避けたい事態であった。よって、彼らは非常時である事を盾に、こうして略奪を重ねていた。

 背負っているバックパックの中には、今朝から近隣の店という店を荒らしまわって手に入れた食料品が入っていたが、まだ量は十分と言えなかった。だからこそ、本命であるこの店で何とかして食料品を手に入れたかったのだ。

「ヤス、お前は二階を見て役に立ちそうなものを探せ。百合子、お前は飲み物を確保、俺は食い物探してみる。森、お前は金目の物を」

 黒部は仲間に指示を出し、役割を分担しながら、仲間たちは散って行った。


 数分後、彼は焦り始めていた。

 食品のコーナーに足を運んだものの、そこにあったのは空っぽの棚と、混乱で押し潰された食品の容器や内容物だけだった。普段ならこういう場合に残るであろう、激辛系の食品、駄菓子、調味料も殆ど無かった。わずかに、棚の奥に残っていたケチャップ、豆の缶詰、スナック菓子を手に入れたが、まだ数は十分と言えなかった。

「百合子、そっちはどうだ?」

 飲み物のコーナーを探している仲間に声をかける。

「ペットボトルのお茶と、ウイスキーだけ見つけた」

 仲間も、それほど物資を探しきれていないようだった。焦りだけが募って行く。

「……バックヤードはどうだ」

 黒部はふと、店の奥にあるバックヤードの存在に目を向けた。商品の在庫が、まだ段ボール単位で残っているかもしれなかった。黒部は「従業員用以外出入り禁止」と書かれた両開きのドアに立つと、鍵がかかっているかどうか確認した。鍵が開いている事を確認すると、手持ちの懐中電灯を構えて、護身用のバットを片手に持って中に入っていった。


 だが、望みが薄かった事に黒部は気がついた。バックヤードも荒らされており、残っているのは破かれた段ボール箱の山と、在庫を引き摺り下ろされて空になった金属ラックだけしか残っていなかった。

 舌打ちしながら、あたりを照らしていると、不意に黒部は人影を発見した。ジャージ姿で、せっせと買い物バッグに、掻き集めた食料品を詰めている女だった。歳は彼よりも一回り上に見えた。女は、彼にライトを照らされると驚いたが、すぐさま袋を抱えて従業員用の出入り口へと走ろうとする。

 黒部は急いで駆け出した。女が、出入り口のドアを開けようとするが、鍵に苦戦してドアを開けるのに梃子摺っていた。すぐに追いついた黒部は、女性が手に持っている食品の詰まった買い物袋に手をかけた。

「寄越せ!寄越しやがれ!!」

 血相を変えて、黒部が叫ぶ。女は悲鳴を上げながら、買い物袋を奪われまいと抵抗する。やめて、これは子供の分よ、と必死に懇願するが、黒部はお構いなしに殴った。女の体が床に倒れ、黒部は買い物袋を奪い取る事に成功した。

「大人しく渡せって言ってんだろ、クソが」

 忌々しく呟きながら、黒部は買い物袋を手に取った。店内から掻き集めてきたのか、缶詰やペットボトル等が詰まって景気良く膨らんだ買い物袋に、思わず黒部はほくそ笑んだ。床に倒れた女が、黒部の足にすがりつく。「お願い」「やめて」とか細い声で懇願するが、黒部はその顔面に蹴りを入れて黙らせた。

「うるせぇよ、ババア」

 黒部はそう呟くと、仲間たちに合流しようと店内に戻ろうと振り向いた。そこで、思わず息を呑んだ。

 目の前には、中年の男が立っていた。屈強な体躯、そして皺が深く刻まれた顔は怒りに歪んでいた。黒部はすかさずバットを構えようとするが、それよりも先に右ストレートが顔面に入った。鼻の骨が折れ、鼻血を流しながら黒部は床に倒れこんだ。

 男は、転がったバットを拾うと容赦なく黒部の体に叩きつけた。力加減も知らない重たい打撃が、黒部の顔面に、顎に、胸に、両手両足に叩き込まれていく。まるでサンドバッグのように叩かれ続けた黒部は、うずくまって動かなくなった。


「幸恵!大丈夫か!」

 男はバットを放り捨てると、黒部に殴られた女――恐らく男の妻を抱き上げ、肩を貸して立たせた。女は何とか生きているようで、黒部に奪われた買い物袋を奪い返した。男は、黒部の体からバックパックを引き剥がすと、それを奪って自分で背負った。「早く逃げよう」と促し、男は女を連れて従業員用の出入り口を開けると、そのまま去って行った。

 全身に走る痛みに顔を歪ませながらも黒部は30分後にようやく立ち上がった。あばら骨も、片足の骨も完全に折れていて、歯も何本か折れてしまっていた。顔面は血だらけであり、最悪の状態だった。

 バットを杖代わりに、何とかよろめきながら店内へと戻る。仲間の姿を確認するが、見当たらなかった。

「森……!百合子……!ヤス……!」

 仲間の名前を呼ぶが、反応は無い。代わりに、低い呻き声が返ってきた。


 食品コーナーの奥から、この店の従業員の制服を着たゾンビがよろよろと駆け出してくる。それに続いて、センサーに反応した入店のチャイムと共に、店の入り口からも数体のゾンビが現れる。

「あぁ……あぁぁあぁ!!!」

 情けない悲鳴を上げて、黒部は逃げ出そうとするが満身創痍の体ではどうする事も出来ずに、店員のゾンビにつかまれ、床に押し倒された。がちがちと歯を鳴らしながら、ゾンビが黒部の顔面を食いちぎった。やがて、悲鳴におびき寄せられるようにゾンビが集まり始め、黒部は彼らの餌となり、二度と動く事は無かった。

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