32 Day 4

 茨城県大洗。太平洋に面し、観光シーズンには観光客で賑わい、震災を乗り越え、深夜アニメとのタイアップで観光地としての人気を更に深めたそこは厳戒態勢にあった。東京都心からの脱出を図り、そしてこの地で足止めをくらった多くの人々が、脱出を待ちかねてフェリーターミナル周辺で待機していたからだ。さらに、駐車場や付近の観光施設周辺、浜辺等には避難を待つ人々が今か今かとその時を待っていた。

 自衛隊員らと共に、港の警備をしている中年の県警機動隊員、橋本はこの光景を見て、何年か前に見た戦争映画を思い出していた。ドイツ軍に追い詰められた兵士が、浜辺や港から脱出を図る内容で、今まさにその光景と同じ情景が広がっていた。唯一の違いは、迫っているのがドイツ軍でなくゾンビという点だけだった。埠頭に集められ、この空の下で区分けされながら救出を待つ避難民たちを監視していると、自分が映画の中に紛れ込んでいるような、そんな錯覚すら覚えていた。


 そんな中、彼がスリングベルトで吊って携行しているMP5機関けん銃の重みは、この状況では非常に頼り深く感じられた。周りの警察官は、自衛隊員とは違っていつもの勤務で使うような、38口径の回転式けん銃が関の山だった。それに比べれば、30発の9mm弾を立て続けに吐き出せるMP5は極めて心強かった。

 だが、警察無線越しから流れる情報に耳を澄ませるたびに、その心も幾分が揺らいだ。都心方面からゾンビたちがあふれ出し、地方に向けて移動しているという報告が今朝から届いていた。それぞれの市町村では、県警や自衛隊がゾンビの撃退に腐心しているが、元々武装に乏しい警察とわずかな自衛隊の部隊では成果は芳しくなく、警察や自衛隊の守備隊が壊走し、文字通り陥落した町もあると聞いている。

 大洗の近辺では、百里基地から空を経由して感染していない避難民を北海道へ移送する作戦が実行に移されていた。そしてここ――大洗ではフェリーや自衛隊の輸送艦による移送作戦が行われようとしている。橋本ら警察や、自衛隊に課せられた任務は避難民を統率し、感染者と非感染者を振り分け、安全な場所へ向かう「箱舟」へ乗せる事であった。


 そんな中、ターミナル周辺を警備していた橋本の元に、1人の親子が現れた。小学生中学年ほどの少年と、20代も中ごろかと思われる若い母親のように見えた。

「すみません、お巡りさん」

「どうかしましたか?」

 この子なんですが、女性に背中を押されて子供が一歩前に出る。

「お母さんとはぐれてしまったそうなんです。迷子はどこに案内すれば……」

「ああ、そうですね。ちょっと待って下さい」

 橋本は対応しながら、どうしたものだか、とこの後の事を考えていた。

 自分の持ち場を離れる訳にも行かないが、迷子のアナウンスと保護が出来る場所はここから離れている。かと行ってこの人で溢れている埠頭――乗船までの順番列に並んでいる人たち――から離れて君が責任を持って連れて行け、と言うのも酷な話だと橋本は考えていた。

 しかし、後ろで事態を見ていた自衛隊員の1人が橋本に声をかけた。

「案内してあげて下さい。ここは俺が見てますよ」

 親子ほど歳が離れている自衛隊員だった。橋本は好意に甘えて「ではこの子の案内を引き継ぎます」と、言ってから、女性に礼を言い、少年の手を引いて案内する事にした。


 避難民たちの合間を縫って歩きながら、少年は橋本に色々と尋ねていた。

「その大きな銃で戦うの?」

「ああ。あの化け物が襲ってきたらね」

 スリングで吊ったMP5を手でなでながら答える。

「大丈夫だ。これは強い武器だからね、君も、君のお父さんもお母さんも守る。それがお巡りさんの仕事だからな」

 と、答えた所で少年の顔を見て、はっとした。少年は今にも泣きそうな顔であった。親とはぐれた不安もあるだろう、もちろん恐怖もだ。丸腰も同然でゾンビから逃げて来たであろう子供には耐え切れない状況だろう。

「きっとお母さんやお父さんにも会えるさ。船にも乗れる」

「うん……」

 目じりに溜まった涙を拭う少年を見て、橋本は必ず、この子が無事に両親の元に返れますように、と思わずにいられなかった。


 少年を迷子センターへ届けた橋本が急いで持ち場へ戻ると、フェリーが警笛を上げながら港へと入港する頃だった。埠頭で待機していた避難民たちが立ち上がり、歓喜の声を上げている。

「ありゃあ、まるで別嬪さんだな」

 思わずそんな声が橋本の口から漏れた。

 白く塗られた船体に、太陽のマークを描かれたその大型フェリーを見ながら、橋本や近くにいた警官・自衛隊員は安堵のため息を吐いた。が、すぐに気を引き締める。避難民たちは疲れ、飢えで気が立っている。パニックだけは避けなければならず、それを押さえ込み、尚且つスムーズに乗船させるよう誘導しなければならない。

 ――さて、これからが仕事だ。

 橋本は心の中で自分を鼓舞させると、自衛隊員や同僚の警官と共に、避難民たちの誘導を開始した。

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